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2007年4月

震災37日目-2

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夕方、近くの浜を見てきました。
これは埋立の土砂の山ではありません。
解体された家の廃材の山です。
ゴミの処分場で受け入れをすると、トラックの順番待ちに時間がかかり過ぎて作業がはかどらないため、浜を臨時の廃材置き場にしているのです。

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輪島で生まれ育った人にとっては懐かしい景色の一つである袖が浜という海水浴場の東側の山です。
数年前に崖崩れ防止の工事をしたばかりだったのですが、無残にも崩落しました。
左隅に見えるトンネルをくぐると鴨ヶ浦という岩場の景勝地です。
天気が良くて暖かかったので子供たちや若者が浜辺で遊んでいました。
街中にも観光客らしき人たちの姿も見られました。

余所から来られた方は一様に、阪神淡路のような悲惨な光景を想像して輪島に来られるようです。
しかし、輪島に来られても、想像していたような震災の悲惨な光景を見ることなく正覚寺へ来られるので、ほとんど被害はなかったようですね、という感想を言われます。
それは、輪島朝市へのメイン通りである旧駅前通りなどの商店街が、石川県の事業として整備がされ、新しい建物が並んだ美しい町並みしか見ることがないためです。
メイン通りから東西に一本ずつ脇道に入れば、地元住民にとってはショッキングな悲惨な状況があるですが、旅行者にはそれが見えません。
観光的には、被害が見えないことは、元気な輪島をアピールできてプラスだと思います。
しかし、被害が見えにくい状況が復興ということにいいことなのかどうだろうかと、罹災者の一人として思います。
被災者が見えないために忘れ去られていく存在なのではないかという不安を感じます。

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震災37日目-1

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水漏れの箇所の特定に半日かかりました。
特定と言っても、水道管の破損箇所が特定できたわけではなく、ここからここの間という幅のある特定です。

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この式台(玄関)の前で破断があるようです。
とりあえず漏水は止まりました。
復旧工事には時間がかかるようです。

今日も建築の専門家が本堂を見にお出でました。
壁と床をはがし、持ち上げて基礎を固めた上で、柱を起こし、屋根を葺き替え、床と壁をつけるそうですが、天井を張り替える必要が生じるかどうかはやってみなければ分からないということで、これまでの設計士さんや大工さんらと同じ診断でした。
小屋組(天井裏)も上がって見られましたが、梁に付けられていたはずのクサビの多くが外れて無くなってしまっているということでした。

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震災36日目

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今日は、ご法事が3軒ありました。
が、連休ですが、明日からはご法事の予定は全くありません。

午前中は、正覚寺から1時間ほど離れたところの方がお父さんの13回忌の法要を勤めに来られました。
本来なら自宅で親戚の方に集まっていただいて法要を勤める予定だったのですが、ご自身の家も含めて親戚のほとんどが家屋倒壊などの被害に逢ったために、正覚寺でお経だけ勤めることにされたのです。
その正覚寺も本堂が使えない状態なのですが・・・。

午後1時からは、3月21日に大阪で亡くなり、大阪のお寺でお葬式をされて、お骨になって帰って来られた方の満中陰(四十九日)・納骨法要でした。
お骨は2週間ほど前に姪にあたる方が送って来られたので、正覚寺でお預かりしていました。
正覚寺お内仏での法要後、従兄弟夫婦の方6名によって納骨されました。

夕方は、3月13日に亡くなられた方の満中陰(四十九日)法要でした。
この方は、お生れは正覚寺の御門徒ではなかったのですが、正覚寺の先代住職(私の祖父)とご縁があって信徒からご門徒になられた方です。
熱心な聞法者で、正覚寺の報恩講の期間は年休を取って全日程をお参りされ、お勤めも私たち僧侶と一緒に勤められるほどの方でした。
クソがつくほど真面目そのものの方で、どうして得度をして僧侶にならなかったのだろうと思うほどの人でしたが、正座が苦手だったから・・・私にはそうおっしゃっておいでました。
そういう方でしたので、遺言では自分の葬式は正覚寺の本堂で・・・ということでした。
遺族の方々はそのことをよく理解されていたのですが、世情により斎場でお葬式をされました。
遺族の方々は、故人の遺志をかなえるために、亡くなられた直後から満中陰(四十九日)法要は、故人が熱心にお参りされた正覚寺本堂で勤め、お斎(法要後の食事)も正覚寺の広間で・・・という予定でした。
ところが今回の地震、全て予定変更です。
そのご法事のお斎(夕食)で、隣に座られたご門徒の方に言われました。
私たちは、兵隊として戦争に行って普通では出来ない体験をしました。
ご院さんも、震災という普通は出来ない体験をされたのかもしれません、と。
その一方でこういうことも言われました。
ご院さんのお父さんは震災にあわなくて幸せだったと・・・。
私は、震災以来、5年前に亡くなった母親がこの震災に逢わなくてよかったと思っています。

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震災34日目

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設備屋さんが朝一番に見に来てくれました。
どうも、ここから本堂までの間で水道管が破断しているという診断でした。
設備屋さんたちも多忙なので、明日以降の修復工事になります。

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鐘楼堂の屋根に乗っていたものです。
鬼のように見えますが、鬼瓦は別にあります。
私はこの瓦が大好きです。
それだけに屋根の上ではなく、草が生える地面に置かれているのが哀れです。

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本堂の屋根に乗っている不思議なものです。
私にはどういう意味があるものなのか分かりませんが、こういうものにも先人のこだわりを感じます。

夕方、少し時間があるからと、友達の設計士さんが、平面図で面積を出すための測量に来てくれました。
本山への申告書作成のためです。

今日の夕食は、叔母さんの差し入れの鯛寿司をいただきました。
地震以来、私は寺役(お参り)以外ほとんど出かけることがありませんし、女房も必要最低限の買い物以外出かけることがありません。
それは、出かける気分になれないからです。
これが被災した人たちの精神状態だろうと思います。
それだけに、好物ということもありますが、叔母さんの差し入れ、本当にありがたくいただきました。

今後の正覚寺に大きな不安も感じていますが、多くの人に支えられているということに感謝の毎日でもあります。

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震災33日目

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地震直後に、女房が確認したら漏れがなかった水道、なんとなく気になったので再確認したら、メーターがゆっくり回っています。
どこかで漏れているようです。
余震や周辺の解体工事などの揺れで損傷したのでしょう。
未だに新たな被害が見つかります。
早速、設備屋さんに連絡しました。

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震災1ヶ月

A: 建設会社の社長が、今はどんなに重いものでも持ち上げて建て直すことができると言っていましたけど・・・。

私:そうです。
  技術的には正覚寺の本堂の修復は十分可能です。
  私が心配しているのは、その費用です。

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B:正覚寺は、本堂を取り壊すことに決めたのか?
C:正覚寺は、建て直すことに決めたのですか?

