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2007年12月

能登半島地震 被災から282日め

Yamaori
寝る前の時間に、この本を読み始めました。
大学を卒業し寺へ帰った頃は、ブッダや親鸞の教えが見える寺を目標とした僧侶としての日々を送りたい、そういう意気込みを持っていました。
しかし、私ごときが発信しても何も反応がなく、ブッダや親鸞の教えを求めている人なんていないんじゃないかと思うようになりました。
「家の宗教から個の自覚へ」、真宗大谷派の同朋会運動のスローガンは、親鸞の教えを聞く教団としては当たり前のことですが、自らが置かれている現実に対する認識ができてはいないのでは机上の空論の理想でしかないように思いました。
山折哲雄の序章の一部に現代の仏教が置かれている立場が端的に書かれていました。

 

「十三世紀の鎌倉時代こそ宗教改革の時代、という常識があることは誰でも知っている。
 法然や親鸞、道元や日蓮のやった仕事だ。
 伝統破壊、個性の発揮、平等観念の深化などという。
 その総仕上げとして、信仰の内面化といったスローガンがつけ加わった。
 それを機に「個人」の意識が芽生え、「近代的人間」の誕生が予告されたというわけだった。

(略)

 鎌倉時代の「改革」運動のすべては、やがて「先祖崇拝」という名のより大きな信仰の流れに呑みこまれていくからだ。
 法然や親鸞、道元や日蓮などの個性的な匂いが蒸発し、ご先祖様を軸とする「墓崇拝」、「骨崇拝」へと姿かたちを変えてしまったからである。
 その体制が国民的規模で固まったのが江戸の近世。
 その信仰のシステムが明治近代をへて今日に及んでいることは、もはや周知のことだ。
 現代日本人の「宗教ぎらいの墓好き」、「信仰ぎらいの骨好き」も、そこに由来する。
 とすれば、そもそも鎌倉時代には「宗教改革」など存在しなかったといってもいいはずだ。
 それがいいすぎならば、せめて流産したというべきではないか。」

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能登半島地震 被災から281日め

午前中は、叔母さんのお寺の代理で諷経(お葬式)のお参りに行ってきました。
旦那寺から2名のお参りで、住職が導師、中学生の住職の息子さんが導師の補佐役をされました。
中学生の息子さんに昨夜特訓をしたそうですが、導師に七条を着けて上げることはできませんので私がお手伝いをさせて頂きました。
私を含めて僧侶は3人だけだったので、私がいなかったらどうされただろうと思いました。
お葬式に向かう時は小雨でしたが、帰りはみぞれ~雪でした。

午後、正月の準備をしました。
しかし、何もすることがありません。
本堂がありませんし、鐘楼もありません。
正月が来るという気分になりません。

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今朝の新聞に折り込まれていた気多大社という羽咋市にある能登一の宮のチラシです。
テレビコマーシャルもしています。
無料駐車場などから10分おきに無料シャトルバスを運行するそうです。
元日午前0時には1千発の花火も上がるようです。
これだけでもかなりの経費でしょうが、経費をかけてもなお十分な収入があるということです。
宗教離れが進んでいるといわれる現代ですが、神社に対する信仰心は衰えてはいないということなのでしょうか?
チラシに片隅に、「きもちもキレイにしなくちゃ。」と書いてあります。
「願い事がかなう」というのが神社神道だと思っていたので、きもちがキレイになるというのには驚きました。
キレイな景色を見て「心が洗われるよう」という日本人ですから、神社にお参りして心が洗われたと思う人もいるのかもしれません。

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能登半島地震 被災から280日め

Buraku
長い時間をかけてこの本を読み終えました。
内容が難しいのではなくて、なんとなく気持ちに本を読む余裕がないので、寝る前の短い時間に少しずつ読んでいたので時間がかかったのです。

部落の起源については、網野善彦「中世の非人と遊女」の方が具体的にイメージできました。
上杉聡「これでわかった!部落の歴史」は、大名や幕府などの統治者が差別を利用してきた歴史が述べられていました。
とても勉強になりました。

 

