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2009年1月

能登半島地震 被災から679日め

夕方、晩ご飯を待っていたら近所の方から携帯に電話がありました。
山吹さん、役員の引き継ぎをしているんだけど・・・。
あぁ!すっかり忘れていました。
あわてて上着を羽織って女房に送ってもらいました。
会場に着いてから気づきました。
出かける予定がなかったのでヒゲを剃っていません、靴下は左右とも裏がスケスケで穴が開く寸前です。
情けない。

 

夜、布団に入ってからしばらく本を読むのですが、昨日から途中のまま長くほったらかしになっていた五木寛之の「他力」というエッセイを読んでいます。
さすが小説家五木寛之という文章なのは当たり前ですが、坊さんが長々、くどくどと説教することを完結明瞭にまとめられています。
夕べ読んだ1節を紹介します。

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 シェイクスピアの有名な戯曲である『リア王』の登場人物の台詞の中に、「人はみな泣きながら生まれてくるのだ」という印象的な言葉があります。
ここには、三つの否定できない真理が含まれています。
 第一に、人は自分で自分の生まれ方を決めることができないということです。
どの時代にどの国の、誰の家に生まれるか、どの民族に、どのような職業の家に生まれてくるのか、体つきや才能、個性、遺伝子も自分では決定できない。
人生の第一歩からして自分の意志を超えた、何らかの力で、本人の努力と関係なく決められてしまうのです。
 第二に、人間の一生は日々、死へ向かって進んでいく旅である、ということです。
人間にとって未来には死以外の選択肢はありません。
人間は悲しいかな、死へ向かって毎日一歩ずつ近づいていく、はかない存在にすぎない。
 最後に、人生には期限があるということです。
百歳を超えて生きることは至難のわざです。二百歳まで生きられる人はいません。
どんなにお金があって、どんなに権力をもっていても、不老不死は不可能です。

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能登半島地震 被災から678日め

今日はご門徒の方が亡くなられて枕勤めのお参りをさせていただきました。
枕勤めに携帯する手帳を見ると、去年の10月末以来3ヶ月ぶりのお葬式です。
お勤めが終って話していると、ご主人がおっしゃいます。
新しい本堂でお葬式をされた方はいらっしゃらないのですか?と。
御法事をされた方はいらっしゃいますが、お葬式をされた方はいらっしゃいません、とお答えすると、
1番というのはラッキーですね、ごえんさん、とおっしゃいます。
さすがにお葬式をすることがラッキーだなんて私には言えませんでしたが、ご門徒の意識として、本堂でお葬式をして家族を送ることを喜んで下さっていることがよくわかりました。

お内仏(仏壇)の花瓶(かひん)と華瓶(けびょう)に樒(しきみ)が立てられていました。
これでいいのですね?っと訊ねられるので、これが正しいです、とお答えしました。
ところが、お勤めが終ってから、女性がお花を買ってきたので立て替えましょうか?とおっしゃいます。
これでいいのですよ、とお答えすると、せっかく買ってきたのに・・・とおっしゃいます。
申し訳ありませんが、正しいお飾りをわざわざ間違いにする必要はないでしょうとお答えしました。
色花の入った仏花がないから代用に樒が立てられていると思われていたようです。 

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能登半島地震 被災から677日め

先日いただいたメールを紹介します。
ブログを初めてからはホームページは全く更新していないのですが・・・。
戦争をなくそうといえば、左翼、差別をなくそうといえば、左翼とレッテルを貼られます。
そんな中で、うれしいメールでした。

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正覚寺・ご住職様へ

始めまして。
永六輔さんのHPを探しているうちに、貴方のHPに紛れ込んでしまったものです。
ちょっと読み始めたら、面白くて、考えさせられて、読みました。
時間の関係で全部は読めていませんが、「靖国神社」と「政治家・・・」のページを見ました。
「靖国神社」については、まったく同感です。
私は戦後生まれですが、父は職業軍人として太平洋戦争に従軍しています。
生前父は、戦地で散った戦友のことを「無残だった」といつも言っていました。
そして、戦友の墓参りもしておりました。
私はその話を聞くたびに「戦場で散った戦友に万感の思いを馳せられるのに、何で、その地で日本軍によって無残に殺された民衆に思いを寄せられないのだろうか?」と思いました。
たとえ父が撃った弾がその地の民衆の命を奪っていなくても同じです。
そこで考えました。
戦争とは一個人の思いなどには関係なく国家=その裏で巨利を貪る「死の商人」=の利害で動くのだと。
だからこそ、自分たちの理不尽な行為に対して批判をさせないために、「ガス抜き」の対象=世論の誘導先=として「靖国神社」を設定したわけですね。
このような考えを持つと、「非国民」として排撃されるのでしょうね。

