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能登半島地震 被災から240日目

昨日、宗派関係の資料を探していたら、資料の入ったカバンの中から短い原稿が出てきました。
何のための原稿だったのか記憶がありませんし、その原稿を使ったという記憶もありません。
人間(私)、お経に書かれている教え通りに生きられないばかりか、自分の思い通りにも生きられないってことがよくわかります。
三日坊主すらできません。

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先日、お参りの席で、40代と思える男性から次のような質問をされました。
 「お坊さんの本当の仕事は、お経を読んで葬式や法事をして歩くことではなく、門徒の人に仏の教えを説くことではないですか?
たとえば、家庭内暴力で迷っている子供たちを救ってやることが仕事だと思うのですがいかがでしょうか?」
という質問をされました。

 私は、恥ずかしさで顔が真っ赤になりました。
とても自分の日暮らしが僧侶の日暮らしだとは思えなかったからです。
いかにも悟り切ったような顔をして、少しばかりの知識と巧妙な口でご門徒に媚びる、小商人的俗物性に満ちた希代の詐欺師ごときの自分をいかにも僧侶であると思っていました。

 私たちは、生きるために働いています。
働くのは食べるためです。
食べて生きるためです。
しかし、いつのまにか働いて食べるばかりに一生懸命になって、生きることを忘れてしまっているように思います。
坊主だってカスミを食っては生きられない、そんなもっともらしい言い訳ばかりの生きざまになってしまっています。

 世の人も同じです。
快適で便利な快楽に、大きな危険と犠牲が伴っていることに気づかずに、目先の欲に躍らされて、生命を賭けてまで電力を作り出しています。
生命を育む自然環境よりも、経済の安定=お金の方が大切なようです。

 この世で最も大切なものは生命です。
そんなことは誰でも知っている当たり前のことです。
しかし、豊かな自然の中で人間が人間らしく軽やかに生きる、そんな当たり前のことが当たり前でなくなっています。
最優先されるのが生命ではなく、お金が最優先の世の中です。
生命よりもお金と快楽です。
これほど人間として根本的な迷いはありません。
「奪われつつある生命の尊厳の回復」
そのことが今ほど求められている時はないように感じます。

葬式や年忌は神主らもしています。
形だけの伽藍に住み、きらびやかな金襴の袈裟を着け、山海の珍味を飽食することは誰でもできます。
僧侶にしかできない、僧侶としての本当の仕事、今それが求められているんだと思いました。

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