私:いいえ、そうではありません。
  ただいま、修復の見積りの調査をしていただいているところです。
  ただ、正覚寺の現状では予算化が不可能な見積額が提示されるであろうということを覚悟しているだけです。

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D:先人が残してくれた遺産的な価値のある本堂を安易に解体するのはいかがなものか?

私:治していただけるなら、ありがたく修復していただきます。
  どうか修復して下さい。

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E:どのくらい傾いているのですか?

私:2度、天井と床とで11cm少々の傾きらしいです。

E:たいしたことないじゃないですか。

私:・・・・・・

(確かに、向いの重蔵神社(能登二の宮)の拝殿は、正覚寺より傾きが大きいようにみえます。
 でも、建物の高さが低い、柱の長さが短いので起こしやすいそうです。
 単純に傾きの数字だけでは判断できないと思います。
 そういうことは、正覚寺の本堂の自慢になるので言いませんが・・・)

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今日の数人の方との会話です。
毎日、同じような会話を繰り返しています。
修理して保存すべき・・・その意見は正論です。
でも、その費用を負担するのは誰でしょう?
そういう問題です。

撤去した鐘楼堂に関しても、屋根をクレーンで吊って・・・というご意見があります。
確かに、地震当日もそういう話し合いがありました。
でも、私は、助言や県警の要請を受け入れて、撤去やむなしという判断をしました。
住職として、鐘楼堂撤去の責任は負っていかなければなりません。
同様に、本堂・座敷に対しては、正覚寺がどのような決断をしたとしても、もっと大きな批判・評論があるであろうことが予想され、それに対する責任も負っていかなければならないと覚悟しています。

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震災31日目

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宮地組という地元の建設会社の設計士さんたちが毎日のように調査に来て、実測と被害状況を確認して見積り作成をしてくれています。
女房は、測量と調査、見積りの費用を心配していますが、これをしないことには先には進めないので仕方ないじゃないかと話し合っています。

本山御用達の日建設計という設計会社がボランティアとして調査・見積りに来てくれるらしいのですが、ボランティアなのでいつになるのか分かりません。
ボランティアはありがたいですが、ずっと待ち続けるわけにもいきません。

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大工さんも調査に来ています。
小屋組も見てくれるようです。

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震災30日め

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雨漏りするはず、瓦が完全にズレてしまっています。

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正覚寺の東隣の家、さら地になりました。

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正覚寺から道路をはさんで西隣の家、重機が動くので揺れます。

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震災29日目

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今日は雷雨、かなりの雨量。
瓦屋さんに応急処置をしてもらったので、漏らなくなっていたはずの屋根なんですが、その後の余震や風で再びズレたのでしょう、内陣の中が雨漏りをしています。
何度繰り返しても同じでしょうから諦めます。

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正覚寺の後ろの家も解体撤去中。
地震後約1ヶ月ですが、正覚寺の周辺の多くの家で取り壊し作業が始まりました。

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震災27日目

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正覚寺の両隣で家の解体・撤去が行われています。
街中に空き地が目立つようになりました。
どれだけの空き地に新たに家が建てられるのでしょうか?

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震災26日目

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昨日、市役所で出してもらったり災証明書です。
り災程度は、大規模半壊、り災原因は、平成19年3月25日に発生した、能登半島地震による、と記載されています。

ご門徒のお母さん(お婆さん)が亡くなられ、明日20日がお通夜、明後日21日がお葬式になりました。
明後日は、3月4日に亡くなった福井の叔父さんの満中陰(四十九日)法要です。
坊守である女房と二人のご招待をいただいていたのですが、今回の地震で寺を留守にはできない状況となったため、私一人だけでもお参りさせていただこうと準備していたのですが、それもかなわぬこととなりました。
今日亡くなられたご門徒の喪主は、22日が投票日の市議会議員選挙の候補者の一人です。
自分に都合よく世の中は動いてくれない、いつ何が起こっても不思議ではない、今日もそう教わりました。

ちなみに今回の市議会議員選挙には、正覚寺の門信徒の方が4名立候補されており、いずれも現職です。
正覚寺のご門徒は政治好きなのか、昔から選挙には複数の候補者が立候補しています。
かつては大家族だったので、ご門徒の議員さんの人数以上に家族の有権者がいたのですが、現在は家族の有権者は3名だけです。

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震災25日め

今日も色々ありました。
夕べから直下型の余震。
まさに真下からド・ド・ドと突き上げてきたり、ドンっと突き上げるだけで横揺れのない余震です。
震度1という発表ですが、体感する衝撃はかなり大きいものでした。

昼過ぎに正覚寺から60Kmほど離れたところにお住まいのご門徒の方がお出でました。
若(未だに私のことをこう呼ぶご門徒がいらっしゃいます)、景気づけに50万円だけやけど持ってきたわ、と「本堂改修御協賛 五十万円也」と書かれた封筒を出されました。
先日もお見舞いをいただいたばかりでした。
聞けば、ご自身の家も棟瓦や壁、建具に大きな被害があるとのこと。
それに震源地の門前町には何軒もの倒壊した親戚があります。
そのような状況の中での寺への励まし、とてもありがたく頂戴致しました。

その次にお出でた門徒の方は、京都の兄弟の方が仏壇を引き取って、今後はその近所のお寺の世話になるから正覚寺とは縁を切るというご挨拶でした。
正覚寺の門徒だと、本堂修復に多額の寄付を請求されると思われたのでしょう。
震災をきっかけに離檀されるご門徒があるだろうとは予想していましたが、現実になると辛いものがあります。

家が倒壊して、遠方の親戚や子供さんの元へ引っ越していかれる方も少なくありません。
そうでなくても、家が全壊したり、大規模半壊になった方も多くいらっしゃいます。
正覚寺の将来が不安になります。

