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2007年3月

震災7日め

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雨が降ると、本堂は雨漏りがします。
こんなことをして意味があるのだろうかと思いますが、何もせずに放置することができずに女房と雨漏りの下にバケツやタライを置きました。

門前町は、超過疎・高齢化が進んだ地域で、4割以上が65才以上の老人です。
その老人家庭が被災し、家が全壊、半壊したわけで、それらのほとんどの人たちが新たに家を建てないのではないかと想像されています。
したがって、そういう老人の多くが市外の子供さんを頼って転居するのではないかと思われ、人口が激減するのではないかという観測があります。
過疎に拍車がかかることが復興にどのような影響を与えるのだろうと不安になります。

震災6日め

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本堂にレッドカードが張られました。

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これは本堂前に地震のあった25日から張り出しています。

多くの人にお見舞いいただき、多くの人が本堂と座敷の損傷を見ていかれますが、皆、ただただ被害の大きさに驚かれるばかりです。

後片づけはまだしなければなりませんが、精神的に落ち着かないのは、寺としてのこれから先が見えないことです。

御堂座敷は、取り壊さざるをえないと思いますが、公的な機関の調査を受けていないので、壊してしまうと羅災証明も補助も保険も諦めなければなりません。
鐘楼堂は、国道の交通の支障になって危険であったのと、羅災証明とか補助という知識がなかったので、勝手に自主的に壊してしまいましたが、少しでも補助してもらえる可能性があると思えば、勝手に壊すことすらできません。

もっと厄介なのは本堂です。
素人の目には修繕には数億円の費用がかかるか、取り壊さざるをえないと思うのですが、実際にはどの程度の損傷なのかが分からない、だから、修繕すべきなのか取り壊すべきなのか判断できない・・・、つまり、ただただ解体することを覚悟しながら、何も具体的に考えられずに傾いた本堂を見続けるしかない、それが辛いです。

また、共済の保証の額が分からないのも先行きに対する不安の一つです。
取り壊すにしても数千万円の費用が必要と想像され、その取り壊し費用すら工面できるかどうか分からないという不安があります。

今日は、正覚寺で生まれ育った叔母さんたち3人が見舞いに来てくれました。
その叔母さんたちが、本堂を解体するかもしれないということに同意してくれたことが私の気持ちを少し軽くしてくれました。
叔母さんたちにとっても、倒壊した鐘楼堂、傾いた本堂、壊滅的な座敷はそれぞれ思い出がたくさんある建物なのですから、その建物の惨状を目の当たりにするのは辛かっただろうと思います。

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地震5日め

今朝、住宅部分が地震保険に加入していたので、地震災害の損害鑑定員が調査に来ていきました。
建物は一部損、家財は半損ということで保険金の支払いを受けることができるようで、とても助かり、保険に加入していてよかったと思いました。

保険対象外の本堂も見ていただきました。
本堂の中心を断層が走っているのかもしれないということでした。
激しい縦揺れで、重い屋根を建物が支え切れなかったのではないかという感想でした。
たぶん、倒壊した鐘楼堂もそういうことだったのだろうと思います。
銅張りやトタンなら瓦屋根の1/8程度の重さなのでこんなには大きな被害にはならなかっただろうということでしたが・・・。

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地震4日め-3 ブログ

色々冷静に現実を受け入れたような書き込みもしていますが、実際には先行きの不安で胸の内は一杯です。
座敷の瓦礫の中から備品を運び出したり、傾いた本堂の瓦礫を掃除していると絶望的な気持ちになります。
被災した夜からブログをアップして、余裕があるんだという誤解をされるから、ブログは中断しようかとも思ったのですが、ブログを書くことで気持ちの整理が出来、平常心らしきものを保つことができているように思います。

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地震4日め-2

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阿弥陀様の台座です。

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後光 (御光)です。

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右足だけ見つけました。
左足も見つかればいいのですが、小さな物だけに・・・。

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地震4日め-1

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地震直後にお救いした阿弥陀様です。
やむなく広間のお内仏横の床の間で寝ていただいています。

今日は、福井から従兄弟たち3人がお見舞いに来てくれました。
手が回っていなかった庫裏(門徒会館)や住まいの片づけをしてくれました。
差し入れもたくさん持ってきてくれてとても助かりました。
そして何より妹や弟のように思っている従兄弟なので癒されました。

夕方、同じく被災した女房の実家から義母と義兄が、当寺の被害が深刻だという話を聞いて心配して見に来てくれました。
義兄から、本山の共済金は期待しないほうがいいという話を聞いて、昨日期待をもったばかりだったのでがっかりしました。
中越地震で使っているのでプールされている資金が少ないということでした。
従兄弟のお寺が本堂を修繕していますが、1億5千万~2億円の予算らしいので、当寺の本堂も修繕するとなればそれくらいの予算は覚悟しなければならないと思います。
取り壊すにしても千万単位の予算が必要なのではないでしょうか?
住職である私としては、取り壊しが現実的な選択だと思うのですが、門徒の方々が納得されるかどうか・・・。
なにはともあれ、専門家による調査・見積り、共済金の支給額に基づいて判断するしかありません。

