« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007年11月

能登半島地震 被災から251日目

20071130_006
今日も瓦を降ろす作業が続けられました。
この時期にしては比較的暖かい穏やかな日でよかったと思います。
急勾配の高い屋根の上での作業に、雨や風が加われば危険過ぎる状況になります。
先日も25mという台風並みの風が吹き荒れました。
そういう季節でのこの1週間の穏やかな天気は、仕事を依頼した私にとってもありがたい天気でした。
このまま近所に大きな迷惑や事故がなく解体作業が完了することを願うのみです。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から250日目

20071129_002
今日は寒いですがいい天気。
この天気の間に瓦を降ろせればいいと思います。
天気はよいのですが、今日は風が少しあり、埃などが飛びます。
ご近所には申し訳ないと思いますが、どうしようもありません。
20071129_005
大きな屋根なので瓦を降ろすだけでも大変です。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から249日目

20071128_001
鬼瓦を降ろす作業が行われています。

昨日(27日)午後2時半頃、川向こうのお寺の報恩講・大逮夜のお参りの最中に、ド・ド・ドという建物全体が動く振動。
私は、その前にドーンという音が聞こえたので雷が落ちたのだと思ったのですが、一瞬大きな地震かとも思いました。
小松基地からのスクランブル発進じゃないかという感想もあり、輪島では大きな話題になりました。
今朝の新聞によると、輪島市役所や測候所へ不安を感じた住民から多くの問い合わせがあったようで、どうも能登半島60~80Km沖で訓練をしていた戦闘機のマッハ(音速)による衝撃波ではないかということでした。
朝日新聞 ・ 読売新聞

ソ連の時代には、シベリアの基地からやってくるソ連機に対して小松基地からスクランブル発進がたびたび行われ、音速の戦闘機によるドーンという衝撃や戸がガタガタとなることは日常的にありました。
それが、今年震災に逢ったばかりであったことと、戦闘機の衝撃波が久々の経験であったことと、その衝撃が大きかったことなどが重なって私たちに大きな恐怖感を与えたのだと思いました。

20071128_002
高い屋根の上で作業が行われています。
私は、川向こうのお寺の報恩講・満座にお参りさせて頂きます。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から248日目

20071127_003
今日は棟瓦の撤去作業でした。
棟の瓦はしっかりと止められているようで1枚1枚に時間がかかり作業がはかどらないようです。
特に鬼瓦を降ろすのに労力がいるようで、今日1日で両面の鬼瓦を降ろすことができませんでした。
鬼瓦は、記念に境内の隅に残すつもりです。

20071127_004

今日の午前中はお葬式と月忌が1軒。
午後は、還骨と中陰(初七日)、そして川向こうのお寺の報恩講・大逮夜にお参りさせて頂きました。
夜は御伝鈔を拝読させて頂きます。
これまでは若手ということで御伝鈔の上巻ばかり拝読させていただいてきたのですが、今夜は下巻の拝読予定です。
1~2度しか拝読したことのない下巻なので少々不安ですが、いつの間にかそういう歳になったのだと思いました。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から247日目

20071126_006
今日から屋根瓦の撤去作業が始まりました。
急勾配の屋根の上での作業、下から見ていても恐い作業です。

20071126_007
正面の瓦が降ろされました。
防風スクリーンがなくなった本堂を改めて眺めるといびつなのが分かります。
アルミの柱がなかったらもっと傾いていたかもしれないと思いました。

今日の午後は、川向こうのお寺の報恩講にお参りさせていただきました。
文類偈や五三淘という私にとっては年に2・3度しか勤めない勤行で、所々とまどいながらお勤めさせていただきました。

今夜はお通夜、そして復興委員会です。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から246日目

今日のお葬式は、大正11年生れの85歳の男性でした。
大正11年といえば、私の父親も大正11年2月1日生れでした。
私の父は満70歳で亡くなりましたから、父が亡くなって15年経ったことになります。
来年は17回忌です。

