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2008年2月

能登半島地震 被災から342日め

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本堂の設計図です。
クリックすると大きな図面になります。

今夜は役員会でした。
設計図の検討、見積りを依頼する業者の選定など審議して頂きました。
色々とご意見を頂きましたが、無事原案の通り承認して頂きました。
会計などに関してオープンにすること、また、設計士に最後まで管理をしてもらうことという注文がありました。
設計士の管理がなければ、施工業者に質問されても返事ができず、業者の言いなりになるしかありません。
業者は住職が返事をしたからと言うでしょうし、責任は住職である私がとらなければなりません。
アドバイスをしてくれる設計士がいない素人の私一人では、御門徒に対して責任が持てない状況となるだろうと想像できるので、先日の復興委員会以来どうしたらいいだろうと頭を悩ませていました。
今夜の役員会の注文はかなり肩が楽になりました。
委員会の皆さんにも今夜の役員会の意向を伝えて理解してもらおうと思います。

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能登半島地震 被災から341日め

Souka
睡眠薬代わりに少しずつ読んでいた本を読み終えました。
創価学会の実態が分かり勉強になりました。
「人に依らず、法に依れ」(涅槃経)というのがお釈迦さんの遺言ですが、池田大作という人を崇拝しているのが創価学会のようです。
北朝鮮も金正日という将軍様を崇拝する国家で、かつての日本も天皇陛下の名の元で聖戦が行われました。
ミニ将軍様、ミニ天皇として君臨している存在が池田大作のようです。

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最近買ったCDです。
本田雅人というお気に入りのサックスプレイヤーのCDです。
ジャズを基本にロックなどを融合させたフュージョンという名前で分類される音楽で、ニュースやワイドショーなどのバックグランドミュージックとしてよく使われています。
Cd1
これは、粥川なつ紀というジャズサックスプレーヤーのCDで、中日新聞に紹介されている記事を読んで買いました。
インディーズという大手製作会社の系列に属さない小規模なプロダクションで製作したCDで、それなりだったかな?
 
今朝の「ちりとてちん」
喜代美が、製作所へ清美を尋ねると、
清海が、「私はA子と呼ばれるのが、ええ子(よい子)と言われているようで、よい子ぶるのが辛かった」と言います。
人は素直に生きることができれば最も幸せなのだろうと思いますが、見栄を張ったり、カッコをつけたがったり・・・あるがままには生きることができません。

帰った喜代美が、魚屋食堂で順ちゃんに、「私はA子に迷惑をかけていたんやネ」と言うと、
魚屋食堂の娘の順ちゃんが、「人が生きていたら人に迷惑を掛けることもある」と言います。
私は頭の中で、「人に迷惑をかけなければ生きていられないだろう」と思いました。

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能登半島地震 被災から340日め

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今日の午後、隣町(隣村)で一人暮らしをしている叔母さんのお寺へ行ってきました。
輪島には雪が積もっていなかったのですが、山の中は真冬でした。

それぞれとてもありがたいご寄付が届きますが、今日は、50代なのですが10年ほど前から病気で仕事ができずに療養している方から一口分が振り込まれていました。
この方は、昨年10月の総会時に寄付ができないと連絡されてこられた方でした。
それだけにとてもありがたいご寄付でした。

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能登半島地震 被災から338日め

今夜は、正覚寺復興委員会でした。
左からの見た目と右からの見た目、どちらも正覚寺の復興が成就するようにということからの意見なのですが、まん中に立つ者には難しい状況もあります。
今月末で設計図ができ上がる予定です。
その後の施工の管理をそのまま設計士に依頼するか、設計管理を断るかという問題です。
断るという意見の方は、プライドの高く頑固な設計士さんが入ると、施工中の変更が難しく工事がスムースに進まないのではないかという懸念です。
一方、設計管理が必要だと言う方は、建築家としての知識、目が、良い建築物を造るには必要だという意見です。
どちらのおっしゃることもよくわかります。