先日お葬式を出されたご門徒が、祠堂経志(永代経志)をお納めにいらっしゃいました。
本堂の寄付はいくらしたらいいかね?っという問いに、
私が、まだどうすればいいかも分からないし、どうするかは住職が勝手に決めるのではなく、ご門徒の皆さんで相談して決めてもらわなければならないので・・・とお答えすると、
そうやね、大きなお金のことやしね、とご門徒。
正覚寺に見切りをつけて離れていく方もあり、付いてきて下さる方もあり、寂しい思いをしたり、勇気づけられたり・・・。

今日は、昨日見積りをお願いした建設会社の設計士さんと大工さんが見に来られました。
大工さんは後日、天井を破って小屋組の調査をして下さるそうです。
建設会社は、明日、実測をして図面を引き見積りに取り掛かってくれるそうです。

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震災24日め-2

今日は、総代・責任役員の紹介で、地元の建設会社の方が見に来て下さいました。
最初は、曳屋さんが、数千万で修理が可能という説明でしたが、屋根は?壁は?床は?と質問したら、それは別という答えでした。
ここでは、設計士さんや鑑定人さんたちから教えてもらった知識が役立ちました。
傾きを単に修理するということではなく、使える状態に戻す見積りを・・・、そうお願いしました。
曳屋工事で簡単に安価に修理できますという宣伝や話を多く聞きます。
しかし、それもマユツバだとよくわかりました。

地震で、本堂が基礎からズレ、後ろががけであったために、とりあえず、基礎を元に戻す工事をしたそうです.。
しかし、その基礎工事の費用も工面しなければならないし、その後の屋根や壁などの修理をする資金のめどもたっていないしという状況に、住職が途方にくれているという過去の記事を読んだことがあります。
正覚寺の今日の様子はそういう危険性のある状況でした。

長男は、市役所税務課の職員です。
罹災証明の発行の業務をしています。
日中は各家屋の調査に回り、それを夜間に整理しているようです。
連日、朝8時半までに出勤して、深夜12時~2時に帰宅します。
もちろん、休日なしです。
残業手当が多く貰えるだろうと思っている人が多いようですが、輪島市の現状では無償のボランティア覚悟のようです。

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震災24日め

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JA共済主席鑑定人の方が調査・鑑定にお出でました。
1時間半程度の調査でした。

共済というもののからくりを知りました。

正覚寺は農協の共済の保証金の契約は5000万円の契約になっています。
ですから、5000万円を元に、半壊なら2500万円などというように損傷の度合によって単純に保証金が算定されるのかと思ったら、そうではないのです。
本堂が全壊したとして新築する金額が5億円という査定で、それに対して5000万円の共済加入なので、建物の10分の1だけ共済に加入しているという計算をされました。
つまり、本堂を4億と査定すれば1/8、3億と査定すれば1/6の保証になるというカラクリです。

ですから、正覚寺の場合は、もし3000万円という損害額の査定なら、その10分の1の300万の保証になるということでした。
それに、建物の5%以上の被害でないと保証されないということで、5億円の5%の2500万円以上の損害査定でなければ保証はありません。

修繕費はいくら程度と計算されますか?という私の問いに、
鑑定人は、1000万~2000万という答え。
私はかなり年配の方だったので1桁間違えたのだろうと思っていましたが、どうもそうではないようです。
第3者ではない農協お抱えの鑑定人ですから、出さないように出さないようにするのは当然ですよね。
結局、農協の共済も宣伝文句だけのもののようです。
東京へ帰ってからじっくりと計算するということでしたから、あまりに酷い鑑定だったら、異議を申し立ててみるつもりです。

①共済金 ÷ 再調達価格 = 農協の保証割合
  5千万円 ÷ 5億円   = 0.1

②損害5%以上 支払い対象
  5億円 × 0.05 = 2500万円 以上

③損害額査定 3000万円 × 0.1 = 300万円(支払い額)

ただ、今回来られた鑑定人さんは1級建築士でもあり、損害保険協会の鑑定人の資格もある方で、建物を見る目は確かなようでした。
修復の方法や屋根の傷みの見方など教えていただき助かりました。
壁は、柱の傾きを修正すると、現在大丈夫な壁も全部落ちてしまうので、最初から落としても同じだということでした。
床も外さなければ、柱を起こすことはできないから、床も外さなければならないということです。
屋根も全面的に葺き替えが必要なので、屋根、壁、床を外すということはほとんど骨組みだけになってしまうので、先日の設計士さんたちと同じ意見でした。

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震災後に農協から郵送されてきた文書の抜粋。
今日の鑑定人の説明と違っていると思えるのですが・・・???

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JA共済ご加入の皆様へ

建物更生共済の自然災害共済金のお支払い等について

1.地震等による自然災害共済金の支払い
   地震等につきましては、ご加入いただいている建物または動産に5%以上の被害が発生した時に、自然災害共済金をお支払いいたします。
   何%の被害が生じたかにつきましては、JA共済の損害調査員等がお伺いいたしまして、被害状況(柱の傾き・壁・屋根の破損等)を調査して決定いたします。
   また、自然災害共済金の額につきましては、「火災共済金額x建物または動産の被害(%)×1/2」でお支払いいたしますので、例えば、加入金額が2,000万円で、ご加入いただいている建物の被害が5%の場合には、「2,000万円×5%×1/2=50万円」となり、50万円を自然災害共済金としてお支払いすることになります。
   なお、5%未満の被害については、共済金をお支払いすることができませんので、その場合はご了承ください。

                                  平成 19 年 3 月
                                  農 業 協 同 組 合

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震災23日め

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これはわが家の震度計です。
揺れた!と思ったらこれを見る癖がついてしまいました。
これが揺れていれば地震、揺れていなければ大型車が通った振動か単なる気のせい。
かなり多いのが気のせいで、揺れているように錯覚するという話をよく聞きます。

明日、農協の共済の調査・査定があるようです。
どのような査定になるのかは別にして、1つ片づきます。

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震災22日め

お昼ご飯をいただいて、午後のお参りの準備をしていたら、ユッサユッサと揺れます。
余震!と思ったら、三重県で震度5強とのこと。
輪島は震度1という発表だったけど、もっと大きく感じドキッとしました。

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2階の寝室がようやく片づいたので、突っ張り棒を買って取り付け、今夜から2階で寝ることにしました。
1つ1つ、元の生活に戻ります。

今日も門徒の人たちが本堂などの様子を見におい出ました。
もうすでに3週間が経ったのですが、誰も尋ねて来ない日はありません。
正覚寺の損害が億の金額で一番大きいというウワサが広がっているようです。