そこで「政治家の堕落・・・」の話になりますが、このお話の中で、私の気がかりはマスメディアの役わりについて触れてないことです。
あの、太平洋戦争へ日本とアジアの民衆を引っ張り込んだ犯罪人たちが、もっとも活用したのが新聞とラジオだと思います。
このときメディアの人たちは、不承不承追随しなければならなかったのだと思います。(そう思いたいのです)
でも、自らの命を持ってしても「間違った報道はしない」という思いの人はいなかったのでしょうか?
このようなマスメディアの汚点は戦後今日に至るまで引き継がれているような気がしてなりません。
「政治家の・・・」で述べられている「馬鹿な政治家を選んでしまったのも国民・・・」というフレーズは、その通りと思いますが、政治選択の意思決定に至る「国民の情報源」であるはずのマスメディア自身が、私に言わせれば「民主主義の何たるかを自覚していない」ように思われます。
ちなみに「民主主義」とは原理的には「多数決」かも知れませんが、本質的には「少数の意見も尊重し討論=説得と納得=を通じて全体を収斂して行く」と言うことではないかと思っております。

稚拙な思いを展開しました。
こんな思いで、今の日本に不安と怒りをもっている人は、私一人ではないと確信しています。
貴方の、このHPに触れることが出来たのはとても有難く力強く思います。
今後とも、力強く主張を続けてください。

ところで、永六輔さんにお願いしたいことがあったのですが、何か良い方法はありませんでしょうか?

あったらお教え下さい。 

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能登半島地震 被災から676日め

090128_143054_2
今日は7年前に交通事故で息子さんを亡くした方の家へお参りに伺いました。
80歳を過ぎたご主人は、病気のため昨秋から車で1時間ほどの病院に入院されています。
お参りの後、お茶をいただきながらお話をしていると、おっしゃいます。
娘さんが近所に住んでいてよかったと、そして娘さんの旦那さんの仕事が良く似た仕事でよかったと。
娘さんは、70~80mほどしか離れていない距離のところに住み、ご主人が家業の跡も継いで下さっているのです。
息子さんを亡くした老夫婦にとって娘さんがそばにいる、それがせめてもの救いだと思います。
毎月のように同じことをおっしゃいます。 

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能登半島地震 被災から675日め

20090127_001 20090127_003
良ちゃんが中塗りをしています。
雪かきで疲れた疲れたと言います。
良ちゃんの家は少し山手なので海岸に近い市街地より積もるようです。

 

20090127_005 Img1046767652
なぜかトイレが詰まりました。
トイレ詰まり、解決します-対策・グッズの紹介-
このページを見て対応しました。
無事、復旧しました。
小さな事件でしたが、何が起るか分からないと思いました。 

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能登半島地震 被災から674日め

今日送られてきた本山の機関誌に「花すみれ」という小冊子が同封されていました。
その表紙に、
「お茶の間相談室(Q&A) -お嫁さんには是非お寺の娘さんを」
という見出しがありました。
まさかそんな呼びかけをしているのではないだろうなとその記事を読みました。

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おたずね
お寺の坊守で、後継ぎの息子がおります。
結婚相手は是非お寺の娘さんがいいと思っておりますが、いかがでしょうか。
それは私も寺の出身ですし、やはりお寺のことは、そこに育った者にしか分からない苦労があるからです。

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(前略)
大切なことは寺の出身かどうかということは大して問題ではないのです。
むしろ大切なことは、私がお嫁さんと共に念仏の教えを聞けるかどうかが問題なのです。
寺が聞法の場になることが大切なのです。