お参りでの話題はどこへ行っても正覚寺の本堂のこと。
御門徒の方々にとっては何よりの関心事だと思いますが、一般の方々にとっても大きな関心事のようです。
仕方がありません。

夕方には、末期がんで亡くなった74歳の女性の内輪のお通夜でした。
私の母も5年前に末期の肺ガンで73歳で亡くなりました。
来年は7回忌です。
それにしても今の時代、70代というのは若いです。
20~30年前なら、80歳で亡くなれば大往生だと、お祭り騒ぎのドンチャン騒ぎでした。
それが今じゃ、100歳も珍しくありません。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から245日目

20071124_2
防風スクリーンが取り払われた本堂は、服を脱がされて裸にされたように見え寒そうです。
スクリーンに囲まれている時にはわかりづらかった御拝の柱の傾きが見えるようになりました。

明日から輪島の多くのお寺で一斉に報恩講が勤められます。
お参りできるようにと25日から28日まで午後の日程は空けてあったのですが、皮肉にも2軒続けてお葬式になってしまいました。
農協の葬祭会館ができてからは、お葬式が葬祭会館の順番待ちという状態で、2軒目のお葬式はそのせいだと思うのですが、27日のお葬式になりました。
27日は報恩講大逮夜の日、出仕の約束を反故にしなければならなくなり申し訳なく思っています。
世の中は思い通りに回ってくれません。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から244日目

20071123_002_2
防風スクリーンが解体されました。
正覚寺は、海岸から約200m(埋立により現在は450m)の距離で、海岸に向かって北向きに建っています。
冬ばかりではなく、年中、雪や雨が吹きつけるので防風スクリーンを設置していました。
軒まで既製品の部材が間に合うギリギリの高さのため柱は太いものが使われ、当初はもったいないので再利用する予定でした。
しかし、再利用できるように解体するためには費用がかかり、小規模なものなら新設した方が安上がりなため、再利用は断念しました。

今日の午後、52歳という若さで亡くなった方のご法事にお参りさせて頂きました。
同じ町内であったため時々車ですれちがいました。
とてもシャイな方でぶっきらぼうに口を聞く人でしたが、とても優しく思いやりのある人でした。
お仏壇の横に写真が飾られていましたが、お経を読む目の前に照れ臭そうな笑顔が浮かびました。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から243日目

取り壊しが始まった今も、本堂を見せて欲しいという方がお出でます。
「もったいない、このくらいの傾きなら簡単に直せるでしょう?」と、これまで何度も聞いてきた言葉。
私も、「資金さえ準備できれば修復できます。」と何度も口にしてきた答え。

近頃、聞こえてくる意見は、解体する本堂の部材が値段で売れるはずだというものです。
確かに古材の売買、再利用は行われています。
しかし、問い合わせたところ、解体と抱き合わせでなければ買取りに応じてもらえなかったり、取り引きのエリア外であったり・・・。

私が伝えているよりも安い資金で本堂の修復が可能なはずだと言っている人もいるようで、巷では色々と評論・批判がなされているようです。
私は建物の素人ですから、様々な知恵を出して頂くことはとてもありがたいことです。
業者や専門家を紹介して頂いたり、資料を提供して頂ければ参考になるのですが、・・・できるはずだという具体的な根拠のない想像・推論は、私にとってはストレスになる困りものでしかありません。

専門家の助言・説得にもストレスになる無理難題があります。
それは、総ケヤキ造りという立派な部材で建てられた大きな本堂を取り壊すべきではないという説得、批判です。
修理費と今後の維持費を負担して頂けるなら、私は大きな本堂の住職をカッコよく勤めさせて頂きます。
しかし、大きな本堂を建てるほど隆盛を誇った寺が、その本堂を修復できなくなるほど衰退する、それが過疎の現実です。
ボランティア、専門家としての復興支援はありがたいのですが、被災した当事者の抱える実情も理解して欲しいと思います。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から242日目

20071121_001
昨日、作業をしていないのかと思ったら、虹梁に座ぶとんが当てられていました。
少しだけですが、本格的な解体の準備が進められているようです。
気休めのようにも見えますが・・・。