本堂の解体工事をしましたが、解体屋が私に説明をすると、私は判断ができないので“そうですか”と返事をするしかありません。
ところが、それを設計士に伝えると、次の日には解体法が変わっているということが多くありました。
建築家としての存在はとても助かりました。
その一方で、廊下の窓は透明ガラスだという説明なので、外から丸見えは困るということですりガラスを使ってくれないかと意見を言っても、すりガラスは使わないと言うだけでその理由すら教えてもらえないという頑固さもあり、そういう点は施主である私たちにとっては困ります。

ちょうど良い、なかなか私に都合よくはいきません。

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能登半島地震 被災から337日め

田舎の人は横並び意識が強いように感じます。
できるだけ人と同じで、自分だけが飛び出すことがないようにと。
そういう理由で、正覚寺復興にかかわる寄付についても様子見と言う方が多いのではないかと思います。
多くの人が寄付をしなければ、自分も出さない、そういうこともあり得ると思います。

ご主人の一周忌のお参りに伺った一人暮らしの方が、人がいくら寄付するのかいつまで様子を見てても同じや、だから、私はとりあえず10万円上げる、残りの15万円は分割や、と言われてて10万円の包みを下さいました。
このように寄付をして下さるのがとてもありがたく嬉しい。

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能登半島地震 被災から336日め

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『正覚寺復興だより 第3号』を発送しました。
月1回ペースで情報を発信し、ご門徒が情報を共有し理解を含めていただけるようにしていきたいと思っています。

今日、1通の現金封筒が届きました。

「私は、正覚寺のブログの一読者です。

常々ブログを楽しく拝見させていただいております。
この度、震災により損壊されたお寺を取り壊し再建するとのことお聞き致しました。

神戸では震災を経験した私どもとしてはどうしてもお役に立ちたいと思い、小額ではありますが送らして頂きました。
瓦代の一部としてでもお使い頂ければ幸いです。

これからもブログ楽しみにしております。

お体大事にして下さいネ。

合掌    」

という手紙が添えられていました。
全く見ず知らずの方からの手紙で、儀礼的ではない読み手の私たちが素直に励まされる手紙でした。

数年前、本山を相手に上納金(門徒戸数の査定)をめぐって裁判をし、それが週刊誌の記事になった時、見ず知らずの岐阜県の方から激励の手紙と共に懇志金を送って頂きました。
その方から、震災直後にも激励の手紙と共にお見舞を送って頂きました。

ご縁というのは不思議なものです。
見ず知らずの者が繋がりあっています。
見ず知らずの方に支えられて生かされています。
それだけにいいかげんなことはできないとも思います。

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能登半島地震 被災から335日め

分割で寄付をしたいが、今年中じゃなければならないか?という質問をされに来られた方がいらっしゃいました。
もちろん返事は、来年になってもかまいません。
毎月1万円ずつ、2年間寄付して下さるそうです。

金沢の近郊のご夫婦が寄付を届けて下さいました。
封筒には「御喜捨」とありました。
布施の心が明確に表現されていることばで、よりありがたく感じました。
それにしても遠い所をありがとうございました。

昨年、退職された方が、無職になったのでほんの気持ち程度しか寄付ができないとおっしゃいます。
お気持ちで結構です、とお返事すると、その気持ちも1度には支払えないとおっしゃいます。
何回に分けていただいても結構ですと応えると、10万円ずつ3回のつもりだと言われ、初回分の10万円を下さいました。

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能登半島地震 被災から332日め

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今日の午前中、地盤調査が行われました。
正覚寺の地盤は、田んぼの埋立地です。
それも明治末期~大正初年の埋立ですから、軟弱なのだと思います。
20~30センチも掘れば田んぼの土で水がわき上がってきます。
そういう軟弱な地盤も地震の被害が大きかった原因の一つでしょう。
調査結果により、表層の地盤改良のみでよいのか杭が必要なのか判断されるようです。

