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2008年1月

能登半島地震 被災から313日め

Tanni
今日は休みでした。
僧侶が休みというのも変ですが、ご門徒のお参りがありませんでした。
インターネットをしたり、音楽を聞きながら本を読んだり・・・そんな一日でした。

Umehara
眠る前に本を読むとしっかり眠れるということを知り、布団の中で1ページでも本を読むことにしています。
しかし、痛風治療に水分を多くとっているためと歳のせいでトイレに起き、その後しっかり眠れないことがあります。
効果はなかなかです。

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能登半島地震 被災から311日め

「正覚寺復興便り2号」をお送りしたところ、遠方の方から、
「私も門徒ですか?出来れば一般人として扱って下さい。」
とのご連絡をいただきました。
私は、
「門徒の定義は定かではありません。
 門徒であるかないかを誰が決めるかも定かではありません。
 門徒であると認識されれば門徒でしょうし、門徒ではないと思われればそうでしょう。 」
とお返事しました。

昨年末に本山の門徒戸数調査が行われましたが、何を基準に門徒とするか、それが問題です。

今夜は今年初めての正覚寺復興委員会が行われました。
かなり話しが具体的になってきました。
資金に目処さえたてば・・・って感じになりました。

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能登半島地震 被災から310日め

今朝、市議会議員をしている同級生がやってきました。
時々、前を通っているのだけれども、被害の大きさに愕然と力を落としているのではないかと思い、そんな私たちに掛ける言葉がないので、寄りたくても寄れずにいたということでした。

女房が見ている月9ドラマでこんな台詞がありました。
「絶対に自分を傷つけない、そんな人のそばなら安心していられる」
阿弥陀様は、絶対に傷つけないどころか、絶対に救って下さる、そんな方が共にいて下さる、そのことに気づけるか気づけないか、そんなことをふと考えてしまいました。

このブログのアクセス記録をチェックすると未だに新たな訪問者であろうと思われる方がいます。
それは、地震の記録写真や震災当時の書き込みにアクセスしているからです。
どのような感想を持たれたのかは分かりませんが、見ていただけたというだけでありがたいと思い、励みになります。

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能登半島地震 被災から309日め

今朝、お参りに伺った家のお婆さんは、昨日の地震の時は目が覚めていたそうです。
ゴーっと言う音に、風かな?っと思ったら地震だったとのことでした。
地鳴りがするほどの大きなエネルギーの地震だったんだと思いました。

ご法事のお斎(食事)の場で質問を受けました。
義兄の一周忌に合わせて先祖の法事を勤めたいと思うのだができないか?という質問でした。
私は、問題なくお勤めできますよとお答えしましたが、満中陰(四十九日)法要の折に檀那寺へお願いしたら、喪中のお勤めと先祖のおめでたい法事は一緒にできないと断られたということでした。
私は、正覚寺の住職に尋ねたら問題なく勤められると教えてもらったと言ってもらってかまわない、とお返事しました。
また余計なことを言う奴だと思われるかもしれません。

その質問をされた方と話していたらとても酔った気分になりました。
食前酒の猪口一杯程度の白酒が効いたのだと思います。

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能登半島地震 被災から308日め

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昨日は、夕方の早い時間から凍みていました。
今朝、4時半頃地震で目覚めました。
女房は布団から出て逃げる体勢でした。
洋服ダンスが倒れるかと恐かったようです。
輪島市門前町で震度5弱、鳳至町で震度4、正覚寺のある河井町で震度3という発表でした。
前にも書きましたが、震度計は地盤の硬いところに設置されているので正覚寺はもう少し揺れたと思います。
しばらくして、長男が出掛ける音が聞こえました。
役所から呼び出され、被害のないことが確認された9時すぎに帰ってきました。
地震から眠れなくて、眠いです。
一昨日の台風並みの風、そして今回の余震、本堂を解体してもらっていてよかったと思いました。
それにしても、震度6という地震の凄さを改めて思いました。
また、私は何となく大きな地震は寒い日には起らないと思っていたのですが、とんだ勘違いをしていたものだとも思いました。
そういえば、阪神淡路大震災は1月17日の寒い日でしたよね。