20071121_002
今朝、数人の作業員の姿が見えたので、作業が行われるのかと思ったら、重機が1台になっていました。
余所の急ぎの現場で忙しいのでしょう。

今日も目まぐるしい天気です。
明るい晴れ間があるかと思えば、突然の雨・アラレ。
10度にならない気温で、今夜も雪がちらつく予想。
屋根上の危険な作業は、少ない晴れ間に行って欲しいと思いますが、日一日と条件が厳しくなっていきます。
決して急いではいないのですが、震災以来待つことばかりで、待つこともストレスになります。
まもなく震災から8ヶ月になろうとしていますが、本山の共済は何の連絡もありません。
本山は、単に給付金をケチっているだけで、末寺の復興支援なんて気持ちは全くないのではないかと思えます。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から241日目

20071120_002
土曜日の夜は、雷にアラレという荒れた天気、
日曜日の夜は、山側では初雪という冷え込み。
で、昨日から回復するという予報でした。
ところが、今朝から雷に雨・アラレ、おまけに小型台風並みの風がビュービューと音を立てて吹いています。
11月下旬のこういった荒れた天気を輪島では「おしっちゃ荒れ」と言います。

「おしっちゃ」というのは、報恩講のことです。
本山(東本願寺)で勤められる報恩講は、11月21日から28日まで勤められ、それを七昼夜報恩講と言います。
輪島の寺格の高い大坊では、許可を受けて本山と同じ七昼夜の日程で報恩講が勤められてきました。
だからだろうと想像しているのですが、輪島では報恩講をお七昼夜(おしっちゅうや) → おしっちゃ と呼びます。
ちなみに正覚寺は、11月25日から28日まで三昼夜報恩講でした。

本山などで勤められる11月28日の親鸞聖人の御命日を満座として勤められる報恩講を、御正忌報恩講と呼ぶのに対して、末寺などが御正忌をはずして行う報恩講を、引上会またはお取越しと呼びます。
本山から百里以内の寺院は、引上会(お取越し)を勤めて、ご門徒と共に本山の御正忌報恩講に参詣するという決まりがあったらしいのですが、輪島などの能登半島先端部の寺院は、本山から百里以上の距離があるために本山と同じく御正忌報恩講を勤めることが許されているのだと教えられました。
現在は、農作業など御門徒の生活も変わってきたことから、輪島の地域でも報恩講の日程を繰り上げて、引上会報恩講を勤める寺院が増えつつあり、正覚寺も近年は試行錯誤しながら11月8日から10日(+11日は永代・祠堂経会)という日程で二昼夜の引上会報恩講を勤めています。

北陸地方は真宗王国と呼ばれる地域ですが、その中でも輪島は曹洞宗の本山(祖院)である総持寺があるにもかかわらず、ほとんどが真宗門徒と言ってもよいほど真宗大谷派が独占している地域です。
そんなことから、真宗寺院の行事に便乗しているのだと思いますが、輪島の曹洞宗の寺院でも11月から12月にかけて「おしっちゃ」と呼ぶ行事が行われます。
さすがに親鸞聖人の報恩講ではないと思いますが・・・。

で、話が戻りますが、報恩講の準備をする11月20日頃から報恩講が勤められる下旬にかけて、毎年必ずと言っていいほど雷が鳴りアラレや雪が吹きつけ天気が荒れることから、輪島では11月下旬の荒れた天気を「おしっちゃ荒れ」と呼びます。
また、この時期から冷え込んだ日に雷が鳴ると雪が降ることが多いことから、これからの雷を伴った荒れた天気を「雪出し」とも呼びます。

今日は荒れた天気でとても解体工事ができそうにありません。
風で瓦が飛び、事故が起らないことを願うのみです。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から240日目