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能登半島地震 被災から331日め

昨日、お参りに伺った1軒は、被害の大きかった地域にあります。
築11年という地元の大工さんによる新しいしっかりとした家なのですが、家中に被害があり一部屋単位で修理をしているようです。
寄付は難しいかなぁ?と思っていたら、ご自分の家の修理と共に、何回かに分割して寄付をして下さるということでした。
とてもありがたい言葉でした。

今日、お参りの家は、仏間と隣の座敷の間の戸が地震で閉らなくなってしまっていました。
1口24万円って書いてあったけど、1回で出さなくてもいいんやね?っとおっしゃるので、
何回にに分けていただいても結構です、とお答えすると、
1口24万円っていうけど、25万でも26万でも気持ちだけ上げればいいげね?っとおっしゃいますから、
もちろんいくらでも喜んでいただきます、とお返事させてもらいました。

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能登半島地震 被災から329日め

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寒いだけで雪のない冬だったのですが、今日は数センチの積雪になりました。
今夜はまだ降り積もりそうです。

今朝、多いか少ないか分からないけれども・・・と、2口のご寄付が届きました。
さらに、郵便振替で2口の入金がありました。
当初は、見捨てられてしまうのではないかという不安ばかりでしたが、皆さんに支えられているという実感と共に元気が出てきました。
毎日、同じようなことを書いていますが、考えることと言えばほとんどが本堂再建とその資金の心配ばかりです。

母親が、末期のガンでいよいよ危篤となった時、私は女房や子供と一緒に病院へ駆けつけましたが、母親の顔をひと目見て、すぐに引き返して御門徒のお通夜に向かいました。
お通夜が始まる直前に、母親が亡くなったという連絡を受けました。
昨日・今日のNHKの連ドラを見てその時のことを思い出しました。

祖父が最後の病気で寝込んだ時、枕元へ行ってその日のお参りのことを知らせるととても安心してくれました。
その祖父が、私にかけた最後の言葉は、「正覚寺を頼む」でした。
祖父の顔も目に浮かびました。

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能登半島地震 被災から328日め

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NHKの連ドラ「ちりとてちん」
天狗座での「草若弟子の会」の日、出番前の楽屋へ、師匠の草若の突然容態が悪化し危篤だと連絡があります。
息子の小草若は、落語の高座の機会は今後も多くあるからと、落語の高座には上がらずに病院へ駆けつけようとします。
兄弟子の草原は、病院へ行くなら高座の穴は自分が代わりに埋めるから・・・と言いますが、さらに一言、それでいいのかと聞きます。
師匠が身を削るように教えてくれた「地獄八景」という演目、それを演ずることが師匠(親)の恩に報いることか、病院の枕元へ駆けつけることが師匠(親)の願いに応えることか、小草若は問われたのだと思います。
結果、小草若は演劇場に残り高座を勤める決心をしました。
育てられて生かされている恩、それに感謝することは当然ですが、その恩に報いるとはどういうことか、そこに私たちの生きざまが問われていると思います。

今日は、千葉県の方から寄付の振込がありました。
去年の春にご主人を亡くし、障害者で働くことのできない息子さんと二人で暮らしておられる方です。
寄付はできないと断られる事情を抱えた中でのご寄付に本当にありがたいと思います。

午後は、金沢の近郊までお参りに行ってきました。
退職した娘さんとお母さんの二人暮らしです。
金沢などの遠方へ引っ越された方の多くが正覚寺を離れていかれる中で、こんな私がお参りに行くことを待って下さる、これもありがたいことです。

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能登半島地震 被災から327日め

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昨日の写真ですが、寒い毎日です。
夕べ夜中に防災無線のサイレンがなり、川向こうで火事だという放送、時計を見ると午前2時前でした。
同じ真宗大谷派のお寺の裏の家だったようで、そのお寺はご本尊などを避難させるなど大変だったようです。
お寺の建物への類焼はのがれたものの、御本尊は台座などに震災時以上に損傷を受けたそうです。
3階建の家が全焼したそうで、子供が2人亡くなったそうです。
寒い中、気の毒です。