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地震3日め-2

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お向いの家です。

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ご近所さんです。

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地震3日め-1

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鐘楼堂に上げられていた札です。

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鐘楼堂の柱です。
無残な裂け方が衝撃的です。

門徒の方が落ちた壁やガラスを片づけて下さいました。
3男と倒壊の恐れのある座敷から輪島塗などの備品を運び出しました。

本山の職員が見舞いと調査にやってきました。
本山の共済から給付金が出るという話に少し光が見えたような気がしました。
本堂は、本山の共済、農協の共済、損保の火災保険に加入していますが、損保は本堂のような住居ではない建物は地震保険に加入することができません。
農協の共済は、台風による被害を受けた時に、屋根が飛んでしまうような被害でなければ出せないということで期待できません。

正覚寺の役員さんに被害の状況を見ていただきました。
ご覧になった役員さんの誰もが被害の大きさに衝撃を受けられたようでした。
修繕などに関しては、専門家による調査・見積り、共済金の給付額が分かってから相談していくことを確認しました。

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地震2日め-4

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本堂の柱です。
右のほうへ大きくズレています。

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御堂座敷の柱です。
あと2~3cmで倒壊していたかもしれません。

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座敷が左へズレた大きさが分かります。

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地震2日め-3

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大丈夫だと思っていた本堂、写真で見える以上にヒドイ傾きです。
かなりショックでした。

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地震2日め-2

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御堂座敷の三間の一番奥の部屋です。
壊さなければならないのかなぁ?っというほどヒドイ状況です。

女房にやりくりをしてもらって、日頃の生活はつましくして、できるだけご門徒に負担をかけないようにと心がけて維持してきた正覚寺。
立派・豪華というには程遠い寺ですが、ご門徒の皆さんには気持ちよくお参りしていただける寺にしてきたつもりです。
私たちはいい住職・坊守を演じているつもりでしたが、そんな私のようなものの努力、思い上がりは何の役にも立たないということを今度の地震は教えてくれました。
こつこつと積み上げてきたもの、それがほんの数十秒で瓦礫になりました。

しかし、私は今も思っています。
ご門徒にできるだけ負担をかけない方針で今後も正覚寺を維持していきたいと・・・。
本堂がなくなっても、御堂座敷がなくなったとしても、庫裏があり、住宅があります。
少し窮屈ですが、お寺としての機能は維持できると思います。
過疎で大きな本堂は無用の長物になりつつあるのですから・・・。

でも、やっぱり心配なのは資金です。
修繕するにも費用、解体するにも費用です。
明日夕、正覚寺の役員の方々の現状を見ていただき、今後の方針を相談させていただきます。

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地震2日め-1

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倒壊した鐘楼堂が道路にはみ出して交通の障害となり危険であったため、業者の方にお願いして撤去していただきました。

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地震4

瓦が落ちかかっていたり、家の中は壁が落ちていたり、家具が倒れたり、メチャクチャです。

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全国ニュース(NHK?)で当寺の鐘楼堂の倒壊の映像が流れ続けたため、全国から励ましの電話・メールをいただき勇気をいただきました。
ありがとうございます。

起こってしまったことは起こってしまったこと、素直に受け入れるしかどうしようもありません。
阿弥陀様もそうおっしゃって見つめていらっしゃると思います。   合掌

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地震3

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左側の建物は、御堂座敷と呼んでいる本堂の後ろの建物です。
右側は、本堂です。
元々は密着していた建物ですが、2つに離れてしまっています。
本堂が、御堂座敷をドンドンと押してしまったのと、本堂が前(画面右側)へ傾いてしまったからだと思われます。

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地震2

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本堂へ行ってみると、須弥壇(しゅみだん)・宮殿(くうでん)においでるはずの阿弥陀様のお姿がありません。
見ると、阿弥陀様は倒れていらっしゃいました。
私が救っていただくはずの阿弥陀様を、今日は私がお救いした気持ちでした。
阿弥陀様には、庫裏で横になっていただいています。
実は、深く考えずにお内仏にお立ちいただいたのですが、余震が激しくてお立ちになっておれないのです。
台座に立っていただきたいのですが、数人の手を借りなければ台座の確保は不可能です。

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能登半島地震1

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地震の揺れの耐えながら、いつ何時何が起こるかわからない、何が起こっても不思議はない、そんな阿弥陀さんのお言葉が聞こえるように思いました。
私は、ご法事の準備のために廊下を歩いていました。
ゴーッという地響きのような音が聞こえました。
私は、突風?工事?っと想像しました。
ところが、違いました。
次の瞬間、足元がデタラメな動きで揺れました。
これまで、震度5は何度も体験しており、ド・ド・ド・ドという小刻みな縦揺れも、ユッサユッサと大きく揺れる横揺れも経験していましたが、今回の地震は別次元のものでした。
私は、最も近くて安全な場所だと思える風呂場へあちこちの壁にぶつかりながら逃げ込みました。
家が潰れる、そう思いました。
揺れがおさまって、何事もなければよいが・・・と思いながら居間へ戻る途中、窓から見えた景色が、鐘楼堂が倒壊しているものでした。