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能登半島地震 被災から307日め

今日の午前中は、組会という地域の住職の会議でした。
数件の議案を審議し、時間通り終了しました。
正午からは懇親会だったのですが、欠席させて頂きました。

夜は、町内の有志の会の新年総会と新年会でした。
こちらも全くもめることなく総会を終えました。
会として寄付をいただいたのでその御礼を述べさせて頂きました。
新年会は、全く飲まないのも寂しいので、燗酒をチビチビと1合ほど飲み、2次会では焼酎の水割りを半分だけ飲みました。
お茶を飲んでいた2つの新年会といい、今夜の新年会といい、宴会の場にいるだけで酔っぱらったような気分になってくるので不思議なものです。
コンパニオンの女性の話し相手をするのも苦手だし、カラオケも歌えないし、私にとっては宴会はあまり楽しくない行事です。

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能登半島地震 被災から306日め

今朝、お参りに行った家の93歳のお婆さんは、去年の春に転んでケガをし、それから寝たきりの生活です。
病院に入院していたのですが、3ヶ月で退院しなければならず、それからは家庭で介護をされています。
週に1回の入浴は介護サービスを受けているようですが、それ以外は夫婦で介護されていて、介護をするご夫婦も高齢者なので大変だとおっしゃっていました。

道路特定財源のガソリン税などに上乗せされている暫定税率をめぐって論争が行われ、各地で道路財源の保持を求める運動が起っているようです。
いつの間にか、介護に関する予算・制度が削減されていますが、それが大きな問題になったという記憶がありません。
産婦人科や小児科などの病院の医師不足なども深刻な問題です。
道路が便利になることは悪いことではないと思いますが、どうして道路だけが特別扱いなんだろうと思います。

小型の台風のような風の吹雪の中、今日は二人の方が寄付を届けて下さいました。
ありがたいことです。
御門徒に配布する「正覚寺復興だより」の第2号と郵便振替の用紙を封筒詰めしました。

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能登半島地震 被災から305日め

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今日の昼は私一人でした。
で、これが昼食です。
近所のそば屋さんのカツ丼にしようかとも思ったのですが、寺を留守にしたくなかったのと他人と会話をするのがおっくうだったので、女房を送った帰りにマーケットに寄って弁当を買ってきました。
弁当を食べていたら宅配便、女房のサプリ(ウコン)が届きました。

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ご門徒であり友達でもある方から魚のおすそ分けがありました。
この方は漁船専門の電機屋さんなので、仕事先の漁師さんから戴いたのだと思います。
アジの刺し身を造り過ぎたという女房でしたが、親子4人で平らげました。
サバは、ムニエルでいただきました。
魚づくしだったので小言を言うのではないかと予想していた3男も、サバがもう少し欲しかったようでした。
サバは、みそ漬にもしてあるようなので、それも楽しみです。

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能登半島地震 被災から304日め

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今日は、東京も輪島も最高気温は6度、なんとなく平等に扱われた気がします。

午前中、ご門徒の方から電話がありました。
今朝、その方の弟が亡くなられたのだけど、隣寺の隣に住んでいることと隣寺の住職と喪主が同級生なので隣寺の門徒になるということでした。
私は、どうぞとお返事をしました。
嫌々、渋々でも強引に正覚寺のご門徒にならせる、私には門徒になることを強要するほどの自信も押しの強さもありません。
去り行く人もあれば来る人もあり、そういうものだと思っています。

夕方、ご門徒への通信を印刷していたら、ドドドドと小刻みな上下動。
自動車?っと思ったら、ゆらゆらと小さいながら横揺れ。
地震でした。
正覚寺のすぐ裏手の丘の上り口に地震計があるのですが、その計測値は震度1。
しかし、私の体感震度は2~3でした。
地盤が違うのだろうと思います。
それにしても久々にドキッと恐い思いをしました。