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整地と部材の移動・整理が行われています。
予想通り地盤が悪く、水がわき上がってくるようです。
設計士さんが、建てる時には地盤改良をします、ということでした。

一昨日、ご門徒の方々へ寄付の御依頼文を発送しました。
今日の午後、早速寄付を持ってきて下さった方がおいでました。
どれだけの方が協力して下さるのか不安に思っているところでしたので、とても嬉しくありがたくいただきました。
年内に御寄付頂けるとは思っていませんでしたので、領収書にハンコを押してなく女房と二人であたふたしました。

夕方、祥月命日のお参りがありました。
まだお若いから再建できますよ、お互いに体に気をつけて頑張りましょう、などの他人事のような言葉にがっかりしました。
○○クラブの会費は出せても寺へ寄付をする気持ちはないのでしょうか?
少し落ち込んで帰りました。

次男が帰ってきました。
初ボーナスで女房と私に時計のプレゼントを買ってきてくれました。
予想外の次男の行動に、沈んだ気持ちがなごみました。

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能登半島地震 被災から279日め

今日はご門徒の満中陰(35日)法要でした。
お参りの方からの質問は本堂のこと。
農協のようなセレモニーセンターの小さいものを建てるのですか?
輪島ではウワサのことを、「輪島の走りウソ」といいますが、小さな町なのですさまじい勢いでウワサが広がっているようです。
毎日のように同じ質問をされています。
鉄筋だとか、大きな保険金が入ったんだとか・・・ウワサも色々バリエーションが増えているようです。
私は、伝統的な形ではなく現代的な形式の本堂です。
公民館や会館にしか見えないかもしれませんが・・・っと答えています。
それにしても、本堂を解体してセレモニーセンターに建て替える、不思議な発想です。
そんなことをしたら寺ではなくなります。

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能登半島地震 被災から278日め

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[12月の法語]
『人はともに敬い親(した)しみ、
 憎しみ嫉(ねた)んではならない』

ご門徒さんへの案内を印刷していたら、柱に掛った真宗教団連合の法語カレンダーが目に止まりました。
とっさに思いました、誰だこんな道徳みたいな当たり前の法語を選んだ奴は・・・と。

誰の言葉だろうとインターネットで調べたら、「出典:大経」とありました。
お釈迦さんのお説教には道徳的な言葉も多いので、お経の中にこういう教えがあっても不思議はありません。
それに、「いのちの尊厳」といわれれば奥深く聞こえ、「いのちを大切に」といわれれば世間の常識としか思えないのは私の受け取り方の問題かもしれません。

真実というのは、気づかない者にとっては難解なものですが、気づいた者にとっては当たり前のことです。
12月の法語は、気づかさせてもらわなくとも、こんなことは世間の常識だろうと私は思ったのです。

しかし、12月の法語の言葉は世間の常識かもしれませんが、常識が常識として通用しているだろうかと思いました。
連日のように人が人を憎しみ嫉んだ事件が報道されています。
当たり前のことが当たり前ではない世の中なのです。

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能登半島地震 被災から277日め

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裏のアパートの新築工事です。
夜なべ(残業)をしています。
地元の業者なので忙しいのと、竣工の期限が決められていて急がなくてはならないのかもしれません。

年末になって慌ただしく街のあちこちで解体工事が行われています。
震災による廃材処分場の無償受け入れが終了するため、駆け込みで解体が行われているようです。

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能登半島地震 被災から276日め

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正覚寺の東隣の家の玄関先で工事が行われています。
地震でデコボコになったので修復しているようです。
輪島の冬には珍しく3日続けての小春日和で、外の作業には助かると思います。

夕べは、輪島の市街地のお寺7ヶ寺の忘年会でした。
今日は、ご門徒の満中陰で、昼は旅館でのお斎(昼食)でした。
痛風や中性脂肪にはよくない日々です。
今日は平日なのですが、25日で朝市が休みなので、漁師町の人たちにとっては集まりやすい日なのです。