昨日、宗派関係の資料を探していたら、資料の入ったカバンの中から短い原稿が出てきました。
何のための原稿だったのか記憶がありませんし、その原稿を使ったという記憶もありません。
人間(私)、お経に書かれている教え通りに生きられないばかりか、自分の思い通りにも生きられないってことがよくわかります。
三日坊主すらできません。

============================================================================

先日、お参りの席で、40代と思える男性から次のような質問をされました。
 「お坊さんの本当の仕事は、お経を読んで葬式や法事をして歩くことではなく、門徒の人に仏の教えを説くことではないですか?
たとえば、家庭内暴力で迷っている子供たちを救ってやることが仕事だと思うのですがいかがでしょうか?」
という質問をされました。

 私は、恥ずかしさで顔が真っ赤になりました。
とても自分の日暮らしが僧侶の日暮らしだとは思えなかったからです。
いかにも悟り切ったような顔をして、少しばかりの知識と巧妙な口でご門徒に媚びる、小商人的俗物性に満ちた希代の詐欺師ごときの自分をいかにも僧侶であると思っていました。

 私たちは、生きるために働いています。
働くのは食べるためです。
食べて生きるためです。
しかし、いつのまにか働いて食べるばかりに一生懸命になって、生きることを忘れてしまっているように思います。
坊主だってカスミを食っては生きられない、そんなもっともらしい言い訳ばかりの生きざまになってしまっています。

 世の人も同じです。
快適で便利な快楽に、大きな危険と犠牲が伴っていることに気づかずに、目先の欲に躍らされて、生命を賭けてまで電力を作り出しています。
生命を育む自然環境よりも、経済の安定=お金の方が大切なようです。

 この世で最も大切なものは生命です。
そんなことは誰でも知っている当たり前のことです。
しかし、豊かな自然の中で人間が人間らしく軽やかに生きる、そんな当たり前のことが当たり前でなくなっています。
最優先されるのが生命ではなく、お金が最優先の世の中です。
生命よりもお金と快楽です。
これほど人間として根本的な迷いはありません。
「奪われつつある生命の尊厳の回復」
そのことが今ほど求められている時はないように感じます。

葬式や年忌は神主らもしています。
形だけの伽藍に住み、きらびやかな金襴の袈裟を着け、山海の珍味を飽食することは誰でもできます。
僧侶にしかできない、僧侶としての本当の仕事、今それが求められているんだと思いました。

============================================================================

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から239日目

20071118
境内に3台の重機、明日からこれが活躍することになるのだろうと思います。
とりあえずは事故がないことを願います。

今日の午後は、女房の実家のお寺の報恩講・満座にお参りさせて頂きました。
狭い輪島の地域ですが、正覚寺などの海岸に近い地域のお寺は午後に行事があります。
山村の地域のお寺は午前中に行事を集中して行い、午後は何もありません。
御門徒の生活に合わせた日程になっているのだと思います。
正覚寺の本堂も大きな本堂ですが、女房の実家の本堂は、その正覚寺の本堂より一回りも二回りも大きな本堂なのですが、その大きな本堂に20~30人程度の参詣者でした。
田舎のお寺は参詣者が多いというのが定説のはずですが、厳しい状況に変わりはないように感じました。

お参りの後、お茶をいただきながらの話題は震災からの復興について・・・。
女房の父親が、
「それにしても本山は何も言ってこないなぁ!共済に入れ入れとうるさかったくせに・・・」
と、共済の給付金の提示が遅いことに不満を述べます。
住職として50年以上、本山の御依頼に応えて宗派の護持に勤めてきた老僧からも不満が出るほど、本山の対応からは全く誠意が感じられません。
壊すものは取り壊さなければなりませんし、直すものは修理しなければならず、いつまでも本山の提示を待てないので被災した寺は厳しい状況にあります。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から238日目

今日の午前中は、六和精舎の1昼夜報恩講の結願日中という締めくくりのお参りでした。
参勤法中(僧侶)8名に対して参詣者は10名余りもいらっしゃったでしょうか?