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フィギアスケート

フィギアスケートは、浅田真央や安藤美姫、高橋大輔や織田信成らの活躍で人気スポーツとなっています。
我が女房も大好きなようで熱心に見ます。
私は、浅田真央の演技はすばらしくすごいなぁと思いますが、競技としては嫌いです。
それは、人間が判定する競技だからです。
勝っても負けてもどうもすっきりしないことがあります。

今回の世界選手権の女子ショーとプログラムも、韓国のキム・ヨンアが2度明らかにふらついたにもかかわらず歴代最高得点を獲得し首位に立ちました。
完璧なノーミスだったのなら歴代最高得点もうなずけますが、私にはちょっと納得がいきません。
演技直後に、キム・ヨンアも「こんなに良い点数をもらえるとは期待していなかった。」と感想を語っています。
浅田真央は失敗をしてしまいましたが、安藤美姫はノーミスの演技で、私の目には、安藤美姫とキム・ヨンアの出来は同レベルに見えましたが、2人には差がつきました。
もちろん、浅田真央や安藤美姫とキム・ヨンアの立場が逆だったら、私は満足していたかもしれません。

去年行われた亀田興毅が勝ってチャンピオンとなったWBAライトフライ級タイトルマッチの判定は、日本人からも大きな批判が出ました。
日本人が勝ってもすっきりと喜べないそんな結果でした。

夕日

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京都からの帰り道、日本海に沈む夕日に出会いました。

卒業式

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3月22日は、次男の大学の卒業式でした。
大学の卒業式に親が行くの?っと驚かれる人もおられるでしょうね。
私が大学を卒業する時には、親は来ませんでしたし、友達にも親は来ていませんでした。

2年前に長男が大学を卒業したのですが、その時も大勢の父兄と共に卒業式を見させていただきました。
次男と長男は違う大学なのですが、次男の大学にも1/4程度の父兄が来ているのではないかと思えるほどの人数でした。

大学の卒業、それは親にとっては子育てが一段落する大きな節目だと思います。
子供にとっては親から独立し、社会人として歩み出すという大きな節目だと思います。
私はそういう節目を親子で共有したいという思いから大学の卒業式に出かけています。

長男は、地元の市役所へ就職したので、大学の卒業式へ出かけたのは、4年間離れて暮らしていた長男を迎えに行ったようなものでした。
次男は、首都圏の会社に就職が決まったので、遠く離れての生活が続きます。
学生の間は、夏、冬、春などの長期の休みの度に帰省していましたが、これからは会社勤めなのでなかなか帰省出来なくなると思います。
そう思うと、次男が私たちの元から本当に巣立っていくのだと思われて、愛おしさと寂しさを感じて別れてきました。

卒業式の夜、京都にいる姪や甥を交えて卒業祝をしました。

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晴れやか巣立ちの日

児童の減少に伴い昨年4月に統合されて誕生した輪島市門前町の門前東小と門前西小で20日、それぞれ第1回の卒業式が行われました。
門前東小では23人、門前小では14人が卒業しました。

今時には珍しくないニュースなのですが、私は過疎の現実を改めて思い知らされました。
輪島市門前町というのは、昨年輪島市と合併するまでは鳳至郡門前町でした。
その門前町全体の小学校を門前東・西という2校に統合したのです。
つまり、この2校の卒業生が門前町全体の卒業生なのです。
門前町全体で37人の卒業生、1クラスにおさまってしまう人数です。

これが奥能登の過疎の現実です。
過疎なのは十分理解しているつもりですが、生々しい現実を見せつけられました。

サボり癖

昨日、一昨日の土日は休みでした。
一般に働いている人だったら、土日祝日が休みなのは当たり前でしょうが、私たち僧侶にとって、土日が休みというのは1週間休んでいるようなものです。
僧侶にとって土日というのは、法事のお参りがある日というのが常識です。
土日に暇そうに遊んでいる僧侶は、ご門徒の少ない小さなお寺の僧侶かご門徒に嫌われてご法事に呼んでもらえない僧侶だと思われます。

私は、昨日、一昨日の土日が休みでした。
今日は、午後に月忌といってご命日に毎月勤めさせていただくお参りが2軒あります。
ところが、不精な私は、2日休むと動くのがうっとうしくなってしまいます。
今朝からなんとなく腹具合が悪くて、体がダルいので尚更です。

ご門徒さんには言えませんが、あ~ぁ、動くのが面倒くさいなぁ!
っと思いながら渋々着替えます。
白衣に着替えて、帯を締めて、間衣という法衣を着ると、不思議なもので気分が変わります。
僧侶・住職さんモードにスイッチが入ります。
着替える前までコタツでウダウダしていたのがウソのようです。
若い頃は、見せかけの形なんて、形式なんて本質とは無関係とバカにしていましたが、そんなものではないようです。

産業廃棄物の処分場誘致に思う

能登半島に輪島市門前町大釜という集落があります。
山間に94才を最高に5世帯8人が暮らしている小さな集落なのですが、去年の秋からこの集落がニューヨークタイムスで紹介されるほど脚光を浴びています。
それは、産業廃棄物の処分場を誘致し、その補償金で移住することを決めたからです。

「行政が何もしてくれないから自分たちの行き場を探した。誰かが老人ホームを用意してくれるなら、産廃なんて呼ばない」というのが大釜地区の人たちの言い分らしいのですが、私はこの人たちは自分勝手だと思います。