今日の夕方は、診療所の受信日でした。
昨秋11月1日の発病時は7.8だった尿酸値は、1月17日の採血では5.6まで下がっていました。
痛風の治療の経過は良好のようです。

郵便振替の通知が届きました。
高齢のお婆さんが二人ですんでいる家からのご寄付でした。
ありがとうございます。

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能登半島地震 被災から325日め

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午前中で解体の仕事は終了しました。
後ろにみえる林は、一本松公園という今は桜の名所となった小高い丘の公園です。
昔は、その名の通り大きな松が一本だけ立っているように見える丘でした。

だだっ広い空き地を見ると改めてこの土地に建っていた本堂の大きさを感じます。
本堂の高い屋根は、お経に説かれている道場樹を象徴しているそうです。
ここに念仏の道場があるぞと知らしめているということです。
大きな屋根の本堂を失った正覚寺は、形は浄土真宗のお寺らしくなくなってしまいました。
しかし、形は違っても浄土真宗のお寺として歩んでいきたいと思います。

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今朝、電話があって、遠方の方から銀行口座へ寄付が振り込まれました。
遠方へ引っ越ししたのだから、正覚寺と縁がなくなったと無視されても仕方ないと思うのですが、見捨てずにご寄付下さる気持ちに頭が下がります。

午後は、年金での一人暮らしの方が寄付を持ってきて下さいました。
年金暮らしだから・・・そんな言い訳で寄付を断られても仕方ないと思うのですが、見捨てずにご寄付下さる気持ちに頭が下がります。

ご寄付が難しいだろうと想像していた遠方の方、年金暮らしの方々から寄付が集まり出しています。
お布施(寄付)の不思議さを感じます。
会計係をしてくれている友達は、「金持ちは、欲(=ケチ)やから金持ちなんや」が口癖です。
収入のある方ほど欲を振り切って寄付(お布施)をするのが難しいかもしれません。

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能登半島地震 被災から324日め

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今日もこのまま春になっていくのかと思うような穏やかな日です。
この山は高洲山という能登半島で一番高い山です。
とはいうものの、567mという高さしかありませんが・・・。
輪島市街地付近の住民はこの山を眺めながら暮らしています。

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今日は、境内の土砂やコンクリートの搬出作業が行われています。
解体作業もいよいよ終わりの仕上げになったように見えます。

今日、昨春大阪で亡くなられた方の名前で、30万円の寄付が届けられました。
亡くなられた方は独身でその家は絶えてしまったので、本家筋の方が届けて下さいました。
正覚寺に何か必要なことがあったら届けてくれとお金を預かっていたとのことでした。
お父さんは輪島市出身ですが、お金を託して亡くなられた娘さんは大阪生れの大阪育ちであったはずです。
思いがけないご寄付に驚き、ありがたく頂戴しました。
それにしても、お金を託された方も黙っていれば誰も分からなかったのではないかと思うのですが、正直な方です。

Miyagi
この本を読みました。
「仏教が法事という場だけのかかわりになっている
日常生きていくうえでは何の関係もないものになってしまっている。
そして、ただ先祖供養や法事というような場でのみ必要な存在にしてしまっている。」
こういう書き出しに始まり、明確な指摘の連続でした。
読んでよかったと思いました。

埼玉県の葬儀社から電話がありました。
輪島市門前町の○○寺という浄土宗のお寺を調べているが分からないということでした。
私が、浄土宗のお寺は輪島市に1ヶ寺しかないから浄土真宗だろうといって、真宗大谷派の寺院録を調べましたが、その名前のお寺はありませんでした。
そしたら、住所は門前町○○だと言います。
在所の名前が分かっているならどうして最初から言わないんだろうと思いました。
その在所のお寺は、真宗大谷派から離脱して、今は牛久大仏を建てた浅草本願寺の系統の団体に所属しているはずだと伝えると、
じゃぁ、そのお寺のことは何もお分かりにならないのですね?という返事。
そのお寺の何が知りたいのですか?っと聞くと、お西かお東か宗派を知りたかったとの答え。
だ・か・らぁ!さっきから言っているように、そのお寺はお東から離脱した浅草本願寺系列のお寺だと言ってるでしょう!ですから、西でも東でもありませんよ。