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能登半島地震 被災から302日め

今日は2軒のお参りがありました。
1軒目は、お爺さんの13回忌法要でした。
願主ご夫婦とご兄弟が3人お参りされました。
話題のほとんどは正覚寺の本堂の復興に関することでしたが、長姉から違う質問が1つありました。
法事などのお参りをしないと親や先祖が祟るっていうのは本等ですか?というものでした。
私は、生きてる時に子供の幸せを願っていた親が、亡くなった途端に子供に災いを与える恐ろしいものになりますかね?そんなことはないでしょう?より純粋にしっかり生きよと願いをかけて下さっていると思います、とお答えしました。
こんなことを言うから金儲けができないのだと思います。
でも、ご法事のお布施と一緒に本堂再建の御寄付をいただきました。

2軒めは、満中陰(四十九日)法要でした。
昨日に続きお斎(法要後の食事)がありました。
昨日のお斎は、上座に役僧さんと二人だったので疲れが軽かったのですが、今日は、隣に親戚の方がおいでましたので、1時間半あまりずっと話し相手をし、すごく疲れました。
元々昼の酒は苦手なので酒を飲まないことは苦痛ではないのですが、長い時間同じ人の話し相手をしなければならない宴席は苦手です。
今日は本当に疲れました。
ぜいたくを言ってはいけないと思うのですが・・・。

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能登半島地震 被災から301日め

富山から満中陰(忌明け)・納骨においでる方がありましたので、天気は気になっていましたが、今日は思わぬいい天気でした。
天気は良かったものの、夕べの冷え込みで、お墓のお骨の入口が凍りつき、輪島に住む親戚の方がポリタンクでお湯を運んで融かしたそうです。
お墓があるとはいえ、約3時間ほどの距離をご法事にお出で下さった上に、本堂再建に1口のご寄付をして下さいました。
本当にありがたく、私も女房も元気が出ました。

天気も予想外でしたが、思わぬことに私と役僧さんにもお斎(仏事の参会者に出す食事)が準備されていました。
左足の親指あたりがチクチクと痛いのと午後にもお参りの約束があったのでお酒はいただきませんでしたが、食事は御菓子以外は平らげました。
痛風は、相撲取りにとっては職業病ですが、僧侶にとっても職業病かもしれないと考えています。

 

お斎から帰ると、女房の兄嫁が寄っていました。
女房の実家のお寺は、今年になってから玄関の土間の大きな天井が落ちたそうです。
大工さんに見てもらったら、玄関横の台所の天井も張替えなければならないそうです。
たぶん地震でゆるんでいたものが今になって出て来たのだと思います。
地震の揺れは未だに止まってはいません。

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能登半島地震 被災から300日め

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お鏡餅を細かく割って油で揚げました。
もちろん、女房の仕事ですが・・・。
昔は、父親が包丁で細かくあられに切り、それを祖母がガラガラと火鉢で煎ってくれました。
そういえば、小豆を煮てぜんざいも作りましたし、かきもちも作りました。

今日は、役僧さんのお父さんのお葬式でした。
お参りさせていただいていると、丸い体のお爺さんが自転車に乗っている姿、近所のお菓子屋さんで買い物をしている姿が目に浮かびました。
役僧さんのお父さんは、民謡のとても上手な方でしたので、民謡仲間の方が弔辞を述べられました。
初めてお爺さんの歌の伴奏に尺八を吹いた時、楽譜通りに尺八を吹いているのに歌に伴奏が合わなかったそうです。
楽譜通りに吹いているのにどうしてなんだろうと思っていたら、お爺さんが、あなたは高い声の女性にも、私のような声の低い者にも同じ尺八を吹いているのではありませんか?私のような声の低い者にはもっと長い低い音程の尺八じゃないとあわないと思いますよ、と言われたそうです。
楽譜通りに吹けば正しいと思っていたが、相手の声に合わせなければならないということを教えられ、早速長い尺八を買われたそうです。
お爺さんの歌を追うように少し遅れて尺八を吹くとうまく合ったそうですが、そこで素直についていくことが難しいと教えられたそうです。
阿弥陀様を信じてただお念仏を申せばよいと教えられても、それが難中の難だというような事も述べられていたと思います。