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能登半島地震 被災から274日め

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今朝から穏やかな小春日和、外からトンカントンカンと工事の音が聞こえます。
隣の基礎工事が行われています。
震災復興の建築ラッシュで忙しいことや外仕事が行いやすい天候なので日曜日返上で工事をしているのでしょう。

輪島での1番のホットニュースは20日未明の雷です。
輪島では記録的な大きさの雷だったようです。
多くの人が驚いて目を覚ましたようです。
私たちも目が覚め、周辺に落ちたと思いました。

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能登半島地震 被災から272日め

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朝から重機の動く音、相変わらずあちこちで工事をしているのでどこの工事の音なのか分かりません。
特にこのお隣の工事は、住宅のすぐ横なので、本堂の解体撤去工事よりも音がよく聞こえますし、振動もあります。

 

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裏手の分譲地では、2軒の住宅と1軒のアパートの建築工事が進められています。
これは地震とは直接関係がありません。

本堂裏の合葬墓の墓前で1周忌のお参りのお約束がありました。
心配した天気は、晴れていて問題なかったのですが、解体工事でお墓へ行き着くまでが大変だったのでお内仏でお参りして頂きました。
お内仏は、先日からお参り続きでお花で賑やかです。

 

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正覚寺本堂の前の家のお爺さんが亡くなり、昨日・今日と隣寺でお葬式をされています。
輪島では未だに忌中札を張り出す習慣があり、夕べまでは玄関先に簾に忌中札が貼られていました。
私も夕べのお通夜には町内(班)の一人としてお手伝いさせて頂きました。
日常の暖かい生活に慣れているため、例年並と言われる寒さも辛く感じます。
隣寺の本堂は正覚寺の本堂よりも一回り大きく寒さをより強く感じるのだと思います。
ストーブが足りないようなので正覚寺から2台貸してあげましたが、焼け石に水のようなものでした。
お通夜のお勤めの時間だけ我慢していたようで、お勤めが終ると多くの方があわてて帰っていかれました。
寺の建物が時代に合わなくなってしまっていると感じました。

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能登半島地震 被災から271日め

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正面からの眺めは更地に見えます。
でも、ダンプ数十台の土砂などの搬出が残されているようです。

 

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当初は、まだまだ使えるしもったいないからと移築の予定であったガレージですが、設計士さんと再協議の結果、費用をかけて移築・リフォームするほどのものでもないということで、ガレージも解体・新築を決断しました。

先日の新聞広告で、まだまだ使えるし動くからともったいないという気持ちで旧型の古い家電製品を使い続けることが、エネルギーの浪費になっているというものがありました。
古い家電製品は、エネルギー効率が悪く、無駄に電力を浪費することになり、コストの面でも省エネの観点からも無駄になるというものでした。
使えるものを捨てるのはもったいない、その精神は間違ってはいないのですが、古いものを使い続けることが浪費に繋がる、そうすると良いこと・正しいことをしているという意識でのもったいないが、実はそれが自分勝手な独り善がりで、無駄づかいを続けることになるというのです。
「もったいない」という日本人が人類に誇れる精神も、単純に古いものを捨てないことだと理解しては誤ってしまうことがあるということを教えられました。
もったいないから捨てる、それが正しいこともあるということです。

ガレージは移築・新築のどちらがもったいない精神に合致するのか自信がありませんが、捨てることに決めました。

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能登半島地震 被災から270日め

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薬害C型肝炎の患者や家族が国に救済を求めるニュースが連日報道されています。
裁判でも国や製薬会社の責任が認められているのに、国はなかなか患者の救済に動き出そうとはしません。
一方で、アメリカ軍に対する思いやり予算は、2007年度だけで2173億円も支出され、日本政府が提供した沖縄の駐留米軍宿舎はとても豪華なものです。
アメリカ軍へは思いやりを示しても、国と製薬会社の過失による薬害でC型肝炎に苦しむ患者に思いやりはないのでしょうか?
国会における福田政権の最重要課題は、テロ対策特措法のようです。
夕べのニュースで、アメリカでも効果が疑問されているにもかかわらず、渦中の守屋氏がかかわった1兆円のミサイルが配備されると報道されていました。
この国の政治は、国民を見ていないように感じます。
国民の生活よりもアメリカの顔色ばかり伺っているようです。
石油・ガソリンの値段が高騰し、国民が仕事・生活に困っても、道路整備の財源であるガソリン税の特別処置の高い税率はそのまま据え置き・・・、この政策も一体誰のための政策なのだろうかと疑問に思います。
地震で被災してより一層思います。
アメリカ軍への豪華な宿舎、役に立たないのではないかと言われている高価なミサイル、守屋氏が接待付けにされてもなお儲かる軍備の納入・・・そういう余分とも思える資金があるなら、国は困っている国民を助けて欲しいと。