それにしても、最近やたらと遠方からの問い合わせの電話がかかってきます。

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能登半島地震 被災から323日め

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隣の新築工事です。
日曜日だというのに今朝から瓦屋さんが作業をしています。
今日1日で葺き上がったようです。

今日お参りに伺った1軒は、被害が集中した地域の中に建つ家です。
隣近所が潰れてしまって袋小路の奥の家なので道路からは見えなかったのですが、今はまる見えです。
周囲の音の聞こえない静かな家だったのですが、色んな音が聞こえるようになりました。
売り地の看板の建つ土地や駐車場ができて、再建される家は少ないようです。
この家は、親子で暮らしていますが、私の1歳年上の息子さんは独身です。
今日も過疎の現実を感じました。
お母さんは、地震で倒れてくる棚を避けて腰椎を傷められたそうです。

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能登半島地震 被災から322日め

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今日お参りに伺った家も88歳のお婆さんの一人暮らしです。
こんな歳になるまで生きてると思わなかったと言われます。
そして、年を取って皆に迷惑をかけて申し訳ないとおっしゃいます。
私は、そんなに多くない正覚寺門徒だけど、3人の100歳を越えたお婆さんがいらっしゃるから88歳なんて今の時代ではまだまだ若いと思うこと、
そして、人は誰でも生まれた時から誰かに迷惑をかけずには生きられないんだから、迷惑をかけているのはお婆さんだけではないとお答えしました。
このお婆さんの家も、蔵や塀が全壊になるなど大きな被害を受けました。
銭湯へ通うのが困難なので風呂だけは作り直したとのことでした。

この家へ向かう途中で正覚寺の近所のお婆さんに出会いました。
お寺も大変なことやねぇ、という言葉に続いて、3千円でも5千円でも気持ちだけお手伝いさせていただきたいと思っていますとおっしゃいました。
このお婆さんは川向こうの先輩のお寺のご門徒だけに、この言葉がとても暖かくありがたく思いました。

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能登半島地震 被災から321日め

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このボイラー、15年くらいは使っているものなのですが、数年前から異常な音がするようになり、10日ほど前からとうとうスイッチが入らなかったり、途中で止まるようになってしまいました。
風呂場は、長男と同じ年齢ですから25年くらい経ち、タイルを張替えたり、カランやシャワーを交換したり・・・色々修理してきましたが、すき間風などで寒いのでそろそろ限界のように感じます。
住宅の1・2階のトイレも地震により傷みが激しくなり、修理が必要です。
本堂の新築の心配があるので、トイレや風呂はそれの目処が立ってからと思っていたのですが、そうもいかない状態になってきました。
災害による被災者支援の法律が改正されわが家にも支援がしてもらえることになったので、その給付金を足しにしてリフォームしたいと思います。

 

Simada

 

 Karuto
2冊の本を読みました。
神憑きだとか、奇跡だとか、霊能だとか、予言だとか・・・この現代にあってなおそのようなものを信じ夢中になる若者の考え方が理解できません。
病貧争の解決、それは仏教においても目的ではあると思いますが、自分の欲のままに実現するというものではありません。
しかし、自己の欲望のままに世の中が動くと新宗教の信者は信じ込んでいるようで、この現代でそのようなことを若者が信じてしまうということも私には理解できません。
しかし、この現代にあってもそういう宗教がはびこり、宗教によって人生を棒に振ってしまう人がいます。
一旦、新宗教、カルトにはまってしまった人を第3者が救い出すことは難しいそうですが、真っ当な宗教を知ることによって、それがカルトに対するワクチンとして効果を発揮するそうです。
せめてワクチンを配布したい、そんなことを思いました。