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能登半島地震 被災から299日め

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真冬状態です。
そんな天気の中でも解体工事が行われています。

時々、団扇太鼓や鈴の音が聞こえます。
日蓮宗や曹洞宗、真言宗の方々が寒修行の托鉢に回っておられるのだと思います。
浄土真宗でよかったと、正直思います。

今夜は役僧(導師・住職を補助する僧侶)さんのお父さんのお通夜です。
役僧さんは3男で、長男であるお兄さんが喪主で、正覚寺のご門徒ではありませんが、お通夜とお葬式はお参りさせて頂きます。
役僧さんのお父さんは92歳で、小柄ながら布袋さんのような体形のとても元気な方で、徒歩10分から15分の距離を歩いて銭湯に出かけていました。
寒い中を銭湯に出かけて、風呂場で倒れられて亡くなったそうです。
役僧さんは、「正覚寺の本堂が再建できたら、第1号にウチの爺ちゃんの葬式をしてもらう」という冗談を口癖にするほど元気な方だっただけに驚きました。
御文の「今日とも知れず、明日ともしれず」という言葉の通り、人間のいのちのはかなさを感じます。

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正面の塀はキレイに解体されてしまいました。

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能登半島地震 被災から298日め

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今日も真冬の寒い中、手作業で塀の取り壊しが行われました。
ご苦労様です。
私は、今日も空き時間はコタツでパソコン、事務処理を行いました。
土木作業は私のような者にはとてもできそうにありません。
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昨日のお葬式も、無駄な経費が使われていたように思いました。
社会との付き合いがなく手伝いを頼めないので、祭壇の準備などに葬儀屋さんを頼んだのでしょうが、もったいないと思いました。
祭壇がなければ葬式ができないと思い込んでいるようですが、祭壇を使わなくとも葬式はできます。
祭壇を使うにしても、輪島市も祭壇を所有していて、造花屋さんに頼めば市の祭壇をセッティングしてくれます。
固定観念・思い込みにとらわれて、お葬式は手数と金のかかるものと思い込まれているように思います。
現在は、工事中なので正覚寺でお葬式を行うことはできませんが、本堂が再建されたら、困っている人のお葬式などの儀式の経費の軽減に役立ちたいと思います。
もちろん、お金に糸目をつけない人には余計な口出しはしませんが・・・。

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能登半島地震 被災から297日め

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国道を片側通行にしなければ重機の使えない部分は、手作業でブロック塀が解体されています。
作業員の方に、「手作業でごくろうさま」と声をかけると、
「壊そうと一生懸命叩いてもなかなか壊れない頑丈な塀を、簡単に壊してしまう地震はすごい力や」という返事でした。

痛風のプチ発作の痛みは今朝には軽くなっていたので、今日は鎮痛剤は飲まずに湿布とアイシングのみにしました。
今日は、お葬式にお参りして来ました。
お骨は、仮設住宅ではお守りするのが困難なので、火葬後ただちに納骨しました。
寺で預かってもよかったのですが、遺族の方の負担になっては気の毒なのでそれは言い出しませんでした。
お墓に納骨されてよかったのではないかと思っています。

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能登半島地震 被災から296日め

夕べ、風呂に入って、痛風で腫れていた足をアイシングして、明日にはほとんど痛みはなくなっているのではないかと期待して寝ました。
夜中にトイレに起きた時は、少し親指のつけ根の関節に痛みがありましたが、さほどの痛みではありませんでした。
明け方5時半頃に親指のつけ根の痛みで目が覚めました。
痛風の発作の足は冷やさなければならないので、暖かいふとんから痛い左足だけを出してしばらく様子をみましたが、痛みは和らぎません。
仕方がないので、冷凍庫からアイシング材を出して来てアイシングをしましたが、痛みは急には和らぎません。
お参りがあったので、朝食後に、昨秋の発病時にもらってあった鎮痛剤を飲みました。
午後の月忌(月命日のお参り)は休ませて頂きました。
足袋も草履も履くことができる程度の痛みで助かりました。
痛い足をひきづって諷経(お葬式)に出掛けました。
昼食後、鎮痛剤を飲んでアイシングをしました。
鎮痛剤が効いたのか、アイシングが効いたのか、夕方にはかなり痛みが和らぎました。
夜のお通夜もなんとか出掛けられそうです。