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震災21日め

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雨が降る天気の中で満開の桜

今夜はお通夜にお参りさせていただきました。
亡くなられた方が正覚寺のご門徒の生まれで、そういうご縁があって、正覚寺のご門徒の紹介で新しくご門徒になっていただけることになったご家庭です。
ご縁があるとはいえ、新宅さんですから余所のお寺のご門徒になられてもよいのですが、地震で本堂が傾いたこの時期に、新たに正覚寺のご門徒になっていただけるそのお気持ちに手を合わせました。
正覚寺の門徒になってよかったと思っていただけるよう勤めさせていただきます。
そして、無理なお願いは致しません。

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今夜はこのご馳走をいただきました。
遠縁にあたるお寺からの差し入れです。
女房は、お花見のご馳走みたいやね、と喜びました。

原発反対運動で知り合った名古屋の方が寄って下さいました。
遠方のご門徒や大学の同級生からお見舞いの手紙が届きました。
九州から北海道まで多くの方々から激励をいただきましたが、皆さんのご厚意にお返しをすることは私たちにはできないと思います。
でも、私たちは、今回の震災で、被災者の気持ちを実体験させてもらいました。
今後は、今回の体験を元に、被災者の救済のお手伝いを積極的にさせていただくことで皆さんへのご恩返しにさせていただきたいと話し合っております。

とはいえ、未だに正覚寺の今後が全く見えません。
困っている人を手助けするためには、正覚寺が立ち直らなければなりません。
とりあえずは、皆さんのお気持ちにお応えし、正覚寺復興に努めます。

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震災20日め

今夜、友達の設計士さんが、本山へ被害状況を届け出る書類の作成のための指導に来てくれました。
1~2年前に金沢工業大学の学生さんたちが本堂の調査に来られて、作成して下さった平面図があり、とても助かりました。
友達に、本堂を修理方法について意見を聞くと、屋根の瓦と壁などを下ろして骨組みだけの状態にして、水平の傾きと垂直の傾きを修正する必要があるということでした。

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震災19日目

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曽祖父のこだわりの墓です。
稲舟町という高台に建てられているのですが、墓の正面は正覚寺の現在地を向いていますし、後ろは正覚寺の発祥地である高洲山や稲舟村になります。
自身が正覚寺を見守り続けたいという思いと、子孫に先祖が見守っているという意識を持って欲しかったのだろうと思います。

この墓が建つ稲舟町も道路は崖崩れで通行止になったり、倒壊した家屋があったり、高校のグラウンドが地割れを起こしたりと甚大な被害があったので、私たち夫婦は、墓が倒れているものと覚悟していました。
今日の夕方、女房の命により私が墓の存在を確認しに行ったのですが、墓はしゃんと凛々しく建っていました。
とても嬉しく、心強く思いました。

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震災18日め

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越後屋さん、今日は横浜へ帰っていかれました。

お昼過ぎに、ご門徒の方がお見舞いにお出でました。
「中越の方がいらっしゃって、伝統的な建物は出来るだけ壊さずに修繕して残したほうがいいとおっしゃっていました。」

これが今の私には一番辛い言葉です。

「それは正論ですし、私も出来ることならこの本堂を修復して残したいと願っています。
 しかし、この大きな本堂の修復には億という単位の資金が必要です。
 そうするとご門徒1戸あたり100万という単位のご寄付をいただかなければなりません。」
と、お答えしました。

本堂と御堂座敷の様子を見ていただきました。

「こんな立派な材木はもう手に入りませんよ。」とご門徒。

「それも十分承知しています。」と私。

「外から見るのと、中の様子は全く違いますね。」とご門徒。

私は、「専門の方に調査していただいて、修理する場合の見積りを出していただいて、その提示額をご門徒に提出してどうするか相談していただきます。
ご案内しますので、ご意見をおっしゃって下さい。」と伝えました。

修理すればいいじゃないかという意見や助言は多く聞こえてきます。
ご自分が住んでいる住居の修繕を元に考えられるのでしょう。
無理もないことですが、本堂などの寺社建築には大きな金がかかるということが想像できないようです。
屋根瓦の葺き替えだけで2500万円程度、御本尊がお立ちになる須弥壇と宮殿で千万単位・・・お一人、お一人に現実を伝えていくしかありません。

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震災17日め-2

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本堂の親鸞聖人のお厨子に仮安置してあった遺骨を、一体ごと法名(お名前)とご命日を記した袋に移して合葬墓に納骨しました。

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横浜・正覚寺の住職と共に、遺族に代わって、また横浜・正覚寺の門徒を代表して、越後屋さんが遺骨を移す作業やお参りをされました。

ちなみに越後屋さんというお名前は、屋号ではなく本名です。
越後屋といえば三越百貨店で、とても社会的信用度の高いブランドなのですが、時代劇に登場する悪徳商人の多くはなぜか越後屋です。
横浜・正覚寺のお世話をしていただいている越後屋さんは、悪徳商人とは程遠い人柄の方で、もしこの方が犯罪を犯したとしても、ホリエモンや村上さんのような社会を騒がせるほどの悪事はとうてい働けそうにはない人の良さを感じる方です。
文具・事務機を扱う会社に勤務されていたそうですが、文具・事務機という硬いイメージを全く感じられないとてもひょうきんな方でもあります。

そういうキャラクターの越後屋さんのおかげで、とても明るい時間が流れて、元気が出ました。

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震災17日め-1

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2泊3日の日程で横浜の正覚寺からお見舞いに来て下さいました。
この方は越後屋さんとおっしゃる横浜・正覚寺のご門徒の方です。

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救援ボランティアとしてのお手伝いしていただきました。
奥さんご安心下さい。

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震災16日目-3

午後6時頃、正覚寺の近くのご門徒のお爺さんが大きなふろしき包みを担いでやってきました。
聞くと、明日から家を取り壊すことになったとのことで、家の片付けをしているらしい。
輪島塗の職人として生きてきた証しを寺に残して欲しいと、爺ちゃんのオリジナル作品で一番立派だと思えるものを担いできたとのことでした。

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震災16日目-2

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今日もこの桜が北陸中日新聞の記事になりました。
新聞掲載の写真は、輪島市門前町の桜で正覚寺の桜ではありません。