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能登半島地震 被災から320日め

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トンカンと隣の新築工事の音が聞こえます。
雪の舞う寒い日ですが雨でないだけいいかもしれません。

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当寺の境内では車庫やブロック塀の基礎、庭木の撤去作業が行われています。
道路との境がなくなり裸にされたようで何となく落ち着きません。

郵便で郵便振替の通知が届き、1口分が入金されていました。
旦那さんが亡くなって姑さんと二人で生活されている方なのでとても経済的に裕福とは思えず、とてもありがたく思いました。

夕方、90歳を過ぎて一人暮らしのお婆ちゃんの家へお参りに伺いました。
このお婆ちゃん、収入が無くて何もお手伝いできないけど・・・と言ってお布施以外に懇志を包んで下さいます。
今日も1万円いただきました。
これで合計6万円の寄付をいただいたことになります。
お婆ちゃんは、お寺がきれいになるのが楽しみだと言って下さり、そのお気持ちがとてもありがたくお婆ちゃんに喜んでもらえる再建をしたいと思います。

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能登半島地震 被災から319日め

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日中は5~6度になるのですが、夜間は零下にまで下がります。
水たまりなどは氷が張っています。

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今日は、車庫が解体されました。
当初は、移動するという案だったのですが、移動の経費と修復の経費を合わせると新築したほうがよいのではないかということになり解体されました。

時々、携帯電話へ「モバゲーのマキです♪」というメールが届きます。
モバゲータウンという携帯電話専用のゲームなどのサイトからのメールです。
初めてこのメールを受け取った時には、モバゲーの“ゲー”という音の響きにいかがわしさを感じてメールの配信停止の手続きをしようと思いました。
しかし、「モバゲーのマキです♪」という書き出しに従姉妹からのメールかと勘違いしたことでしばらくそのままにしておくことにしました。
週に1~2度位の間隔で「モバゲーのマキです♪」というメールが届きます。
そのメールを見るたびに、エラの張り気味の従姉妹の顔を思い出します。
その従姉妹のお父さんは、去年の今頃は入院していて、お見舞いに福井まで通ったのでした。

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能登半島地震 被災から318日め

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今朝は、今冬初の冬景色で正覚寺の境内で3~5cmほどの積雪だったように思います。
夕方5時頃には外はすでに凍みていました。
まだまだ冬が続きそうです。

午後、トンカンと外から音が聞こえます。
見ると隣の家の新築工事でした。
近々建前が行われるようです。

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能登半島地震 被災から317日め

Itsuki
この本を読みました。

夕方、地区の真宗大谷派の僧侶の会議から帰ると、女房が、
「○○さんが寄付を持ってきてくれてんよ。それも1口」と言います。
旦那さんが亡くなり、子供もなく、年金でつましく生活をしている一人暮らしのお婆さんです。
そのお婆さんのことを全く知らなくても、一見してその姿からつましさが想像できると思われる方です。
ですから、私は御寄付をして下さる気持ちがあっても、数万円のご寄付ではないかと勝手に想像していました。
それだけに、そのお婆さんにとっての24万円という金額の重さが推測でき、本当にありがたく思いました。
女房がお婆さんから受け取った封筒の中身を数えると25万円あったそうです。
お婆さんに尋ねると1口24万円ということだったので、余分にあった1万円を返してあげると、お婆さんは、
「あぁ、助かったぁ!」と言われたそうです。
1万円は、お婆さんにとっては長い日数の生活費になるのでしょうから、その気持ちがよくわかります。
本当に大きな大きなご寄付で、私と女房は、元気づけられ励まされました。