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能登半島地震 被災から269日め

20071218
変化がないようで、毎日少しずつ廃材が減っていきます。

午前中は、隣町(隣村)までお葬式(諷経)のお参りに行ってきました。
近頃には珍しく村のお寺でのお葬式で、10人余りの僧侶のお参りにも少々驚きました。
狭い能登(奥能登)ですが、地域が変わると習慣も違います。
棺前でのお葬式は、僧侶もイスに着座するのですが、その地域の僧侶方は時々立ち上がることがあるのです。
イスに座っていることが失礼だという感覚なのでしょうか?
正座は礼儀ある姿勢で、イスに座ることは無礼なのでしょうか?
立ったり座ったりするくらいならずっと立ってればいいと思いますし、座るならずっと座ればいいと思います。
途中で立ち上がることの意味・意義が私には理解できませんでした。

また、お焼香の呼び出しは輪島にはない習慣で、私は呼び出しをしない方が合理的でよいと思っています。
1軒ごとに間隔を開けて呼び出すのですが、間が開き、お焼香のスムーズな流れができるように呼び出せないものかと思ってしまいます。
政治家や社会的な役職を持っている人の呼び出しは、お参りに来ていないことが多く無駄な労力と時間だと思います。
そして何より、お勤めの声に張り合うようにマイクのボリュームを上げての呼び出しは、お勤めが主なのか呼び出しが主なのか疑問に思いますし、お勤めの邪魔です。
お呼び出しは順不同、取り込み中のため御芳名漏れ、お読み間違いなど、無作法・御無礼の段はお許し下さい・・・、そんな言い訳をするくらいなら最初から呼び出さなきゃいいじゃないか、と思うのは私だけでしょうか?

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能登半島地震 被災から268日め

午前に隣町の穴水までお参りに行きました。
地震について尋ねると、そのお宅は被害がなかったということでした。
しかし、住宅地の道路1本隔てた向いの家は、壁も床も落ちて大規模な修復が必要だったということでした。
向いの家も新しい立派な家です。
ここでも家が建っている場所で地震による被害の大きさの違いを感じました。

午後は、輪島市内の家を数軒お参りさせて頂きました。
その1軒のお爺さんが、何度も大変だろうけれども頑張って本堂を建て直そうと言って下さいました。
こういうご門徒ばかりだとありがたいのですが・・・。

今夜は、正覚寺復興委員会でした。
1口あたりの金額など募財方法の案を決めてもらいました。
22日の役員会を経て年内に御門徒の皆さんへご案内したいと思います。
どれだけ寄付がいただけるのか不安もありますが、多くの方々の大きな支援をいただき、なんとかなっていくんじゃないかとも思っています。

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能登半島地震 被災から267日め

20071216_006
夕べは、町内の明和会という組織の忘年会でした。
例年は、正覚寺の広間で麻雀大会・忘年会を行うのですが、本年は正覚寺が本堂を解体中のため、会員の自宅で行いました。
これまで正覚寺を使用していたお礼と本堂再建後使用させていただかなければならないからと御寄付をいただきました。
ありがとうございます。
本堂が再建できたら、地域の方々やご門徒に活用して頂ける運営・経営をしていきたいと思いますし、そういう本堂の設計にしていだたきたいと思っております。

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能登半島地震 被災から266日め

20071214_006
昨日は、午前7時半に朝食を食べて、9時半過ぎにホテルを出て、10時にはセレモニーホールの控室に入り、遺族の人たちと共にお棺の横で過させて頂きました。