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桜 心励ます

輪島で開花宣言

 金沢地方気象台は八日、能登半島地震で大きな被害が出た石川県輪島市で、桜 (ソメイヨシノ)の開花宣言を出した。今年から標本本になった輪島測候所敷地内のソメイヨシノで同日確認された。平年より三日、昨年より四日早い開花。五日ほどで満開になるという。
 同市河井町の国道249号沿いにある真宗大谷派の正覚寺境内では、地震で全壊した鐘楼横にある桜も花を咲かせた。
 鐘楼の台は大きな青銅製の鐘が置かれたままで、地震の傷跡は生々しいが、近所の人たちは例年通り見事な花を咲かせた桜を見上げ、ほっとした表情を浮かべていた。

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震災16日目-1

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今日は、3男の高校の入学式でした。
震災の直後に高校へ入学したことを忘れないようにと、倒壊した鐘楼堂と桜の前で写真を撮りました。

入学式といえば、私にとってはとてもショックなことがありました。
4月5日に、私の母校である輪島市の中心部を学区とする河井小学校で入学式が行われたのですが、その新1年生が34人だったのです。
私は昭和30年生まれで、団塊の世代ではありませんが、私が在籍した頃の河井小学校は、1学年に、1クラス45人~50人のクラスが、5~6クラスある大きな学校でした。
それが、わずか34人の新入生になってしまったのです。
過疎、少子化の現実です。

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震災15日め-2

昨日受けた取材が、今朝の新聞に早速記事になっていました。
毎日新聞です。

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Mainichi

江戸、明治何度も災禍越えた古刹に励ましの桜

能登半島地震

 能登半島地震で全壊した石川県輪島市河井町の正覚寺=山吹啓住職(51)=の2本の桜が花をつけ、被災地に春の訪れを告げている。正覚寺は江戸時代の大地震、明治時代の大火もくぐり抜けてきた古刹。その力強さを感じながら、被災者らは「励まされるような気がする」と薄紅色の花びらをいとおしそうに愛でた。被災地の開花宣言は8日ごろになるという。
 正覚寺は市街地にある真宗大谷派の寺院で、江戸初期の建立。1701(元禄14)年の地震や、町の大部分を焼失した1910(明治43)年の「輪島の大火」などに見舞われ倒壊、全焼した。だが、その度に移転や再建を重ね復興してきた。現在の本堂は1914年に建てられた。
 同寺の桜はかつて境内いっぱいに植えられ、花見客でにぎわったが、30年ほど前、小枝が密生する伝染病「テングス病」の流行でほとんどの木を切り倒し、現在の2本だけが残っていた。
 震災の日、山吹住職は敷地内の住居で体のあちこちを壁にぶつけた。けがはなかったが、本堂の中へ入るとがくぜんとした。外見は無事のように見えたが、柱が大きく傾いた。本尊の仏像の台座は割れ、木造の阿弥陀如来像が倒れて左脚が折れた。境内の鐘楼塔も屋根が落ちて倒壊した。
 山吹住職は「再建の困難を思うと眠れない日が続く」と漏らす。寺の周辺にも全壊の家屋が並び、今にも避難所暮らしの被災者が多い。「立派な寺の再建は無理かもしれないが、姿や形は本質ではない。被災者の心の支えになるよう頑張るしかない」
 そんな中で、震災前と同じように、かれんな花をつけ始めた桜。近くに住む枡田静子さん(76)は「こんな殺伐とした風景に花があると、やっぱりいいと思う。元気づけられます」とまぶしそうに桜を見上げた。

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震災15日め-1

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女房が、私はこのアングルの本堂の美しさが大好き、だから写真を撮っておいて、というので・・・。

今日は、車で2時間ほどの距離を、金沢市の隣の白山市(旧松任市)の聖興寺さんがお見舞いに来て下さいました。
叔父さんは、真宗寺院は念仏の道場が本来の姿なんだから、大きな本堂や伽藍は真宗寺院の本質ではない、ご門徒が集ってお念仏を申す場があればそれで十分、本堂を失うことになっても、卑下することなく胸を張ってしっかり生きなさい、そういう趣旨の言葉を何度も何度もかけて下さいました。
叔父さんは、私にそのことを伝えたくてわざわざ来て下さったのだと、その言葉が胸の奥に染み渡りました。
また、私を支えてくれていた母の弟である福井の叔父さんが先月亡くなったので、そのことも気づかって下さっているのだと思いました。
本当に絶望的な気持ちだった私に、浄土真宗寺院の住職としての根本を思い起こさせて下さいました。
ありがとうございました。

その他にも、今日もお見舞い、励ましに絶え間なく様々な方に尋ねていただき、また手紙やメールをいただき、多くの方に支えられているんだと皆さんに感謝してます。

午後、設計士などの建築関係の方がボランティアで建物の診断に来て下さいました。
外観のイメージと内部のイメージのギャップに驚いていました。
専門家でさえそうなんですから、素人が外観だけで判断できるはずがないと思いました。
本堂内の柱は、床と天井で11cm余り北側に傾いているということで、素人目には傾きが小さく見える内陣の柱も同じ傾きで、もう一度震度6程度の地震がくれば倒壊するかもしれないというほど深刻な傾きのようでした。
本堂の修復には、柱、土台に重圧をかけている瓦を下ろして、基礎をしっかり作って、柱の傾きを修正する必要があるということで、柔らかい表現でしたが、修復は可能だが、かなり大がかりな工事が必要で、深刻な状態であるということがよくわかりました。
御堂座敷も同様で、柱が折れ曲がり、全ての部材がバラバラにはずれた状態で、壁も全て落として建物を骨組みだけの状態にすれば修復は可能だが、大がかりな工事で深刻な状態だということでした。
鐘楼堂は、束石も柱も揺れに堪え切れずに北側にズレて崩れ落ちてしまったという診断でした。

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震災14日め-3

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お向いの家のおじさん。
避難先の家へ家財道具を自転車で運んでいるようです。

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ちょっと玄関の中をのぞかせてもらいました。
フシのないきれいな木目のけやきが使われた立派な造りです。
取り壊し決定なのかと思ったら、市役所の調査待ちだと聞いてちょっと安心しました。
素人目にはとてもしっかりしていて、取り壊すには惜しい建物だと思いました。
おじさんの言葉を借りれば、地震で傾きが直ったそうです。

そうそう、地震からこのブログを書いていて、標準語だと思っていた言葉が標準語ではなかったんだと学習しました。
それは、“かたがり”とか“かたがる”という言葉です。
輪島の人は、傾きをかたがりといい、傾くことをかたがるといいます。
私は、傾がり、傾がるというきれいな標準語だと思っていました。
ところがPCで変換できません。
広辞苑と漢字源まで調べました。
りっぱな方言でした。
地震で教えてもらいました。