会計係の方が、銀行へ寄付金の入金・記帳をしたら、遠方の方からの24万円の入金があったことが分かりました。
この方は、退職された娘さんとの二人暮らしで、娘さんの貯えとお婆さんの年金で生活されています。
この方もとてもつましい暮らしぶりで、娘さんはつま先に穴が開くまでスニーカーを履いていらっしゃいます。
たぶん、娘さんが貯えの中から寄付して下さったのだろうと想像しますが、24万円は大金であったろうと思われ、これも本当に大きな御寄付でした。

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能登半島地震 被災から316日め

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これから月1のペースで『復興だより』を発行する予定もあるので、プリンターを買い替えました。
A3モノクロレーザーとA4カラーレーザーを使っていたのですが、A3カラーレーザー1台にすることにしました。
贅沢と言われれば贅沢かもしれませんが、パソコンが唯一の道楽ですから許してもらいましょう。
女房に手伝ってもらって設置しました。

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プリンタに押し出されてこの棚が居間へ移動しパソコンの台になりました。

昨日、お参り先でお布施と共にご寄付の封筒をいただきました。
「年金暮らしなので1人前だけ・・・」という言葉だったので、お願いしている1口分24万円だと思っていただいてきたのですが、女房が数えると30万円が入っていました。
また、千葉の方からもお墓でお世話になったからと1口分24万円が振り込まれたり、正覚寺の合葬墓へ納骨されご自分は老人ホームで生活されている方からも10万円が送られてきました。
思わぬご寄付ばかりが届き、財産や収入のあるなしでは判断できないお布施ということを思わされる日々です。

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能登半島地震 被災から315日め

Homeless
小学校5年生10歳で母親を亡くし、中学校2年生で父親と別れ、兄姉と暮らした田村裕。
高校へ進学するが、生きる気力を失って、不登校気味になる。
そんな時の工藤さんという担任の先生との出会い。

==========================================================================

「目覚ましはもちろんちゃんとセットしてるんですが、そんなことより・・・・・・僕、生きてること自体に興味が無いんです。ガキが何を言うてんねんと思われるかもしれないですけど、十五年生きてきていろんなことを経験して、もう十分なんです。たくさん笑ったし、たくさん泣いたし。ただで死ぬのは嫌やから、誰かの身代わりになって、最後に誰かの役に立って死にたいんです。できるだけ早く。生きてることよりも、お母さんに会えることのほうが幸せなんです」

(略)

「もう嫌なんです。いろんなことを乗り越えるのがしんどいんです」
「楽しいこともいっぱいあるんじゃない?」
「多分、僕の人生、悲しいことのほうが多いと思います。今のところもそうやし」
「いつから? いつからそんなこと考えてるの?」
「わからないです。一年か半年か前から一人になると、そのことばっかり考えてまうんです」

(略)

「拝啓、田村君へ
 昨日、田村君といろいろ喋ってびっくりしました。田村君は『十五年生きてきてもう十分だ』と言っていましたが、私にもその気持ちわかる気がします。私の人生と田村君の人生は違うので、私が勝手にわかったような気になっているだけかもしれないけど、私にも同じように考えている時期がありました。私には『夏美が大事だよ』と言ってくれる夫、『お母さん、お母さん』と甘えてくれる子供達がいるにもかかわらず、それでも生きているのがしんどくて、寝るときなんかに『私はこのまま眠りについて、もし目覚めなくてもそんなに悲しまないかもしれない』と思う時期がありました。それでも家族に支えられてなんとか立ち直り、今日まで頑張ってきました。42歳の私がそんなにしんどいのだから、15歳の田村君がしんどいのは当たり前だと思います。でも、私のときに家族が私を必要としてくれたように、田村君の周りの人も田村君を必要としていると思う。兄弟はもちろん、他の教師もバスケ部のみんなも五組のみんなも、田村君が大好きです。田村君が授業中に質問攻めで教師を困らせているときも、クラスで何かを言って笑わせているときも、部活を頑張っているときも、みんな田村君に力をもらっていると思う。実際、私は田村君が大好きです。私は田村君の全てを知っているわけではないけれど、元気なとき、落ち込んでいるとき、笑っているとき、怒っているとき、私の知っている田村君はどんなときも魅力的で素晴しい人間だと感じています。田村君は今のままの田村君で十分に素敵です。私は田村君にたくさんパワーをもらっています。今の私は昔に比べてだいぶ元気になったので、もし田村君が落ち込んでどうしようもないとき、話ぐらいは聞いてあげられると思うので遠慮なく私の所にきてほしいです。私の父親は去年に亡くなりました。最愛の父親を亡くしとても落ち込んでいました。しかしきっと父親は私が落ち込んだままになっていることを望んでいない。父親がいたとき以上に元気に人生に励むことを望んでいると考えたときに、力が湧いてきて頑張ろうと思えました。そしてきっと今も近くで私を見守ってくれていると思います。田村君のお母さんも、きっと田村君の近くに居て、田村君のことを見守ってくれていると思います。田村君が笑っていることが、お母さんは一番嬉しいことなんじゃないかな。だから困ったときは少しは力になれると思うので、遠慮なく言ってください。
                                 5月14日 工藤 夏美」