12時半頃に控室からホールにお棺を移し、1時からお葬式をし、出棺。
遺族の帰りを待って、同じホールにて初七日(中陰)を勤め、お斎(昼食)をいただきました。
4時過ぎにお骨を拾い、自宅へ帰って還骨勤行を行いました。

お骨拾いの後、自宅で還骨勤行を行うなら、初七日(中陰)を早める必要はないんじゃないかと思いましたが、初七日(中陰)とお斎(食事)を切り離せないという思いと、導師や諷経(ふぎん)僧が葬儀に引き続き初七日(中陰)・お斎(食事)とした方が合理的だという都合と、葬儀屋(セレモニーホール)にとってもそれが合理的で好都合であることなどが合致したシステムなのだろうと思いました。

輪島では、お葬式・出棺後、すぐにお斎(食事)をいただきお骨上げを待ちます。
今では、お斎(食事)はお弁当なので、ほとんどの僧侶がその場で食べずに持ち帰ります。
遺族は、火葬場までお棺を送り、そこから一旦帰って食事をします。
出棺後、約1時間半程度で火葬場からお骨上げの連絡があるので、自宅で還骨・初七日(中陰)を勤めて解散します。
その後、お手伝いに方々の慰労会が行われる習慣の村もありますが、私たち僧侶はほとんど座ることはありません。
それに、還骨・初七日(中陰)には、諷経僧ばかりか導師もお参りしないという習慣の土地柄ですから(正覚寺住職はお参りします)、初七日(中陰)やお斎(昼食)を繰り上げる必要はないのです。

輪島と違って滑川は、火葬に2時間半という時間がかかること、諷経僧も初七日(中陰)にお参りをして食事をいただくという習慣があるので、滑川独特のシステムが出来上がっているのだと思います。
また、お弁当にすると単価が下がってしまうから困るというセレモニーホールの都合もあるのだと思います。

それにしても、上の写真は平常で200席が準備されているホールです。
そこで20人にも満たないほどの近親者のみのお葬式。
こうしなければ故人を送ることができないのだろうかと思いました。
それならば、輪島からはるばる滑川まで3時間の距離をお前ごときがわざわざ出向く必要がどこにあったんだと言われれば、それもその通りだと感じました。
ただ、このホールの使用料金は、輪島の農協のホールの半額以下で、割安感を感じました。
その他の費用は分かりませんが・・・。

5時30分過ぎに御門徒の家を出て、8時には輪島の寺に着きました。
それにしても疲れました。

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能登半島地震 被災から265日め

昨日から富山県滑川へお葬式のお参りに来ています。
出掛ける前にセレモニーホールから電話があり、棺掛け七条と阿弥陀様を持って来て欲しいと言うことでした。
能登では、棺掛け七条は寺から貸し出す習慣があるのですが、能登以外にはそういう習慣はないものだと思っていたので少々驚きでした。
ひょっとしたら、能登の田舎の習慣に葬儀屋さんが気遣ってくれたのかもしれません。
また、富山や七尾には、葬儀の際には無上さまと呼び阿弥陀様を寺から借り受ける習慣があることは聞いていましたが、阿弥陀様を貸し出すという習慣は輪島等の奥能登にはありません。
もちろん、お内仏(仏壇)がなく、御本尊のない家には寺にある御本尊を仮安置しますが、それ以外には寺から御本尊をお貸しすることはありません。
御本尊と一口に言っても、卓上に置くような小さなサイズから床の間の軸の大きさまで様々あるので、持って来て欲しいという御本尊の大きさを尋ねたら、普通の大きさだとの返事。
さらに、私の方が御本尊を貸し出すことを押し付けているような言葉。
どうも葬儀屋さんは、滑川周辺の習慣と自分の経験のみで判断し、それがどこにでも当てはまると思っているようでした。
結果、御本尊は、セレモニーホールに掛けられているものでお参りさせていただくことにしました。
これに関しては、御本尊にこだわらないなんてけしからん奴だという批判があるかもしれませんね。
 