夕方からは真宗入門講座というご門徒の方の学習会でした。
今日の学習内容はお勤めの練習でした。
受付以外は裏方のスタッフとしてお世話してきました。

いつの間にか重機が3台に増えています。
来週は本格的に解体工事が始まるのだと思います。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から237日目

ほくぎん らくらく家計簿
Ka_3
今日の午前中、女房が不愉快な思いをして銀行から帰ってきたようでした。
報恩講があったために20件ほどの入出金があったらしいのですが、
明細を1件ずつ分けて記帳すると窓口の行員の負担になるので、
今後はまとめて入出金するようにと支店長補佐から言われたそうです。
その際、大口の取り引きのある上得意の客ならともかく、
お前のような小口の客が手をわずらわせるなという口ぶりだったようです。

ひんぱんにそういう出し入れに窓口を訪れて嫌がらせをしているというならともかく、
そういうことは報恩講後にあるだけのことです。
しかし、それを逆に言えば、それだけの取り引きしかない大したことのない客ということです。
銀行にとって面倒くさいだけで大したメリットもない厄介者の客ならば、はっきりと来ないでくれと言われた方が気持ちが良いと思いました。

 

今日の午後は、六和精舎(通称本山事務所)という輪島地区のお寺で共同管理しているお寺の報恩講のお逮夜にお参りしました。
10人余りの参勤法中(僧侶)と参詣者のどちらが多い??っという参詣者で、正覚寺ばかりではなく輪島地区の寺離れの厳しさをここでも目の当たりにしました。
お参りの後、隣の居酒屋のおでんで一杯飲みました。
私は、10月30日以来の久々の酒で、1合ほどいただきました。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から236日目

20071115_001
今日も解体屋さんは休み。
雨の天気予報だったのですが、午前中は大丈夫という女房の言葉に従って中庭の池の金魚の引っ越しをしました。
1日休みだと勘違いしていたのですが、作業中に午後から2軒お参りがあると女房から告げられました。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から235日目

夕べは頼母子講でした。
飲まずにいられる?っという女房の言葉でしたが、友人の誘いにも乗らずにお猪口1杯ほどのワインのみで、十六茶で会食を楽しみました。

今日は秋晴れの穏やかな良い日です。
昨日・今日と解体屋さんは他の現場が忙しいようで、正覚寺の現場は休みです。
工事をしていない時は、本堂正面の出入り口は重機などで危険防止に封鎖されています。

20071114_002
来週には屋根瓦を降ろす作業になるので、女房と二人で、本堂に隣接した家へ挨拶をしました。

今夜は、復興委員会です。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から233日目

20071112_013
8時半から本堂とのお別れのお参りをしました。
設計士さんや解体業者の方々、ご門徒や友人20名ほどの方がお参りして下さいました。
今日はゴミの方づけや周辺の木の整理などで1日が終るそうです。
3日ほど後から本格的な解体工事が始まるようです。

先輩の101歳になるお祖母さんが亡くなり、今夜がお通夜で、明日がお葬式です。
お手伝いを兼ねてお参りさせていただきます。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から232日目

正覚寺では、例年だと報恩講の満座の翌日に祠堂経(永代経)を勤めます。
1年の間にお葬式をされた方が、報恩講に合わせて祠堂経(永代経)志を寄進するというのが輪島の習慣です。
かつての稲刈りが終った11月下旬に報恩講を勤めたので、農業の収入で祠堂経(永代経)を納めたのでしょう。
輪島では、どのお寺も報恩講を勤めながら祠堂経(永代経)を勤めるというのが常識です。
その祠堂経(永代経)を、正覚寺は昔から報恩講を勤め上げた翌日に勤めているのです。
しかし、今年は本堂が使えないので、昨日(報恩講の満座)の午後、今日の午前・午後の3回に分けて祠堂経(永代経)のお経を勤めました。
例年だと、輪島の方言で「かすもみ」というお手伝い下さった方々の慰労会(打ち上げ)をするのですが、今年は明日から解体工事が始まり、その前に本堂とお別れのお参りもしなければならないので、それも中止させてもらいました。
例年だと1年で最も大きな行事である報恩講を終えてホッとしているはずなのですが、今年は報恩講を勤め上げたという気がしません。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から231日目