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本山(宗派)として可もなく不可もなくというありきたりな答えで、安心した反面ちょっとがっかりしました。

お寺に生れたものでなければお寺の苦労はわからない、と言われていますが、寺のものは一般のものとは生まれ育ちが違う(特別)という意識はないでしょうか?
お寺に育った子だからといって、どれだけお寺のことを分かっているでしょうか?
私の育て方が悪いのかもしれませんが、我が家の子供たちがお寺のことがよく分かっているとは思えません。
それに、同じ宗派のお寺といっても地域によって習慣や事情が違いますし、同じ地域にあってもそれぞれのお寺があって、それぞれの家庭があります。
お寺のことはお寺で育ったものにしか分からないというなら、地域の習慣はその地域に育ったものにしか分かりません。
もっと言えば、当寺のことは当寺に育ったものにしか分かりません。
さらに、私の人生は私として生まれ育った私にしか分かりません。
でも、私のことでさえ私自身にも分かりません。
お寺に生れたものでなければお寺のことは分からない、自分のことでさえ分からないのに・・・、そう思います。 

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能登半島地震 被災から673日め

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今朝は数年ぶり(?)と思える積雪がありました。
輪島で16cmとのことでした。
物置を探しましたが、除雪用具が1つもありません。
数年雪かきをしたことがありません。
日中は気温が上がるので、雪が溶けるのではないかと、除雪の必要はないのではないかと思いました。
しかし、まだ降るとの情報にあわてて除雪用具を買いにホームセンターへ走りました。

 

20090125_002  
スノーラッセルと樹脂製のスコップを買って来ました。

 

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広くなった境内の駐車場、どこをどのように除雪していいやら・・・。
とりあえず、歩く道を空けようと作業を始めましたが、午後になり融け出した雪は水分を含んで重たく重労働です。
女房の「光(3男)の歩くところさえ空いていればいいよ」という言葉どおり、細い道を付けました。
それにしても我が女房、「一応雪かきをしたという形跡があれば、それでいいのよ」とのこと。
性格がよく表れている発言でした。 

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能登半島地震 被災から672日め

20090124_002 
今日で削りの作業が終ったようです。
来週の月曜日から中塗りが行われるようです。

 

20年前に亡くなったお爺さんの祥月命日のお参りがありました。
お爺さんの連合いのお婆さんは94歳で、2年ほど前から寝たきりです。
介護をしている御家族は、ご飯を食べたことも忘れてしまうと言われました。
そのお婆さんが、お勤めが終ると、ベッドの上で「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」と大きな声で念仏を称えます。
古いことは覚えているが、新しいことは忘れてしまう、昔から称え続けて来たお念仏は忘れていないのかもしれません。
お婆さんにお念仏を申させてあげたい、御家族はそう願って私を呼んで下さったように思いました。
何の役にもたたないと思っていた私ですが、何となく役に立たせてもらったように思いました。  

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能登半島地震 被災から671日め

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正覚寺の「用務員さん」と言われた良ちゃん、今日からは本職の職人さんをしています。
会館(庫裏)の2階の壁の塗り替えをしています。
見た目には、真ん中にひびが入ったり隅が掛け落ちている程度なのですが、壁の砂がポロポロと落ちるのが止まらず、掃除をしてもキリがありません。
それでも、建物の歪み、上下の割には被害は小さいと思います。

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能登半島地震 被災から670日め

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正覚寺と同じような被害を受けられた隣寺(判定は全壊?)は、修復工事が行われています。
正覚寺の解体新築という決断は、住職夫婦である私たちが若い(50歳過ぎですが・・・ coldsweats01 )からできた決断だと言われますが、隣寺の修復という決断も勇気ある決断だと思います。
修復は、修復をして終わりではありません。
今後も維持管理、修理が続きます。
屋根の葺き替え・修理だけでも2000万円以上の予算が必要です。
過疎化という現実の中でそれを覚悟するには住職として大きな勇気が必要だと思います。
ちなみに隣寺の住職は40歳を過ぎたばかりです。