午後4時頃、セレモニーホールに着いたら、地元の僧侶が読経中でした。
納棺前のお参りをされていました。
輪島では納棺前に僧侶がお勤めをするという習慣がない(組内の申し合わせて行わない)ので、そういう予定はしていませんでした。

控室に張り出されている葬儀のスケジュール表を見て驚きました。
午後1時葬儀、午後2時初中陰と書かれています。
聞けば、火葬場はすぐ隣だとのこと。
それにしても午後2時は普通なら出棺の時間、お骨が上がった後のお勤めができるはずがありません。
聞けば、火葬に2時間30分もかかるため、火葬を待つ間に火葬後の勤めを済ませてしまう習慣とのこと。
そういえば、福井の叔父さんから似たような話しを聞いたことを思い出しました。
お骨がないところで、お骨を前にした勤めをする、なんか変な気がしますが、時間の有効利用というか、合理的といえばそうです。
でも、その後私たちはどうしたらいいのでしょうか?お役御免で解放されるのでしょうか?お骨が上がるまでお付き合いするのでしょうか?
まぁ、郷に入っは郷に従います。

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能登半島地震 被災から263日め

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今日も同じように作業が続けられています。
かなり廃材の山が小さくなってきたように思えます。
解体の仕事が忙しく、今週大まかな廃材の撤去を終えたら年内はお休みだそうです。

今朝、自宅が半壊になった家へ、お内仏(仏壇)の入仏式のお参りに行きました。
日頃は一人暮らしの家なので、小さな建物にすると聞いていたのですが、元の建物を一回り小さくしただけの立派な家に驚きました。
大工さんが、「立派な本堂をつぶしてしまいましたね」と言います。
言った大工さんに悪気はないのかもしれませんが、言われた私はその言葉にちょっとムッとします。

明日・明後日と富山までお葬式にお参りに行くことになりました。
明日・明後日のお参りの約束を延期してもらう連絡をしたのですが、1軒電話帳に電話番号が掲載されていない家があります。
親戚や近所の方に聞いても分かりません。
結局、同じ通りの方に伝えてもらうことにしました。
この頃は、電話番号を電話帳に載せない家、携帯だけで普通の電話のない家が増えてきました。
そういう生活ができればいいね、っと女房と話します。

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能登半島地震 被災から262日め

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今朝からの大型ダンプでの搬出・撤去作業風景。
手慣れた(手荒い?)親方の重機操作と違って、作業員の作業は慎重、丁寧です。
上手・下手は分かりませんが・・・。

手前に横たわっているのは御拝(本堂の玄関)の虹梁と柱です。
保管場所が確保できないためにここに横たわっているようです。
これが妨げとなって境内の利用が不便な状態で、少しストレスになってきました。

昨日、解体屋さんから電話があり、市役所の環境対策課へ廃棄物搬入の申請書が出されていないから出すようにとの依頼がありました。
聞けば、申請をしないで解体・搬入をすると50万円の罰金が科せられるとのこと。
でも、市役所の環境対策課へ相談に行った時に、解体時に正覚寺(山吹)として何かすることはあるのかと質問をしたら、解体前に解体業者が知らせてくれれば・・・という返事で、私がすることは何もないということでした。
解体前の打ち合わせの時に、解体屋さんに市役所へ知らせてくれたか?と聞いたら、市役所へ行ってきたというので安心していました。
それに、県の土木からも市役所からも当方へは直接指示・問い合わせはありませんでした。
どうも、市役所と業者の間の手落ちであったようなのですが・・・。

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会館(庫裏)との接合部分の解体はドキドキします。
ドッシャン・ガシャーンという音がすると、残す建物まで壊してしまうのではないかとヒヤヒヤします。
壁が一部損傷するのは覚悟していますが、無事大きな損害を出さずに解体されることを願っています。

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能登半島地震 被災から261日め

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今日も少しだけ廃材が片付けられました。
解体屋さんも忙しく、他の現場とかけもちのようでなかなかです。
搬出に時間がかかると、どうして遅いんだとか、なぜあんな業者にしたんだとか・・・色々批判されるんだろうと思います。
輪島のメインストリートの一本に面した寺なので目立つから尚更です。