20071110_002_2
仏具が運び出されてがらんどうになってしまいました。

今日の報恩講の参詣は、30人余りでした。
お参りとすれば、まずまずかと思いますが、本堂の復興を考えると不安になります。
お参りに来ない人たちは正覚寺を見捨てるのだろうかと心配になります。
しかし、解体は止めるわけにはいきません。
とりあえず解体して、その後を煮詰めていきます。
それにしても、本山の共済の提示の遅さには参ります。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から230日目

今日の参詣は、30~40名でした。
例年からすると若干少なめのような気がします。
本堂が使えないので、午前中にお逮夜(前日の午後のお参り)を勤めて、お斎(昼食)を食べていただいて、午後はお参りをなくしました。

報恩講といえば精進料理、ところが漁師さんのご門徒にはそんなことは関係ありません。
今日は、トロ箱一杯のイカをいただきました。
参勤して下さった僧侶方に御礼としてお分けしました。

今日の昼過ぎに造園業の方が庭木などを見に来て、残すべき木を指定し、大切な木を預かってくれることになりました。
夕方には、仏具屋さんが来て、設計士さんと打ち合わせをし、今日、明日で大きな仏具を運び出して預かってくれることになりました。

Shumidan
前回までの打ち合わせでは、設計士さん、仏具屋さんとも使わないということになっていた須弥壇ですが、今日の打ち合わせで寸法を小さくして再利用することになりました。
須弥壇の上の宮殿は、使えない、使わない方がよいようです。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から229日目

今日の午後のお参りは7人程度でした。
私だけならお参りが少なくても気にならないのですが、参詣者が少ないと布教使さんらに申し訳なく思います。
7人でもお参りして頂ければホッとします。

昨日から設計士さんが、大工さんのアドバイスを受けたり、本堂内の様々な部材や備品のサイズを計っています。
できるだけ現本堂の部材を再活用するためです。
安く解体し、できるだけ部材を再活用するという矛盾した条件の中で頭をひねっています。
明日の午後は庭師さんが来て残す庭木と撤去する庭木を選別してくれるようです。
12日の解体着工に向けて準備が進められています。

今日の夕方、診療所で受診してきました。
先日の検査の結果、尿酸値は7.6で、正常値3.7~7.0より高い数値で、とりあえず1ヶ月尿酸値を下げる薬を飲んで、1ヶ月後に再検査することになりました。

2007118
11月6日はズワイガニ漁の解禁日。
今日はお隣からカニのおすそ分けがありました。
出荷してもお金にならない屑ガニです。
型が小さかったり、足が欠損していたりというだけで味が劣るというわけではありません。
小さいのを1パイだけと思いましたが、女房から「ダメ!」の一言。
ズワイガニは痛風の原因となるプリン体を多く含んだ食物の1つなのです。
残念!

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から228日目

2007117
明日からの報恩講のお参りの準備をしました。
っと言っても、五具足という仏具はなし、お花立てをする必要もなし、親鸞聖人の一代記を表した御絵伝も掛けられず・・・全く報恩講という実感がありません。
でも、本堂が使えないばかりか、私の左足も痛風で満足には使えないので、住職に見合った報恩講かもしれません。 (;^^)

土・日と月曜日は年休を取ってもらってお参りは長男に代わって勤めてもらいました。
昨夜は6日ぶりにご門徒のご法事に出掛けました。
足袋がはけないので、白いソックスをはき、草履が履けないので、サンダルを履き、正座が出来ないので、あぐらで失礼しました。
食事の準備がしてあり、泡盛が準備されていたのですが、お断りしてお寿司をつまんでお話し相手をさせて頂きました。
食事があるというので、長男らは危ないものを食べないだろうかと心配していたようです。 (^^ゞ