昨夕、30年以上前から全く御縁がなくなっていた元・ご門徒の方から連絡がありました。
実は、家をなくして正覚寺の近くで借家住まいをしていたのですが、出会っても知らん顔をされるので、私も御縁がなくなったんだと思っていました。
古い借家が地震で損壊し、仮設住宅に入られていたのですが、急死されたのです。
仮設での元気な暮らしの様子が年末に新聞で報道されていただけに驚きました。
今夜はその方のお通夜です。
御本尊などは持ち家を失った時に正覚寺で預かっていたのですが、仏壇などはありません。
明日、火葬の後、お骨はどうなっていくのだろうと心配しています。

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能登半島地震 被災から295日め

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本格的な真冬の天候、今朝は零下で最高気温も1度、明日も同じような天候のようです。
なかなかだと思っていた土砂の搬出もあとわずかとなったように見えます。

かつては高度経済成長を遂げ、世界1・2の経済大国であった日本ですが、この10年の間に経済大国ではなくなってしまったという報道がされています。
ワーキングプア、格差社会ということも指摘されています。
その一方で、イラクとの戦争はアメリカ国内でも賛否が二分されているにもかかわらず、国はテロ特措法を延長し、インド洋での給油活動の再開を決定しました。
一方で、年金の問題、介護保険の予算削除、ガソリン税の特別措置の延長など国民の生活には厳しい施策が行われています。
国は国民民を見ているのだろうか?と改めて疑問を感じました。
しかし、その施策を決定する国会議員は私たち国民が選んだ人たち、そういう自覚を一人一人が持たなければならないと思います。

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能登半島地震 被災から294日め

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今日は寒く冷たい雨を保存してある部材の移動が行われています。
ガレージ、ブロック塀の解体準備だと思われます。
仕事とはいえ寒い中本当によく働いてくれます。
ご苦労様です。

5日ほど前から痛風で傷めた左足親指のつけ根が痛かったのですが、昨日の午後から中指のつけ根表裏を中心に痛みが広がりました。
痛風の発作ほどの痛みではありませんが、歩いたり座ったりにはこたえます。
痛風の痛みがぶり返したようです。
尿酸値が下がる時にも痛みが出るという情報もあるので、そのように考えることにします。

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能登半島地震 被災から293日め

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年末に本山の復興共済金の審査結果が届きました。
不服なら再審査を請求できるのですが、再建に向けてしなければならないことが多くあることもあり、責役・総代さん方とも相談の上、再審査請求はしないことにしました。
「共済金給付による本堂等復興について(確認書)」という書類を提出せよということなので、責役・総代さん方に署名捺印をしていただきました。
全員の署名・捺印が揃ったところで、何となく文面を読んでみると、「復興共済金を受け取りました。」と書かれています。
給付を受けるために必要な書類だと思い込んでいたのですが、いわゆる領収書のように思えました。
教務所に問い合わせたら、振込はまだ先になるが確認書は提出して欲しいとのことでした。
他人を信用できない私には少々不安でしたが、確認書を郵送しました。

空き時間に、パソコンで事務処理をしています。
日頃から少しずつ入力すればいいのに、面倒くさいのでほったらかしていたので少し大変で肩が凝ります。
因果応報、これからは溜めないようにしようと思っていますが、ズボラな性格は根深いので、これくらいでは懲りないだろうと思います。