 

午後、先輩のお寺の報恩講、そこで出会った住職さん、
虹梁などはできるだけ外せばいいですね。
外せるものは全て外してもらいました、っと私。

雨に濡らしたらダメですね。
最初から濡れてしまっていますよ。

ブルーシートを掛けるとか・・・。
面倒くさいので、返事をしませんでした。

皆さん、色々理想的なアドバイスをして下さるのですが、現実は理想通りにはいかず、どこをどこまで妥協するかというのが現実です。

 

今夜は、先輩のお寺の報恩講のお初夜で、御伝鈔という親鸞聖人の御一代記が読まれ、私も数段拝読させて頂きます。
その後、皆で夜食をいただきます。
12月10日は3男の誕生日なのですが、毎年私は留守です。
っと言っても、わが家は誕生日だからと特別なことをする家ではないので何も問題はないのですが・・・。

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能登半島地震 被災から260日め

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正面から見た今日の風景。
寂しくなりましたね、とよく言われるのですが、私は薄情っていうのか、ドライっていうのか、そういう感情はありません。
逆に、震災以来8ヶ月余りが経過してようやくここまでたどり着き、一段落という感じです。

 

毎日、色々と質問をされます。

解体した柱はどの程度使えるのですか?
さぁ~?設計士さんか大工さんに聞かないと分かりませんねぇ。

○○組さんは土木工事が専門のようですから建築はできませんよね?
さぁ~?それは○○組さんに聞かなければ分かりませんねぇ。

柱などの大きな部材は細かくしなければ輪島の処分場では受け入れてもらえませんよね?
さぁ~?それは解体屋さんか処分場に聞かなければ分かりませんねぇ。

などなど、私には答えられない質問が多くて、「さぁ~?」っという返事ばかりしています。

 

居間にいると、トンカントンカンという音が聞こえてきます。
隣の家の基礎工事のようです。
忙しいので日曜日でも仕事をしているようです。

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能登半島地震 被災から259日め

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正覚寺の瓦礫の山の向こうに大きな隣寺の屋根が見えます。
震災というのは、一面が瓦礫の山になるようなイメージをもっていましたが、
建っている地盤によって大きな違いができる不平等な災害です。

それにしても、今日は雨も降らない穏やかな天気。
こんな日に撤去・搬出作業ができればよかったのに、解体屋さんには気の毒です。
世の中、自分に都合よくは動いてくれません。

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再利用されるかもしれないケヤキの丸柱です。
堂内に立っている時には太く長い柱に見えましたが、横にしてみるとさほどでもありません。
ホゾ穴も大きく開けられているので、利用できる部分は少ないかもしれません。

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柱と違って、太くて長いのは梁です。
9本の梁がほとんど無傷で降ろされました。
虹梁の長いもので7m、短いものは4mと3mです。

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重機でつかんだので傷のついた梁などです。
加工して使えればと願っています。
建物で使えなくとも、菓子器や箸、ストラップなどに再利用されれば、材木が活かされると思っています。

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これは鬼瓦です。
バラバラに解体されて降ろされました。
これは、庭の隅の邪魔にならないところに組み立てて、記念に保存するつもりです。

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能登半島地震 被災から258日め

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境内は、廃材の仮処分場のような光景です。

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再利用するケヤキの部材は保存用に区分し、廃材の搬出が始まりました。
大きな重機が動くので揺れます。
隣家も揺れているでしょう。
申し訳ありません。

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午後からは、2台の重機が動いています。
明日(土曜日)・明後日(日曜日)は、処分場が休みなので作業も休みです。

寄付ができないから門徒を辞めると伝えに来られた方がいます。
無理やり寄付を脅し取ろうなんてことはしませんから、できるだけ寄付を下さればいいのに・・・と思いますが・・・。
こういう方は、これで3軒め?4軒め?
でも、寄付はできないと宣言される方はまだはっきりしていいのかもしれません。
黙って見捨てる、そういう方がどれだけおられるか・・・、解体しておきながらおかしな話ですが、そういう不安が頭から離れません。
借金が残ることは覚悟していますが、それも限度があります。