限界集落(げんかいしゅうらく)とは、過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことをいうそうですが、日本全国の過疎地にはそういう集落が多く存在し、消滅する集落もあります。
財政再建団体となった北海道夕張市では高齢者の割合が6割以上といわれ、財政再建の前に市が消滅するのではともいわれ、「限界自治体」という言葉も使われるようになりました。
過疎高齢化は全国的な問題で、大釜地区だけの問題ではありません。

私の周囲にも一人暮らしや夫婦だけの高齢者世帯が多くあります。
家で生活できる人は、介護ヘルパーや地域の人たちの助けを借りて生活しています。
一人暮らしに限界を感じた人は、年金を使ってグループホームや高齢者の福祉施設に入所しています。
もちろん、都会の子供さんとの同居、もしくは子供さんの近くの施設に入所するため住み慣れた輪島を離れて都会へ出て行く人も少なくありません。

それらの多くの人は、子供たちを都会に送り出し、子供たちが都会で家を建てて生活していて帰ってくる当てのない人たちです。
今後使われる当てのない家や土地があるのですから、売れるものなら売っぱらって生活の足しにしたいだろうと思います。
しかし、過疎地の土地や建物がそんなに都合よく売れるものではありません。

大釜地区というところは、産廃処分場にできるという逆に好条件なところなのだと思います。
普通ならお金にならない山が、産廃処分場ならお金になります。
産廃処分場は全国で問題を起こしている誰もが嫌がる迷惑施設だから、多額の補償金を支払います。
だからといって、先祖から受け継ぎ、自分たちも耕し管理してきた田畑や山林をゴミで埋め立て、今後未来永劫にわたって奥能登の住民に迷惑をかけ続けるかもしれない産廃処分場にしてしまう、よくそんなことが平気にできるものだと私は思います。

「人様に迷惑を掛けるでないぞ!」それが親が子にかける願いであったはずです。
大釜地区の人たちは、そういう願いを自ら捨て去ってしまったようです。
現代社会にまん延する「自分さえ良ければ・・・」という風潮、都会の若者ばかりではなく純朴であったはずの田舎にまで及んでいるのを感じました。

車に乗って

今日は叔父さんの二七日だったので、福井までお参りに行ってきました。

私は、恐いのは警察だけというそこそこの飛ばし屋なのですが、叔父さんのお見舞いやお葬式などで往復するうちに飛ばしにくくなってきました。
それは、ガソリン代がもったいないということもありますが、ECOランプが気になるようになったからです。
原発反対運動に参加したり、色々な環境保護運動に賛同しながら、車をかっ飛ばしてガソリンを浪費するのは自分勝手だと気づいてしまったのです。
私の車はホンダのエディックスという車なのですが、高速道路などを一定速度で走る場合、平地だとだいたい110Kmを越えるとECOランプが消えます。
ですから、できだけECOランプが消えないように、110Km程度で走るようになりました。

車を運転してると色々気になることがあります。
今日は帰りが夕方で、家に着いたのは6時半で日没後でした。
私は、夕暮れの薄暗くなった頃にスモールランプを点けるようにしています。
自分が運転するだけなら視界は十分で何の問題もないのですが、他の車や歩行者に私の車を認識して欲しいからです。
それは、私の他人を信用しないという性格も影響しているかもしれません。

帰り道、私の後ろを真っ赤なワゴン車が走っていたのですが、なかなかライトを点けません。
完全に日没になってほとんどの車がライトを点けるようになっても、その車はライトを点けません。
私のすぐ後ろを走っているのに、時々その車が見えなくなります。
できるだけライトを点けないという省エネの意識からのことかもしれませんが、周囲に迷惑をかけてまでの省エネは間違いだと思います。

確かに自分が車を走らせるだけなら、それに必要な道路の情報は見えますから、私だって無灯火で走ることはできます。
しかし、道路にいるのは自分の車1台だけではないんです。
対向車を含めて周囲には多くの車が走っています。
それに、一般道には歩行者やバイク、自転車もいます。
それらに自分の存在を知らせる必要があります。
夕暮れが迫り日没になっても無灯火で車を運転する人は、周囲の人に気を配れない自分勝手な人なのだろうと思いました。

合格発表

3月7・8日に行われた石川県の公立高校の合格発表がありました。

わが家の3男も中学3年生で受験したのですが、まさに合格・不合格の境目のボーダーライン上という成績でした。
地元の日本航空学園第2高校も受験し合格していたので、公立が不合格ならその私立へ進学の予定でした。

しかし、わが家は小学校へ徒歩5分、中学校は徒歩10分、公立高校へも徒歩5分という場所にあり、夜更かし・朝寝坊のわが家の子たちにとっては徒歩5分の公立高校は魅力的です。
さらに、中学校の同級生の4割程度はその公立高校へ進学しますし、日本航空学園高校は全国から生徒が集まってきますから、そういう点でも友達の多くが進学する公立高校は魅力的でした。