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震災14日め-2

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前庭の桜が咲き始めました。
門前を含めた輪島で一番早く咲き始めたということで取材を受けました。
倒壊した鐘楼堂の横に咲く桜を見て、復興にかける意気込みを聞かせてくれと言われましたが、ほとんど暗い話で、記者が困っていました。

本堂の廊下で預かっていた町内のキリコ(夏祭りで担いで練り歩く奉灯)を、町内の若手グループが隣寺へ避難する作業をしました。

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さんしゅゆ(山茱萸)、この木も桜と並んで倒壊した鐘楼堂の横にあります。

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震災14日め-1

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裏庭の白木蓮が咲きました。
地震のような厳しいものも自然、心なごむ花も自然。

今日は、震災後初めて広間のお内仏で法事を勤めました。
今日が御命日の方で、震災を知り、尚更お参りに来たくなったと、東京からわざわざお参りにお出で下さいました。
これまでは当たり前のものとしてなんとも思わなかったけれども、震災にあって傾いた本堂を見て、こんなに立派で素敵なものだったんだと気づいた、何とかならないのか・・・という言葉を繰り返して帰られました。
本堂をご覧になった方のどなたもがおっしゃる感想です。

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震災13日め-オマケ2

Jiko

夕方4時半過ぎ、キキーッ!っという急ブレーキ音。
ドンっという音が聞こえなかったので、事故にはならなかったんだと思っていたら、しばらくしたら救急車。
どうしたのかと駆けつけたら、正覚寺のお手伝いをしていただいている役僧さんのお父さんが自転車に乗っていてはねられていました。
救急隊員が病院へ行くように説得していましたが、じいちゃんは大丈夫だからと抵抗していました。
とりあえず、役僧さんに連絡しました。
すぐに駆けつけてきました。
被害者の家族ですが、加害者に、うちのじいちゃんが悪いんだからと謝っていました。
そのおじいちゃんは、いつかはこんなことがあるとは私も思っていましたが、正覚寺の横の交差点で起こるとは思いませんでした。
90才を過ぎた布袋さんのような体形のおじいちゃんは、ゴムまりのようにはねられても無傷で、病院の検査でも異常なしという強靭な体でした。

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震災13日め-オマケ1

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正覚寺の裏で宅地分譲の工事が行われています。
この土地は600坪余りあるのですが、明治43年の大火による強制移転の際にはこの土地も正覚寺に与えられたものでした。
元々は、正覚寺の境内地は2000坪であったと聞いています。
で、この土地ですが、町から代替え地として当時の輪島町から貰ったのですが、正覚寺は、使わないからと町へ寄付してしまったのです。

その後、町から国の公社である専売公社(たばこ産業)へ所有権が移り、たばこ産業が撤退すると地元の不動産業者に転売され、宅地分譲されているのです。
タダで公共機関へ寄付したもの、それを商売として活用するのもの、時代が変わったとはいえちょっと複雑な気持ちです。
震災にあって、お金が欲しい今は尚更です。

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震災13日め-5

北島 on 地震3日め-1
http://keiryo-y.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_6c02.html#comment-18390786

コメントをいただいた北島さん、お見舞いに来てくれた本山の職員ですが、私が偶然検索で見つけて愕然とした内容のブログの主でした。

http://blogs.yahoo.co.jp/eijok/1642539.html

現在は本山の職員という立場なのでこの書き込みが広がると都合が悪いかもしれませんが、私にとっては本山の共済に期待するなという義兄の言葉を裏づけするもので、その実態のすさまじさに目の前が真っ暗になりました。
末寺に対して取り立ては厳しいけれども、末寺に対しては思いやりも優しさも全くない宗派なのだと改めて思い知りました。
共済をかけるよりその掛金を積立てていた方がよかったと思いました。

現在の正直な気持ちを明らかにすると、この寺から逃げ出したいです。
大きな本堂を維持する悩みから解放されたいです。
門徒がついているから・・・、門徒にたのめば・・・、それが住職道の常識かもしれません。
しかし、私には年金暮らしのおじいちゃん・おばあちゃんたちに大きな寄付を言い出せません。
それでは住職失格だと言われれば、私は住職失格です。
女房も同じ気持ちです。

そもそも、北前船で栄えた古き良き時代の遺産である大きな本堂は、現在の正覚寺の実情では維持できなくなっていたのだと思います。
それが今回の地震で明らかな現実として突きつけられているのだと思います。

でも、山吹家個人の正覚寺ではありません。
ご門徒に先行きを決めてもらうしかありません。
しかし、その相談がいつできるのかさえ分かりません。
先が見えない、それなのに目の前に傾いた本堂があり、あれこれ考えてしまいます。
それが辛いです。

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震災13日め-4

200746_036 

これが庫裏・会館です。
当面はこの建物の広間が本堂を兼ねることになります。

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これは住居です。
1階部分は、普通の住宅の基礎部分です。
高い基礎の上に木造2階建の家が建っているという造りです。
その造りが幸いしたのでしょう。
ほっそりとした3階建で不安定に見える建物ですが、最も被害が少ない建物でした。

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震災13日め-3

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夕方、ご門徒の瓦屋さんが応急処置に来て下さいました。
震度4(輪島は3)という余震があり、恐かっただろうと思います。
雨漏り防止のできるだけの処置をして下さったようです。
本当にありがとうございました。
写真では伝わりにくいと思いますが、屋根はよく滑り落ちないなという角度です。

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震災13日め-2

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正覚寺のお向いの1軒です。
外見はしっかりと建っているようですが、全壊状態だそうで、取り壊されるようです。
こういう家が多いようです。

今回の地震による輪島市中心部の被害は、阪神大震災などで見た地域という平面での被災状況とは違います。
面ではなく線で被害が広がっています。
ですから被災の状況は見えにくいですし、被災者の精神的な苦痛があります。
全壊の家の隣は全く損傷がないという状況なのですから、隣人と苦痛を共有できない、それが輪島の市街地の状況です。

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震災13日め-1

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どうゆうことが原因で、床、柱が下がっているのか知りたくて、本堂前面の床下に入ってみました。
束石が土台の土の中に潜り込んでいました。
地震による本堂の上下動により、地盤をつき固める強い胴突き(土突)の力が働いたんだろうと想像しました。