 手紙を読み終えて、感動して涙が出た。
 自分のことを好きだと言ってくれる人がいる。
 自分の存在価値を見出してくれている。
 それをはっきりと言葉にしてくれる。
 それは僕の中で革命的だった。
 亡くなった家族に対する考え方も、今までの僕には考え至らない発想だった。
 これが何よりも僕を大きく変えた。
 そして僕は、お母さんが本当に喜んでくれることはなんなのかを考えた。お母さんが本当に喜んでくれること。僕はお母さんに甘えて迷惑ばかり掛けて、親孝行というものをほとんどしてあげられなかった。僕がお母さんにしてあげた親孝行は、お母さんが慟いていた頃、迎えに行った帰りに荷物を半分持ってあげたことだけだった。
 お母さんが僕に望むこと、会えなくなってしまった今からでもできる親孝行がある。
 それはきっと生きること、僕達兄姉が楽しく笑って生きること。

 僕がお母さんのように周りの人間の役に立ち、周りの人間に力を与え、周りの人間を楽しくさせること。それが何よりも親孝行なのだと気付いた。気付かせてもらった。
 生きたい。
 今までの考えが180度変わった。
 僕が立派な人間になってみんなに褒められることが、結局はお母さんが褒められることに繋がるとわかった。
 僕はめっちゃアホだし、立派な人間じゃないけれど、きっと僕にも周りの人間の役に立てることがある。
 できることを全部やりたい。
 そしてみんなに褒められるような立派な人間になりたい。
 お母さんのような思いやりに溢れた人間に。
 そしてそれには何よりも、僕白身が楽しく生きることが大事だと理解できた。
 工藤さんからもらった一通の手紙。
 僕の人生の価値観を根底から覆し、生きる希望を与えてくれた手紙。
 僕の人生の宝物となったその一通の手紙が、工藤さんとの出会いが、僕を救ってくれた。
 遡れば高校受験のときのお兄ちゃんのあの決断がこの出会いを生み、僕を救ってくれた。
 全てのことは繋がりがあって、思いやりの行動はいつか必ず良い結果を生み出すのだろう。

(略)

 次の日、早めに学校に行って工藤さんにお礼を言った。
「僕は生きたいです」と伝えると、工藤さんはとても喜んでくれた。
 教室に行き自分の席に座る。あんなにやる気のなかった僕にも、ちゃんと机と椅子があることを無性に嬉しく感じた。学校に行く気もなく、生きていく気すらなかった僕の存在を守ってくれていた机と椅子。僕が休んでいるときも僕の存在を守ってくれていたことが、いつもそこに僕の居場所があったことが、生きていることを実感させてくれて嬉しくなった。
 周りの同級生や先生方が僕の変化に気付いていたかはわからないけど、きっとこの日の僕は昨日までの僕とは別人の顔をしていたと思う。

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