ボーダーライン上の息子でしたが、無事合格することができ、本人の息子が一番ホッと安心たようで、とても嬉しそうなのが態度に表れています。
自分の成績が悪いのですから不合格なら日本航空学園へ進学するしかありませんが、ほとんどが知らない初対面の同級生の中に入っていく不安は大きかっただろうと思います。
本人も、中学校の3年間、毎朝誘いに来てくれて一緒に登校した友達と同じ高校へ通えるようになり安心したでしょうが、私たち親も安心しました。

高校ではバスケットを楽しんで、落第しないように勉強についていって、自分の実力に見合った大学へ進学してくれることを願っています。
親である私もズボラで勉強嫌いでしたから、自分が出来なかったことを息子たちに強要しません。
長男も次男も学校だけ通って、それぞれ自分の実力に見合った大学を卒業しました。
3男は、「兄ちゃんたちのような大学へは僕は行けない」といい、私も、「兄ちゃんたちは兄ちゃんたち、お前はお前なんだから、行ける大学へ進学すればいいよ」と答えています。

テレビで、ハチマキをしめて塾で勉強し、開成や麻布といった有名私立中学受験に頑張る子供と親の姿を見ますが、私はあれが本当の教育だろうかと疑問に思っています。
勉強はできるに越したことはありませんが、朝から学校、放課後は塾(予備校)、夜も家庭学習、そんな生活で育つ子供の情緒というのはどんなものになるのだろうと心配になります。
順調に目指す東大に合格して、高級官僚になれたとしても、そこに精神的な豊かさがあるのだろうかと思います。
試験の問題に答える知識は身についても、世間的社会的な感覚の欠如した大人になってしまうのではないかと思うのですが、どうなんでしょう?
また、皆が目標を達成できるものではなく、挫折する子供も多いと思うのですが、挫折した時に親子でたくましく立ち上がることができるのだろうかとも思います。
それは、勉強に限らず、スポーツや芸能などでも同じことを思います。
子供の幸せを願ってのことでしょうが、親といえども、子供を自分が決めた枠・レールに押し込めて、尻を叩いて頑張らせ続けていいものだろうかと思います。

表白

それ人の命のはかなきことは、夢・幻のごとし。もしただいまも、無常(むじょう)の風きたりなば、いかなる病苦(びょうく)災難(さいなん)にあいてか、むなしくなりなんこの身なり。
まことに死に臨(のぞ)みては、いかなる後悔(こうかい)も時すでに遅く、六親(ろくしん)眷属(けんぞく)あつまりて歎(なげ)き悲しめども、さらにその甲斐(かい)あるべからず。

今ここに、○○○○殿 法名(ほうみょう) ○○院釋○○ には、家族の手厚い治療(ちりょう)と看護(かんご)にもかかわらず、三月十三日、八十九歳を一期として、念仏の声もろともに、命終せられたり。
○○○○殿には、平素(へいそ)深くみ仏(ほとけ)に帰依(きえ)せられ、口に念仏の声(こえ)絶(た)えることなく、正覚寺お世話方(せわかた)として、寺門(じもん)の経営とお念仏(ねんぶつ)繁盛(はんじょう)に献身(けんしん)せられたり。
清廉(せいれん)にして実直(じっちょく)、情(じょう)に厚(あつ)く、恩義(おんぎ)を重(おも)んじるその人柄(ひとがら)は、誰しも敬愛(けいあい)すべきところ、今ここに永(とわ)の別(わか)れをむかえるにいたりしことは、心底(しんてい)衷心(ちゅうしん)より惜別(せきべつ)の情(じょう)に堪(た)えざるものあり。

されど愛(いと)しき者にも別れあるは、この世の定(さだ)め、不帰(ふき)の身となられたるを見ては、我らここにあい集(あつ)まり、最後の別れをなすほかはなし。
今この期(ご)に及(およ)びては、如来(にょらい)の大悲(だいひ)によらずして、いかなる寄(よ)るべきあらんや。
すみやかに南無阿弥陀仏と称(とな)えて、生死(しょうじ)の迷(まよ)いに目覚(めざ)め、如来の与えたもう、真実の幸せに生きるべきなり。
乞(こ)い願わくは仏祖(ぶっそ)照覧(しょうらん)し、哀愍(あいみん)を垂(た)れたまえ。

正覚寺住職 釋啓了 謹(つつし)んで曰(もう)す。

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若い頃からご縁があってよく寺参りをし、得度をしたお坊さん並みに寺の行事でお勤めをした方が亡くなり、今夜がお通夜で明日がお葬式です。
上記は、明日のお葬式に読ませていただく「表白」という文書です。

「友引の日に葬儀を出さない」

14日お通夜・15日お葬式という喪主からの連絡だったのに、15日が「友引」だからという理由で、お葬式が16日に延期されました。

「友引の日に葬儀を出さない」というのは、「友引」は『歴注(れきちゅう)』とよばれる吉凶(きっきょう)を占う文書に出てくる言葉で、その言葉からその日に葬儀を出すと「友(とも)を引(ひ)く」という語呂(ごろ)合(あ)わせから出てきた俗信です。
本来は別の意味で何の根拠もありません。