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震災12日め-5

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訪問されたご門徒の方に教えてもらいました。
正覚寺の本堂の下を通っていると思われる南北に走る地震の道とは別に、東西に走る地震の道があると。
教えてもらった隣寺の駐車場を見ると、はっきり分かる亀裂がありました。
亀裂の先に崩れた塀がありました。

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この亀裂のままに被害があるそうです。

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震災12日め-4

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http://www.nsknet.or.jp/~yamabuki/arubamu.html

輪島はかつて江戸時代から明治時代にかけて北前船で栄えた地。
北前船で栄えたご門徒に支えられていた正覚寺も、大変栄えていたようです。
正覚寺は、明治期に2度の火災にあって、2度本堂を建てています。
私がお参りに出始めた30年前は、まだ明治43年の大火を生きた人がおいでました。
その方々が私に聞かせる話は皆同じでした。
焼け落ちた本堂は、明治初期の火災による再建で真新しく、大きさも造りも大変立派なものであったと。
そして、明治43年の大火後再建された現在の本堂は、貧弱にせざるをえなかったと。
貧弱になったと御門徒が嘆いた本堂が現在の本堂です。
震災にあって改めて見ると、貧弱どころか末寺の本堂としては本当に立派な凝った造りだと思います。
見つめれば見つめるほど、なんとか修復・維持できないものかと思いますが、現状は厳しいと覚悟しています。

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震災12日め-3

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この土地はかつて田んぼであったところで、明治43年の大火後、町の政策により強制移転させられた土地です。
このようなことを書くと、隣寺に失礼だし、正覚寺の自慢になるので嫌らしいのですが、当初、町から提示された正覚寺の移転先は現在の隣寺の境内地だったそうです。
ところが、隣寺から、田んぼを埋め立てする余裕がないから移転地を変わって欲しいと申し入れられ、正覚寺はその申し入れを受け入れて現在地に再建したそうです。

田んぼを埋め立てたので地盤が軟弱です。
そのために補強のために新しい束がたくさん立てられています。
その新しい束柱と束石が大きくズレています。

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震災12日め-2

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今日は、ご案内が届いたのと天気が良かったせいだと思いますが、御門徒の方々の訪問がありました。
みなさん、正面の道路から見る本堂の姿と、中に入って見る姿のギャップに驚かれ、中には涙ぐむ門徒さんもいらっしゃいました。

不謹慎な表現ですが、私も女房も観光寺院のガイドのようになりました。
正覚寺には被災状況見学コースも出来上がってしまいました。
でも、御堂座敷はもう何日も見ていられないと思います。
市役所から詳細な調査に来たら、即刻取り壊しだろうと思います。

門徒さん訪問の合間に本堂の道具を集める作業をしました。
私一人で運べるものはほぼ集め終えたと思います。
あとは大きなものや天井から吊り下げられている物なので、建築関係の友達の手伝いが必要です。

そうそう、昨日は、御堂座敷の物置から座ぶとんなどの備品を、3男の友達の新高校1年生たちが運び出してくれました。
大人たちが呆然とするような状況の中、子供たちは経験したことのない作業を楽しそうに遊び感覚でこなしてくれました。

御堂座敷の建具は、素人では外せない状態でしたが、友達の建具屋さんが高校3年生になる息子とボランティアしてくれ、保管もしてくれることになりました。

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道具を運び出すと改めて塗り物、門徒の漆器職人さんたちが塗ってくれた道具の多いことを感じます。
内陣の柱なども輪島塗ではありませんが、門徒の職人さんたちによる天然漆塗りです。
建物にふんだんに使われている彫り物の飾りや組み物と合わせて、ご門徒の皆さんの信仰心のあつさを感じます。

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震災12日目-1

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昨日、本堂入り口のフードに張りつけられていた大切なものの存在を忘れていました。
市の調査で被害ありと判定されたという趣旨の貼り紙で、これにより罹災証明という、全壊・大規模半壊・半壊・一部損傷という災害による損傷を認定した証明書が発行されます。
もちろん、被害無しという判定もありますが、その検査済証は上記のようなピンクではなくグリーンです。
罹災証明は、義援金の配布や損傷家屋の取り壊し費用の補助など公的支援、生命保険や損害保険、銀行融資などの私的支援を受ける際に不可欠なものです。

隣近所に、お婆ちゃんの一人暮らしで、そういう情報(市役所からの公報に掲載)を知らないため、玄関に貼ったまま放置している家が何軒もあったので、おばあちゃんたちに大切な紙なんだと教えてあげました。

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地震11日目-3

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地震直後の中尊前(ご本尊・阿弥陀様前)、前卓・上卓のものも、阿弥陀さんまでもが飛び散らかっています。

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祖師前(親鸞聖人前)も、中尊前同様、卓上の全てが飛び散りました。

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不思議なのは、御代前(本山の歴代上人)と太子七高僧前、法名前は、軸が落ちたり、鶴亀の燭台、菊灯は倒れていましたが、花瓶はそのままでした。

本堂中心部に大きな揺れがあったのだと思います。

赤や黄色のバケツは、雨漏りをしている箇所です。

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震災11日目-2

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本堂の道具を集めていたら、こんな軸がありました。

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震災11日目-1

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昨日のボヤキの続きですが、教務所(本山)の通知に、小屋組(天井裏・屋根裏)の損傷を写真に撮れとあります。
正覚寺は、いつでも小屋組の調査に上がるように入り口が儲けられていますが、私一人で小屋根に調査に入る勇気が持てません。
本山の小屋根ようにしっかりした廊下のような常設の足場があればいいですが、正覚寺のような一般末寺ではそのような設備はありませんから、梁の上を歩かなければなりません。
余震はほとんど収まったようですが、それでも今朝は震度3の地震があり、小屋根に上がる勇気はありません。
天井がなければ、床からある程度確認できるでしょうが、正覚寺には廊下にも天井があるので小屋根に上がる以外に確認する手段はありません。
教務所(本山)の指示は現実的ではありません。

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屋根、瓦の被害も写真では表現は困難です。
正覚寺は、のき・ひさしが高いのでのきの瓦のズレ、屋根の波打ちを写真で伝えようとするのですが、写真では伝えることが困難です。

その他、壁のはがれや床が落ちている状況などを撮影するのですが、これらも写真では伝えるのが困難です。

正覚寺を訪れた方は、皆、写真と現実は違う、実際に見なければ分からないとおっしゃいます。
どうして本山は調査員・審査員を派遣しないのでしょうか?