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能登半島地震 被災から257日め

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夕べは、ささやかに復興委員会の懇親会をしました。
この委員の方々の尽力で基本計画が出来上がり、総会の決議も頂けました。
今後も完工に向けて、また出来上がった後も正覚寺の経営に活躍して頂かなければなりません。

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正覚寺の解体作業

20071206_004
隣家の基礎工事

20071206_005
前の国道の側溝工事

住宅をはさんだ両側で工事をしているので賑やかです。
正覚寺ばかりではなく、まだまだ復興の工事が行われています。

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能登半島地震 被災から256日め

20071205_001
冷たい冬の雨の中、今日も作業が続けられました。
本堂裏手から東側の隣家に面した最も緊張する箇所の解体作業です。
20071205_015
無事、隣家に損害を与えることなく解体ができました。
20071205
虹梁を丁寧に外しています。
柱は諦めました。
柱の処分に関しては、事情の分からない人たちからもったいないことをしたと批判されるだろうと覚悟しています。

正覚寺は、本堂を解体して小さな葬祭会館を建てるとウワサされているそうです。
集会所のような建物になるのですから、会館だというのも間違ってはいません。
そういう批判は想定済みですから気にしません。

 

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午後は、霊高寺さんというお寺の報恩講にお参りさせて頂きました。
数年前、火事で全焼し建て直されたお寺です。

今夜は、正覚寺復興委員会の忘年会です。

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能登半島地震 被災から255日め

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今朝から本格的な重機による解体が始まりました。

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御拝の虹梁を外しました。
設計士さんが活用予定なのでこれだけは外して欲しいという注文なのです。
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今日の作業はここまで進みました。

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能登半島地震 被災から254日め

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横浜組の長慶寺さんを見学させて頂きました。
昨年建て替えられたばかりでプンプンと木の香のする真新しい本堂で、住職さんの工夫とこだわりが感じられました。
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長慶寺さんのお内陣です。

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引き続き、横浜組の智廣寺さんを見学させて頂きました。
このお寺はモダンなお寺ですが、築20年ということで、新様式の草分け的存在のお寺のようです。
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智廣寺さんのお内陣です。
2ヶ寺ともとても参考になり、見学させていただいた甲斐がありました。

午後2時過ぎの飛行機で帰りました。
4時には家に着き、飛行機のありがたみを改めて感じました。
土曜日に横浜へ向かう時には空席が目立ったので、航空路線の存続を心配しましたが、帰りの飛行機はほぼ満席に近い状態で安心しました。

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能登半島地震 被災から253日目

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1日の夕方の能登空港からの便で横浜へ。
2日、午前10時から正信偈・同朋奉讃、阿弥陀経など参詣の御門徒の方々とお勤めしました。
昨年までと比較して、御門徒の方々の方々のお勤めの声が大きく、横浜の正覚寺が根をはやしていることを感じました。
その後、能登半島地震をテーマに法話をさせて頂いたのですが、予定の12時を大きく越えてしまって、お斎(昼食)を食べ始めたのが午後1時になってしまいました。
今年は、昨年までの参詣者数約20人をかなり上まわっていたので、今年初めてお参りに来られた方々が懲りなかったか少し心配になりました。

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能登半島地震 被災から252日目

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リフォームして2年しか経っていないトイレも設計士さんや復興委員会の意見で取り壊されることになりました。
座敷に隣接したトイレは、ほとんど使われたことがありませんのでもったいないと思いましたが、設計士さんに言われてみれば、厄介者を残すことになるので、取り壊した方が良いと思いました。
左官屋さんが、もったいないから残せばどうだと言ってくれましたが、私たちの個人の所有物ではなく、もはや決められたことですので、解体決定です。
ただ、ほとんど使われたことのない便器などはもったいないので、修理が必要な住宅2階のトイレで使用するために取り外してもらいました。

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