私の住む地域では、元々友引の迷信をあまり気にしない地域で、友引の日にもよくお葬式が行われていたので、今時そのような迷信をどのような人が気にしたのだろうと思いました。
ひょっとしたらという心当たりの亡くなった方の親戚のお婆さんがいらっしゃったのですが、私の予想通りそのお婆さんが友引の迷信を気にしたのでした。
親戚筋の年齢順でいけば、そのお婆さんが亡くなった方の次に高齢なのでした。
亡くなった方の次は自分の順番、友引にお葬式をして、自分をあの世へ引っ張っていかれてはたまらん、そのお婆さんはそう思われたのでしょう。
そのお婆さんが、亡くなった方の家族や周囲の親戚を説得して、お葬式を一日延ばしたのでした。

頼母子講(たのもしこう)

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輪島には頼母子講という集まりがあります。
かつては全国的に存在していたようなのですが・・・。
本来の頼母子講というのは、互助的な金融組合です。
組合員が一定の掛金を出し、一定の期日に抽籤または入札によって所定の金額を順次に組合員に融通する組織です。

例えば、組合員が10人いて掛金が月1万円なら、毎月10万円に対して入札を行います。
頼母子講の取り決めで、落札者は、入札金額を元に計算された落札金を会に支払って10万円を受け取るというシステムです。
10人で組織した頼母子講では10ヶ月が1巡となり、当然ですが1巡に1回だけ落札の権利があります。

友達仲間の親睦会的な頼母子講では掛金は小遣い程度の1万円程度ですが、同業者など経営者の集まりの頼母子講の掛金は数十万円で、受け取る金額が数百万円以上になるものもあるようです。

信頼できる仲間の集まりですので、頼母子講の日には別に会費を出し合って毎回懇親会が催されます。
私は、小遣い程度の掛金の友達としての集まりである頼母子講に2つ参加しています。
輪島は、輪島塗や漁業といった徒弟、弟子兄弟といった人と人との強い結びつきが存在する社会であるせいだと思いますが、今でも様々な結びつきでの頼母子講が行われています。

遅い冬

私の住んでいる能登半島は雪国です。
西高東低の冬型の気圧配置になると、テレビの天気予報で、輪島上空3000mにマイナス30度の寒気団が・・・と言われる通り寒い地方です。
私の家は海岸から300m程度のところなので、30cmも積もれば大雪ですが、10Km程度山側に行けば1~2m程度積もります。
ところが今年は記録的な暖冬で、全く雪が積もりません。

例年だったら4月初旬頃までスタッドレスタイヤを履いているんだけど、今年は3月1日にスタッドレスタイヤからノーマルのラジアルタイヤに履き替えました。
福井の叔父が末期胃ガンで2月初旬から入院して、何度もお見舞いに通ったんだけど、カラカラに乾いた道路を往復400Kmもスタッドレスで走るのがバカバカしくなって、もう今シーズンの雪はないだろうと、勝手な予想をして。

その叔父さんが亡くなって、7日にお葬式が営まれたんだけど、朝起きたら世の中が真っ白なのにビックリ。
でも、昼には解けてしまうだろうと、これまた勝手な予想をしていたんだけど、これも見事に裏切られてしまいました。
帰れないかと心配したけれど、幹線道路は路面が見えていたので、所々雪のある200Kmの道のりをゆっくり帰りました。

去年も一昨年も春のお彼岸に雪にあってるんですよね、実は。
特に一昨年なんて福井から奥琵琶湖付近はかなりの積雪でしたよ、お彼岸に。
でも、今年はないだろうと・・・、甘いなぁ!と自分で思いました。

明日(12日)も雪の予報、17日も雪の予報。
しばらく遠出の予定もないし、女房の軽4は幸いなことにスタッドレスのままだし、まぁいいか。
と、書いている間に冷え込んできました。
今夜も寒そうです。

夕張に思う

夕張が国の管理による財政再建団体となったというニュースがあった。
財政破綻宣言以来、全国で公務員に対する風当たりが強いらしい。
しかし、自治体の財政破綻の責任を公務員に求めるのはちょっと違うと思う。

公務員というのは、自分の意見で仕事をしてはいけない、法律・条例と為政者の命に従って業務を遂行しなければならない。
公務員の仕事内容は、政治そのものではあるけれども、その決定権は公務員にはない。
公務員は為政者が決定した方針に従って業務を遂行しているに過ぎない。

地方政治の決定権は、知事や市長などの為政者にある。
そして、その為政者は、勝手にその職についているのではない。
知事や市長は、市民・住民によって選挙で選ばれてその職についているのだ。

つまり、知事や市長などの為政者の政治の責任は、公務員ではなく選挙民である市民にこそあるのだ。
今年は統一地方選挙の年、4年間の地方政治に対する責任を意識して投票すべきだと思う。

いつでもさよならの出来る身になっていますか

叔父さんのお葬式から帰って3日目なのに疲れが抜けません。
体に歳を感じます。

20年ほどの間に、祖父母を送り、両親を送り、叔父さんたちを送り・・・、ぼんやり生きる間に私も50歳を過ぎました。
私の順番もかなり近づいてきなぁ、と思います。
「いつでもさよならの出来る身になっていますか」そんな言葉がありました。
世の中順序通りにはいきません。
覚悟だけはしておかなければならないと思います。