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能登半島地震 被災から669日め

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時々長男から、そろそろ源泉徴収票を出しなさいよ、と言われていたのですが、まだ大丈夫とほったらかしていました。
昨夜、長男が、毎年毎年督促されていないで、たまには督促前に出しなさいよ、例年20日過ぎたら督促だよ、と言われました。
午前中、あわてて源泉徴収票を作成しました。
年末調整計算(源泉徴収簿作成) 数年前からこのソフトを使っています。

 

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昨日で完成だと思っていた塀ですが、今日も作業が行われました。
モルタルで仕上げたようです。
良ちゃんの本職は左官屋(タイル職人)です。

 

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ありあわせの材料で良ちゃんが組んでくれた階段。
とりあえずこれで・・・ということですが、これで十分です。

 


篠岡建設が再生法申請

南加賀地区(石川県南部)トップクラスの建設会社「篠岡建設」が民事再生法の適用を申請した、という新聞記事がありました。
土建屋さんはどこも大変やね、と話しかけると、これからはますます寺も大変よ、という女房の答え。
お布施の額が下がっているとのこと。
過疎高齢化、不景気、風習の変化・・・、そうであろうと思います。
そして、今後ますます厳しい状況になっていくのだろうと思います。
新本堂の再建に浮かれてはいられません。

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能登半島地震 被災から668日め

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トイレのおまかせ節電、機能するには数日が必要とのことでした。
稼働を確認すると、オレンジ色に節電のランプが灯っていました。
これでかなり無駄な保温は行われなくなり電気代の節約になると思います。

 

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裏の駐車場と庭との境の塀の設置作業が完了したようです。
贅沢・無駄なようですが、道路から丸見えでは出入り自由で防犯上問題があると思いました。

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能登半島地震 被災から667日め

年末にタバコ代600円を借りに来たお向いのアパートのお爺さん、約束通り5日に600円を返しに来ました。
ところが、早くも数日前にもタバコ代600円を借りに来ました。
生活保護の入金から10日ほどしか経っていません。
話していると、安室奈美恵などお爺さんが聞くとは思えないCDを持っているようで、無駄づかいをしているのではないかと心配です。
そのお爺さんが、今朝もやってきました。
タバコ代300円を貸して欲しいと言います。
応対をした女房が、この前の600円を返してからね、お金は考えて使わないとダメよ、などと断りますが、お爺さんはタバコ一箱代300円だけ・・・と粘ります。
根負けして、じゃぁ300円だけと言って貸してあげたようです。
代わりにとお爺さんは手に牛乳を3本ほど持っていたそうで、お金が全くないのではなさそうです。
ひょっとしたら、買物に行けば店の人と話しが出来る、金を借りにくれば私たちと話が出きる、そういうことなのかもしれないと女房は言います。
正しくタバコ代なのでお金は惜しくないのですが、このお爺さんとどのように付き合ってあげればいいのか考えています。
それにしてもこのお爺さん、地震の直後を含めてこれまでは忘れた頃に数度しか来たことがなかったのに、年末に本堂が完工したとたんにお金を借りにやってくるようになりました。
本堂の屋根が低くなって、塀も低くなって、バリアフリーで階段も敷居も低くなって・・・、寺へ入って来やすくなったのかもしれません。

 

20090119_001  
このブログの常連、便利屋良ちゃんが塀の設置をしています。
今日は暖かいとはいえ、時折冷たい雨が降りました。
雨に濡れれば寒いと思います。

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能登半島地震 被災から666日め

そろそろ「能登半島地震 被災から○○日め」というタイトルを止めようかと思っています。
何かキッカケがあれば、と思うのですが・・・、元日をキッカケにすればよかったと思います。

今夜は町内の新年会でした。
私は宴会が苦手です。
隣の人と話を合わせるのが苦手だし、お酌をしてくれる女性との会話も苦手です。
いつもは1次会だけで帰るのですが、たまに付き合いするかと2次会も参加したのですが、そこも苦痛でした。
カラオケ大会が始まったのですが、私はオンチでカラオケが苦手です。
今日は風邪ぎみで喉が痛いので尚更歌いたくありませんでした。
若い頃から飲み会で言われます、いつもそんなにしらけているの?と。
スナックなども苦痛です。
どうして金を払って女性の機嫌を取らなきゃならないんだと思います。