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から226日目

Photo(横浜市営地下鉄)
今日の北陸中日新聞の朝刊の特集で残念なニュースの追跡記事を読みました。
下記は、私が読み落としたのであろう10月29日の記事です。

==========================================================================

無念の優先席ステッカー 全席優先席 阪急が断念


 阪急電鉄(大阪市)は「全席が優先席」との理念から八年前に全国で初めて廃止した優先席を二十九日から全線で復活させた。

 高齢者らから「席を譲ってもらえない」との意見が毎年十数件寄せられ、今年六月の株主総会で高齢の株主から復活の希望が出たのをきっかけに検討。一両当たり、八-十人分を設け、ステッカーを座席付近に張って周知することにした。

 「優先席と書いてあると空けておかなきゃという気になる。今後は見かけたら譲ろうと思う」と大阪市の女子高生(17)。妊娠八カ月という兵庫県西 宮市の女性会社員(31)も「これまで席を譲ってもらったことがなかった。ちゃんとつくった方が譲りやすくなるのでは」と歓迎していた。

 阪急の関連会社の能勢電鉄と神戸電鉄も、廃止していた優先席を同日、復活させた。

==========================================================================

『お年寄りや体の不自由な人たちなどを大切にし、いたわる』
こんなことは、「優先席」などというステッカーで呼びかけなくとも、日本人にとっては当たり前のことであったはずです。
しかし、「困っている人に席を譲るのは当然」という感覚は、もはや当然のことではなく、特別なことになってしまい、「自分さえ良ければ・・・」という身勝手さがこういうところにもはっきりと現れているのだと思います。
もちろん、若者だって疲れていることもありますし、けがや病気などで体が不自由なこともありますから、若者だから必ず席を譲るべきだと親切を強要するのは間違いだと思います。
「他者を大切にし、いたわる」ことが、すなわち「自己を大切にし、いたわること」、そういう感覚で自発的に弱者に席が譲られる、そういう社会が理想だと思います。

「全席優先席」は、横浜市営地下鉄のみになるようです。
Photo  Photo_7

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から225日目

2007114_002_2
これは報恩講に参詣に来られた方にさし上げるお飾りを入れる封筒です。
昨年までは、「恩徳讃」を印刷した左側のデザインを使っていましたが、長年にわたってワンパターン化しているので、参詣された皆さんに何か今年にふさわしい法語がないかと探したところ、安田理深先生のことばが目に止まりました。

「火事が教えてくれたこと」
『「焼かれた」のでもない、「焼いた」のでもない。
 ただ「焼けた」と。
 そうすると事実を事実のまま淡々と受けていける。』

火事と地震という違いはありますが、能登半島地震で被災した輪島の人たちに最も響きやすい言葉ではないかと選びました。

そういう私ですが、
「起ってしまったことはどうすることもできない。素直に受け入れるしかない。」
と、震災時には思いましたが、正直なところ、なんやかんやと疲れました。
「なるようにしかならない」と、頭では理解しているのですが、私の性格では「なんとかなるさ」と気楽には構えられません。

痛風ですが、昨日の朝から痛みが和らぎ鎮痛剤の服用を中止しました。
痛みはほとんどなくなったのですが、腫れがひかず、親指側はしびれたような感じがします。
腫れがひくのを待つだけです。
動き回ることができないので、明日は、報恩講のお飾りの準備をします。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から224日目

自分が発病するまでは、痛風という病気は、肉類を好む酒飲みがなり足などに激痛が起る病気だと思っていました。
もちろん、過剰な飲酒、過剰なエネルギーの摂取も発病の要因なのですが、他にもストレスや激しい筋肉労働というものも要因として作用しているということです。

もっと意外なのが食物で、野菜類はたくさん食べてもいいのですが、大豆などの豆類は、納豆を1日に小さめのものを1パック程度、豆腐も半丁程度までで、あまり食べ過ぎてはいけないそうです。
ご飯は、食べ過ぎによるカロリー摂取過剰に注意すれば、プリン体含有量としてはあまり気にすることはないそうです。