9年前の4月25日、蓮如上人という方の500回忌御遠忌の満座の朝、私は自宅で茶わんに1杯ほどの血痰を吐きました。
ゴールデンウィーク明けにガンの検査のために3週間入院しました。
気管支や肺、胃、十二指腸までカメラを含めてさまざまな検査をしました。
このまま死んでいかなければならないのではないかと思いましたが、検査の結果、何も病気は見つかりませんでした。

5年前に母が亡くなりました。
病院に入院した時にはすでに末期の肺ガンでした。
その時、色々主治医からガンの説明を受けましたが、肺ガンになりやすい体質は遺伝するのではないかというのが学会の定説になりつつあるということでした。
わが家では、母以外に、祖父と祖父の弟、叔父(父の弟)が肺ガンで亡くなっています。
曽祖父は胃ガンで亡くなったと聞いています。

昨年夏に受けた集団レントゲン検査で、胃にポリープが見つかり、胃カメラの検査を受けました。
この時もガンの可能性がある、と言われましたが、検査結果は良性のポリープということで、とりあえず今年の夏に再度胃カメラで検査することになっています。

前立腺炎という病気になって痛みに苦しんだり、腎臓結石が見つかったり、中性脂肪が基準値の3倍以上の500超であったり・・・、色々体にもガタがきています。

うかうかしてはいられません。

叔父さんのお葬式を終えて

昨日(3月7日)、叔父さんの葬式を終えて帰ってきました。
儀式の荘厳、所作法で間違っているんじゃないかなぁ?ということもありましたが、確認をさせていただくことにとどめ、頑張ることはせずに、お世話いただいている方のおっしゃることに黙って従いました。
叔父さんが生きていたら、私に間違っているから直して貰ってきなさいと命じたと思うのですが・・・。
叔父さんが書き残してくださった儀式のマニュアルがあるので、もし叔父さんのマニュアルが間違っていたとしても、叔父さんの葬儀なのですからそれに従って執行していただきたかったと思いました。

叔父さんは福井大学医学部へ献体をしました。
医学の発展、医学生の勉強のために役立ちたいという願いからです。
叔父さん自身が病弱で医療の世話になったということもありますが、3女が幼い頃に事故に会い、それが元で障害を持ったため長く病院のお世話になり、14・5歳で亡くされているので、叔母さんと共に献体の申し出をされていたのです。
これもいかにも叔父さんらしい立派な姿勢だと思います。

叔父さんが亡くなりました

昨日(3日)の午後、末期がんで入院中の叔父さんが39度の熱を出して危篤だという知らせを受けました。
ご門徒のお葬式でお骨が上がるのを待っている時間でした。
還骨勤行と初七日のお勤めをして帰ったら、叔母さんと従兄弟から叔父さんの熱が37度程度に下がって意識がはっきりしたという知らせを受け、ホッとしました。
私の家から叔父さんが入院している病院までは車で2時間半程度、すぐに走ればその日のうちに叔父さんの顔を見て帰ってこられたのですが、翌日の3月4日にはご法事の約束があるからなど色々自分にいい分けをして、無理をせずに法事を済ませてから出かけようと決めました。

ご法事にはお斎(法要後の食事)の予定があったので、叔父さんが危篤であるという事情を話してお斎をお断りしようかと迷ったのですが、色々気づかって準備されていることだし・・・という法事を勤められる方への遠慮と、お斎の時間くらい早くても遅くても問題ないだろうと自分に都合のいい決めつけをしました。

午後2時頃にご法事(お斎)を終えて、2時半前には家を出て、2泊3日の予定で叔父さんの看病をするつもりで病院に向かって走りました。
走り出して1時間ほど経った頃、妻から叔父さんが亡くなったという知らせを受けました。
一旦家へ引き返してお葬式の準備をして出直そうかとも思いましたが、帰る気になれず、そのまま駆けつけました。

従兄弟らと叔父さんの遺体を安置して、とりあえずの荘厳をし、親族で枕勤めをしてから、装束などの準備に家へ帰りました。
私はとても薄情でドライな人間なので、叔父さんが亡くなるということは分かっていたこともあり、叔父さんの遺骸のお世話をしても涙は出ませんでした。
しかし、叔父さんの長男である20才ほど年下の従兄弟の後ろで枕勤めをしている時には色々な思いが駆け巡って嗚咽が出そうになりました。

何が供養か。
単なる儀式が供養ではないと思います。
お通夜、お葬式で、従兄弟たちと、何が叔父さんの供養になるのか考えたいと思います。

お葬式

今日は昭和3年生まれで満78才の方のお葬式にお参りさせていただきました。
元々は当寺のご門徒ではなく他寺のご門徒だったのですが、お寺へお葬式やご法事をお願いしてもお参りに来ていただけないため、やむなく当寺のご門徒へ移籍された方です。
数年前に息子さんの奥さんであるお嫁さんが亡くなった時、お参りさせていただいたら、よく参ってくれたと涙を流して感謝して下さいました。
私にとっては当然の当たり前のことをさせていただいただけなのですが、それだけ前のお寺とのお付き合いが大変だったのでしょう。