正覚寺の所属する真宗大谷派能登教区第七組は、比較的僧侶の年齢が若い組です。
それでも、50才を過ぎた私が住職若手ナンバー2です。
過疎高齢化はご門徒ばかりではありません。
一般社会では高齢者として扱われる老夫婦が、住職・坊守という寺院が能登には多いはずです。
そのような人たちに、損傷を自分たちで写真で伝えろというのは酷な指示だと思います。

また、写真などの各寺から提出された被災の報告文書を誰が審査するのでしょうか?
教務所で審査されると、正覚寺はとても不利だと思います。
教務所(本山)相手に調停・裁判をした寺を救済したくないと思うのは、教務所(教区)の人情として当然だと思います。

また、共済審査会のメンバー構成によっても有利不利が出ると思います。
親戚・友人・知人の寺を助けたいというのが普通の心情。
政治的に影響力をもつ寺に手厚く、政治的な繋がりを持たない寺が手薄になるような審査はしないで欲しいと思います。

共済は、被害の大きさと加入口数に応じて保証されるべきです。
第3者により、公正・平等に判定していただきたいと思います。

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震災10日め-3

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本堂の中心部の床下で見つけたひび割れ。
これが断層?

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分かりますか?
柱が完全に束石からはずれてしまっています。
御堂座敷の柱です。
梁といい、この基礎といい、よく倒れなかったものだと思います。

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震災10日め-2

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余震がなくなったので、勇気をもって御堂座敷の屋根裏へ。
梁が全部、本堂の柱からはずれていました。
よく屋根が落ちないものだと思いました。
しっかりした大きな材木で組んであるから保っているんでしょうね。

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基礎部分の損傷、土台と柱のズレを調査せよと教務所(本山)からの指示にあったので、これも勇気を振り絞って本堂の床下に入ったが、とても恐くて深くは入れません。
どの束を見てももう少しだったと思います。

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震災10日め-1

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教務所(本山)から柱の傾きなどを写真に撮っておけという通知が来ました。
垂直に対して水平方向に傾きを撮れというが、そもそも水平が分からない。
なぜなら、柱も傾いているが、床も傾いてしまっているから・・・。
被災している現場が分かっていないものの要求だと思う。
しかし、一応、傾きが分かるように努力してみた。

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震災9日め-2

従姉妹たちや3男の友達に手伝ってもらって、門徒さんへの被災状況のお知らせを発送しました。
下記の文書に8点の写真を貼付しました。

==============================================================

 地震の揺れに耐えながら、いつ何時どのようなことが起こっても不思議はない、そんな阿弥陀さんのお言葉が聞こえるように思いました。
 テレビで何度も流されたらしいので、鐘楼堂の損壊については皆さんご存じのことと思います。しかし、大きな損傷があったのは鐘楼堂だけではありません。本堂後ろの座敷は崩壊寸前です。
 また、本堂は、北側に傾き、土台である束石と束柱が大きくズレています。ご本尊の台座、壁やガラスも崩落し、屋根も全面的に葺き替えが必要で、修復には数億円の費用がかかると思われる状態です。解体するにも数千万円かかると思われます。なにはともあれ、専門家による診断と見積りがなければ判断できませんので、調査を待つしかありません。
 また、本堂は、地震による災害には、本山と農協の共済に加入しています。どれだけの保証をしてもらえるのかによっても判断が違いますから、こちらも査定を待つしかありません。
 ご先祖以来ご門徒の方々の信仰心により建立・維持されてきた本堂ですので、修復するのが理想ですが、数億円の費用がかかるとご門徒の皆様に多大な負担をかけなければなりません。住職といたしましては、できるだけご門徒の皆様に過剰な負担とならない手段を選択したいと思っております。もちろん、ご門徒の皆様の正覚寺ですから、住職の独断で決定するのではなく、役員をはじめご門徒の皆様とご相談させていただきます。
 とりあえず、四月四日から六日までの祠堂経は中止させていただきます。お時間がありましたら、本堂などの損傷の大きさをご覧にお出で下さい。ちなみに、ご本尊は、現在会館広間の床の間に横たわっておられます。

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震災9日め-1

今日の午前中は、地震が起こった時にお参りに出かけるはずだった家のお参りに行ってきました。
その家の阿弥陀さんなども倒れたようで、阿弥陀さんを戻すことからさせていただきました。

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従姉妹と従姉妹の甥が見舞いにやってきてくれました。
従姉妹は、福井から3時間余りの道のりを2度目です。
学生であるその従姉妹の甥は京都からやってきてくれました。
厳しい現実の中で、ホッとした一時でした。

Photo_18
今のところ大きな損傷が見つかっていない会館(庫裏)の広間です。
当分はここを仮御堂としても活用するつもりです。

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震災8日め

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正覚寺の向いの家が1軒取り壊されました。
倒壊家屋の発表が昨日の朝のニュースではは120軒程度でしたが、夕方には300軒を越えていました。
今後ますます調査が進むに従ってその数字が増えていくのでしょう。
素人目には表向きはしゃんと建っているように見える建物が、横や裏、内部を調査すると取り壊さざるをえないほど損傷してしまっているということですね。

市による罹災の調査もまだまだ待たなければならないようですし、本山からの損傷の調査と見積りもいつになるのか分かりません。
農協はとりあえず来ていったようですが、専門の調査員による調査はいつになるか分かりません。
どのようになるか分かりませんが、気長に取り組むしかありません。

長男は輪島市役所の職員です。
地震の夜は徹夜でした。
その後も、夜中に帰宅して翌日は普通に出勤するという毎日です。
職員の誰かが過労で倒れるのではないかという状態のようです。
自宅が倒壊してしまっている職員も、私的な生活より公務を最優先して働いているようです。
公務員は、昔はお役人様と呼ばれて尊敬されましたが、現代では批判の対象です。
でも、少しだけ、市民のために滅私奉公の精神で頑張っている公務員を認めてあげて下さい。

市役所職員が、罹災証明の調査に回っているんですけど、その調査員を取り囲んで、回る順番などでもめ出すそうです。
そんなことで足止めさせなければ、1軒5分程度の調査で進めるものを30分も時間を無駄にしています。
多かれ少なかれ、皆、罹災者なのに、自分さえ良ければ・・・ってエゴはやめてほしいと思います。

自分のところは被害がなかったと周囲に公言している人、今朝、「一部損傷」という罹災証明が気に入らないと市役所に怒鳴り込んだらしいです。
おかしいでしょう。

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