食べてはいけないもの(出来るだけ控える)と して、肉類、魚類の内蔵(レバー、丸干し等)、エビなどがあげられています。
肉や乾物類(干物や 鰹節、煮干し、干し椎茸など)などでとったスープにもプリン体が多く含まれますのでラーメンのスープなども飲み干さない方が良いそうです。

肉類(牛、豚、鶏肉はプリン体含有量について殆ど差はありません)やアジやサンマなどの干物類、イワシ、イカ、タコ、サンマ、カツオ、牡蠣などは食べ過ぎない方が良いとのことです。

ビールはプリン体の含有量が多いためなるべくさけてプリン体カットの発泡酒か、焼酎やウイスキーなどを飲むように(但し、量が多いと尿酸値があがりますので、焼酎で1日1,2合、ウイスキーで1日水割り2杯程度)したほうが良いそうです。
ワインは血清尿酸値を上昇させにくい、痛風発作をおこしにくいとする報告がありますが、飲み過ぎにはやはり注意が必要というのは当然ですね。

肉類と飲酒量を減らせばいいのだろうと思っていましたが、痛風という病気はかなり厄介な病気だと知りました。
体にいいはずの多くの魚貝類、大豆などの豆類、干し魚や鰹節、煮干し、干し椎茸といった乾物類がダメで、一体何を食べたらいいんだろうっていう病気です。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から223日目

Showasi_2
昨日の午後、報恩講の案内をプリントしながら、この本の最後の章を読み終えました。
本堂などの片付けや報恩講の準備などで、なかなか本を読む時間が取れないので、この本は読み終えるのにとても日数がかかりました。
帝国・軍国主義、軍の圧政、侵略戦争、特攻・玉砕・・・なんとなく昭和20年の敗戦(終戦)までの日本に対するイメージはありましたが、このような本を読むとただ単に悪いというのではなく具体化なイメージができます。
教育基本法の改正や教科書検定、自衛隊の海外派遣や靖国神社公式参拝・・・、戦争を体験した歴史の生き証人が少なくなり、なんとなくタカ派と呼ばれる勇ましい人たちの意見が大きくなっているように感じられる現代日本、歴史を学ぶことは単に過去を知ることではないと思います。

若干気持ちだけ足の腫れが小さくなったように感じます。
今日もお参りがありません。
報恩講の案内の準備をして1日を過します。
っと、予定を立てても何が起るのか分かりませんが・・・。

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から222日目

1週間ほど前から、時々立つ時に左足の甲に少し痛みがありましたが、さほどの痛みでもないし、いつも痛いわけではないので、気にしつつもこれ以上痛くならなければどうってことないと思っていました。
ところが、昨日の昼過ぎから少々痛みが強くなり、午後、川向こうの先輩のお寺の報恩講・満座のお参り後は左足を引きずって帰り、湿布をしました。
正覚寺復興委員会が終って、風呂へ入ろうかと湿布をはがすとどうも左足の親指のつけ根あたりが腫れているように見えます。
不審な様子に気づいた女房がどれどれとやってきて、間違いなく腫れていると言います。
鍼灸院へ行くつもりでしたが、診療所の整形外科を受診することにしました。

夜中の3時すぎにトイレに起きた時は、痛いながらも左足を引きずってトイレへ行きましたが、朝目覚めた時には立って歩けません。
色々やってみましたが、結局、這って居間まで行きました。
どうやって診療所まで行こうかと不安に思いましたが、その頃にはなんとか立って歩けました。

受付で問診をした看護婦さんは、内的な要素からの痛み、痛風(?)っという口ぶり。
レントゲンを撮り終えて、診察室前の通路で会話した看護婦さんは、もう痛風だと決め付けました。
整形外科の先生の診断も痛風だろうとのことで、採血をして検査をしてもらい、1週間後に再診の予約が入りました。
薬局に寄って、1週間分の鎮痛剤と湿布を出してもらいました。

地震もそうですが、人生色々なことが起るものです。

次へ 震災トップへ

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

気象協会

  • 気象協会

最近のトラックバック