タコ捕り名人として有名な方でしたが、海ばかりではなく山菜採りも名人で、11月の報恩講には、毎年、白シメジというとてもいい香りのするキノコと上質の天然の山芋を差し入れて下さいました。
息子のような年齢の私を「ごいんじゅ」と呼んで下さり、とても親しくしていただきました。
荒っぽい方言丸出しの話し方で、一見やんちゃなそうに見えましたが、とても心の美しい方でした。

私は50を過ぎたばかりですが、住職となって25年余りとなりました。
お葬式やご法事にお参りさせていただくと、若い頃と違って亡くなっていかれた方の姿が目の前に浮かびます。

頑張らなくていい、そのままでいいんだ

叔父さんが、末期がんで緩和ケア病棟(ホスピス)に入院して1ヶ月になり、休みの度にお見舞いに通っています。

叔父さんは、地方の国立大学を卒業後地方局のアナウンサーをしていたのだが、寺の跡を継がなければならない立場になったため、放送局を退職し、京都の大谷大学の職員として働きながら大学院に学びそれを修了しました。
父親(私からすると祖父)が住職を勤めていたので、総務庁行政監察局に就職をし行政監察官として勤務しましたが、40歳を過ぎた頃に高齢となった父親の跡を継いで自坊の住職となりました。
頭の中は知識でいっぱいという感じのとても勉強熱心な人で、何をやらせてもそつ無くこなすとても優秀な叔父さんを、私は小さな頃からヒーローのように羨望のまなざしで見つめていました。

そんな叔父さんですから、末期がんで入院してもたくさんの本を持ち込み、子供や孫を助手に手がけていたお経に関する論文をまとめ上げようとしています。
また、同じくガンで亡くなったらしい叔父さんが教えを受けた松原祐善先生の末期のありように、叔父さんは大変感銘を受けたらしく、自身も最期まで僧らしく、住職らしくあろうとされているようです。
しかし、そのように末期のがんの肉体的・精神的な痛み・苦しみの中で頑張ろうとする叔父さんの姿が私には痛々しく感じられます。
叔父さんに、もう頑張るのは止めようよ、辛いのを我慢するのは止めようよと声をかけたいが、立派な叔父さんにとても私のような愚か者がそのようなことは言えません。
看病をしている娘さん(私の従姉妹)は、「松原先生のように立派じゃなくていいよ。お父さんはお父さんなんだから、お父さんらしくしてくれたらいいよ」と切願していました。
「頑張らなくていい、そのままでいいんだよ」それが阿弥陀仏の私たちへの呼びかけであり、それが安楽な境地への道ではないかと思います。
末期がんの宣告を受けた闘病生活の中でも勉強を続け、死に直面しながらも毅然とした態度を取り続けようとする叔父さんの姿はとても立派で叔父さんらしく見えるけれども、果たしてそれが幸せなことなんだろうかと考えてしまいます。

セールス・営業、そして本山

「中国が大量に金を買い付けるので、
 金の相場が上がるという話をご存じですか?
 確実に儲けを取っていただけますので、金に投資するお世話をさせて下さい」

「投資、節税、保険として京都のホテルを買って下さい。」

さまざまなセールスの電話がかかってきます。

「私は、過疎・高齢化のへき地に住んでいるのでそんな余裕はない」
「貧しい寺で質素な日々の生活を送るので精一杯だ」
などと断るのだが信じてもらえず、何度もしつこく電話がかかってきます。

大谷大学の卒業生名簿などさまざまな名簿の情報で電話をかけてくるようだが、寺・僧侶といえば皆、金持ちだと決めつけてかかっているようです。
時々見かける葬儀関係の新聞記事などを読んでも、葬儀屋の支払いと並んで僧侶のお布施の高さが問題とされています。
確かに、お葬式・ご法事を過密なスケジュールでこなして、高額なお布施をいただき、高級外車を乗り回すなどの優雅な暮らしをしている僧侶もいます。
お寺・僧侶といえばそういうイメージが染みついて浸透してしまっているのでしょう。

しかし、私の寺はそんな寺ではありません。
っというか、私はそんな偉い僧侶・住職ではないのでそんなに高額なお布施をいただいた経験すらありません。
ウソだと思うなら私の暮らしぶりを見に来て欲しいと思うほどです。
日々の質素な生活費の支払いに追われ、国民年金・国民健康保険料、光熱費などの公共料金の支払いで銀行口座がマイナスになってしまうような生活ぶりです。
ところが、お寺・僧侶は大きなお布施を貰うのでお金持ち、それが当たり前の常識的なイメージとして定着してしまっているのでしょう。

しかし、どうもそのように思い込んでいるのは一般の方ばかりではないようだと思うようになりました。
本山も寺を金持ちだと決めつけているようです。
30年前から本山の要求どおりに上納金を納めることはできないから上納金の請求の指数を減らして欲しいとお願いしているのですが、全く聞く耳を持ってもらえません。
私の寺は多くのご門徒があって、かなりの高額な収入があるはずなのだが、それを本山に支払うのが嫌で隠しているのだと決めつけている様子です。
脅して叩けば上納金を搾り取れると思っているようです。
私の日常の暮らしぶりを見てもらえば、とても高額な上納金を納められる寺ではないということが分かってもらえるのですが・・・。

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