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能登半島地震 被災から292日め

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今日も予想外の穏やかな天気です。
向いの家々の玄関先の修復工事が行われています。
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年末に依頼した封筒が届かないので、輪島の業者のことだから忘れられているのだろうと電話をしました。
すると、今日にも荷物が届くのではないかと待っているとのこと。
そういえば、2男も7日が仕事初めでした。
民間は一般に7日からしか動いていないのかもしれません。
どうもだらしないのではないかと疑念を持ち、他人を信用できません。
嫌な性格です。

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能登半島地震 被災から291日め

昨日気づいたのですが、会館(庫裏)の玄関側の電気が付きません。
配電盤を確認すると、その箇所のブレーカーが下りていて上げることができません。
電気屋さんに見てもらったら、一昨日に解体した渡り廊下の電線の処理が不十分で、ショートしていたのでした。

今日1件の約束があったのですが、もしやと思い確認の電話をしたら、案の定、忘れられていたのか、面倒くさかったのかキャンセルされました。
都合が悪くてキャンセルするのはかまわないから、都合が悪いからと連絡ぐらいしろよと言いたくなります。
去年、品格という言葉が流行語の一つになりましたが、その反対語はだらしないでしょうか?
仕事以外のことにまで余裕がない生真面目過ぎるのも付き合いづらいですが、工事や約束にだらしないのも困ったものです。

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能登半島地震 被災から290日め

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昨日解体された渡り廊下側の式台(玄関)の外壁。
雨が染み込んで柱が腐食しているのではないかと心配していたら、案の定でした。
式台の敷居も同様に傷んでいるので交換が必要です。
地震で傷んだわけではありませんが、これまで見えなかった傷みも見えるようになります。
こういう追加工事や地盤改良にいくらかかるんだろうと経費ばかりが気になります。

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能登半島地震 被災から289日め

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解体屋さんたちは仕事始め。
渡り廊下=防火壁の解体が行われました。
大きな音と揺れに、解体しない広間まで壊れるのではないかとヒヤヒヤしました。

月に1回定期的に開催する会の世話係(幹事)をしています。
今月の会の案内をメールしたら、去年の春に父親が亡くなった会員から、「新年会なら出席で来ません」という返事が来ました。
喪中だから新年祝賀に催す宴会なら出席できないというのです。
私は、「新年会 = 新年に開催する定例会」と返事をしました。
「新年会」という名がつけば参加できないが、そうでなければ参加できる、私にはこういう感覚が理解できません。
名前が変わったら行われることが違うというならともかく、名前がどうあれ行われることは同じです。
名前によって本質が変わるわけではありません。
名前にこだわることは無意味なことだと思う私は間違っているでしょうか?

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能登半島地震 被災から287日め

今日はご門徒の方から叱られました。
解体した本堂の柱などが長く雨ざらしだったのがケシカラン、門徒を辞めようと思ったということでした。
材木は雨にあたっても大丈夫だと説明を受けたこと、解体・搬出の都合があったことを説明しましたが、最後まで話は噛み合いませんでした。
寄付のお願いをして事業をする時には、こういう小言・苦情は覚悟していましたが、現実となるとやはり辛いものがあります。

その後、お参りに伺った別のご門徒の方に言われました。
皆が揃って寄付を出してくれればいいのですが、大勢の門徒の中には色々な人がいますから、中には理屈をつけて寄付を出すまいとする人もいるでしょうね、と。
前の家の会話を聞かれていたかのように思いました。

できれば寄付を出したくないという気持ちとの、ご門徒一人一人の心の中に葛藤があると思います。
やむを得ないと諦めて下さったご門徒は寄付をして下さるでしょうし、出したくないという気持ちの強い人は最後まで寄付をして下さらないと思います。
布施(寄付)をするためには、金に対する執着の心との戦いがあるのだと感じます。

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能登半島地震 被災から286日め

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寒くて荒れ模様の天気予報に反して穏やかな日になりました。
隣の工事が行われています。
長男も今日が仕事始め、公務員ですからね。
民間会社の次男は、7日が仕事始めらしく5日に帰るようです。

今日は六和精舎(通称本山事務所)という集会所(公民館)規模のところでお葬式でした。
もう少し美しいと申し分ないのですが、規模としては十分でした。
ストーブ2台で十分暖かでしたし・・・。
これからはこういう規模がいいのかもしれないと思いました。

そのお葬式で同席された方に、「雪がなくて楽ですね」っとご挨拶したら、
「私のところは20cm以上の雪があり、雪かきに疲れました」とのこと。
輪島の町から数キロのところなのですが、驚きました。

曹洞宗の檀家の漁師町の方が10万円のご寄付を持って来てくださったそうです。
どれだけのご門徒が寄付をして下さるのだろうと不安な中、とても元気の出るありがたいご寄付でした。

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能登半島地震 被災から284日め

大晦日の夕方、ご門徒から家族がいつ容体が悪化して亡くなるか分からないのだけれども・・・と、お葬式の相談がありました。
昨日・元日の夜、親子で亡くなったと知らせにおいでました。
早速、枕勤めに伺いました。
お勤めが終って伺うと、会場で迷っておられるようでした。
結婚することなく生涯を過ごした方だったので正覚寺の広間で小規模なお葬式を・・・というのが希望でしたが、トイレがなくなってしまったので正覚寺は使えません。
農協のセレモニーホールも候補に入っているようでしたので、無駄な経費をかけなくてもいいのではないかと助言をさせて頂きました。
お葬式というと、第一に心配されるのが手伝いのようで、手伝いを頼まなくてもできるようにと選択するとセレモニーホールになってしまうようです。
輪島には葬儀屋というものがありませんので、かつては祭壇、受付などの準備一切は男の仕事、料理などのまかない一切は女の仕事でした。
しかし現在は、花屋(造花屋)さんに依頼すれば祭壇一式の準備は全てしてもらえますし、受付の準備も印刷屋・写真屋さんに電話さえすれば業者任せですし、料理は仕出しですませることができます。
セレモニーホールを利用しなくともほとんど手伝いなんて必要ないのですが、輪島の人たちにはどうしても昔の親戚・町内・友人が集まって手作りで行った葬式のイメージが強く残っているようです。

 

正月休みがしたいと思うのですが、結局元日の夜から衣を着てお参りに出掛けることになってしまいました。
毎年同じようなことを繰り返しています。

 

遠く離れて長年お会いしたことのないご門徒から、今日届いた年賀状の言葉に少々驚きました。
「昨年秋、墓参し、墓の荒廃に驚きました。
 状況、一報欲しかったです。」
と書かれていました。
輪島の町外れの市が所有・管理する墓地にお墓があるのだと思いますが、市営墓地の一つは正覚寺の近くにあるため正覚寺の墓地だと勘違いされているのかもしれません。
または、寺ならご門徒のお墓を掌握・管理するのは当然とお考えなのでしょうか?
正覚寺でも、遠方のご門徒から御依頼があれば、お墓のお掃除とお参りをさせていただいており、そういう方のお墓は震災時に一巡し状況をお知らせ致しました。
しかし、それ以外の方のお墓はご門徒といえども所在すら把握致しておりません。
正覚寺に限らず輪島のお寺はどこも同じだと思います。
墓参してみたら墓が荒廃していて驚き慌てた気持ちは理解できますが、自分たちが荒廃に気づくまでほったらかしにしていた墓の責任を、なぜ突然私たちにまで振り向けられるのか理解できずに驚きました。

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能登半島地震 被災から283日め

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大晦日から久しぶりの寒さ。
大雪の予報でしたが、輪島は海辺の町、寒くても積雪量は少ないところです。
30~50cmも積もれば大雪です。
ブルーシートは、ケヤキ材の覆いです。

20080101_002
広間の仮御堂で修正会(正月のお勤め)をしました。
ほとんど誰もお出でにならないだろうと思っていましたが、それでもポツポツとお参りにおいでます。
「寄付はいつ持って来たらいいが?」
「あんな安い寄付でできるがけ?」
そんなご門徒の言葉に元気が出ます。

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