でも、今夜は一つ勉強をしました
コンパニオンの女性の会話で、「温い(ぬくい)」「息災(そくさい)」を輪島の方言だと思っていたのですが、標準語だと知りました。
携帯で検索したらちゃんと国語辞書に載っていました。
輪島では、「そくさい」ではなく「そくせぇなぁ~」と発音するのですが・・・。 coldsweats01

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能登半島地震 被災から665日め

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障害者用のトイレにも標準のリモコンが設置されました。
早速、節電の設定をしました。
これでかなり電気代の節約にもなりますし、省エネにもなるはずです。

今週は二人の方のお見舞いに伺いました。
お一人は、肝臓に腫瘍というこ重病でした。
薬を服用すれば回復できる病気だと決めつけて病院へ伺ったのでショックでした。
ただただお気の毒という思いだけです。
私も同じ立場になる日が来るのだろうと思いました。
もう一方は、家で転んで大腿骨骨折という大けがの方でした。
ケガから3週間、大けがだったにもかかわらず順調な回復のようでこちらはとても安心しました。
震災、病気、ケガ・・・いつ何が起っても不思議ではないのがこの世、人生だと改めて思いました。

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能登半島地震 被災から663日め

便器のメーカーTOTOから返事が届きました。
使い始めて分かる事が色々あるものだと思います。
早速、温度設定だけは隣のトイレのリモコンで行いました。
でも、節電設定で使いたいので標準リモコンは必要です。

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ご回答:
身障者用トイレにらくらくリモコンを設置いただいたところ、標準リモコン
がないためにご不便とのお問合せを承りました。
らくらくリモコンはウォシュレットに同梱の標準リモコンと両方の取付が必
要なオプション品でございます。
らくらくリモコン単独では、山吹様がご確認のとおり、細かな操作、設定な
どができなくなります。
お手数をお掛けいたしまして、誠に申し訳ございませんが、あらためてお取
り付けの業者様へ標準リモコンの設置をご依頼いただきたく、お願い申し上
げます。

応急的な処置といたしまして、他所のトイレに設置されているアプリコット
がございましたら、そのリモコンで温度設定などは可能でございます。
ただし、節電の設定などは本体とリモコンが一定時間ごとに通信をしあうた
め、常時標準リモコンがないと、正常に動作いたしません。

十分なご対応ができず恐縮でございますが、よろしくお取り計らいのほど、
お願い申し上げます。

TOTOお客様相談室

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能登半島地震 被災から662日め

今月の電力消費の検針票を見て女房が驚きの声、12月10日からの1ヶ月で5万円超です。
何となく想像はついていましたので、やっぱりなという感想でした。
便利になるということは、それ相応の負担が必要だということです。
大きな本堂の修繕にかかる維持費は必要なくなりましたが、日常の維持費が必要となりました。
年末年始に数日エアコンを動かしただけなので、何もしなくてもだいたいこの金額ということになります。
ただ、無駄づかいでもったいないと思うこともあります。
それは障害者用トイレの便座です。

20090113_004 20090113_002  
他の一般用のトイレは標準のリモコンが設置されているので、便座や温水などの温度設定と節電設定などができます。
ですから、その分は来月から若干でも使用料が減ると思います。
しかし、この障害者用の便座にはらくらくリモコンという使用者に優しい簡易リモコンしか設置されていません。
このリモコンでは、温度設定も節電の設定もできません。
したがって、便座の保温が高温で24時間入りっぱなしです。
障害者用便座のためフタがないので尚更です。
建設会社を通じて設備屋さんに、標準のリモコンを増設して欲しいと依頼したのですが、メーカーに問い合わせて対処するという返事でした。
バリアフリーで障害者に優しいということと、エコという地球に優しいということの両立はできないのだろうかと思いました。
もちろん直接、メーカーにも問い合わせをしています。

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能登半島地震 被災から661日め

毎年同じですが、年末年始の行事・お参りが終って1月10日過ぎにちょっとホッとします。
気がゆるんで疲れが出るのか、毎年この時期は眠い。
今日はお休み、とてもありがたく、のんびりさせてもらいました。
昼食後、コタツでパソコンを広げたら、いつの間にか晩ご飯、夕食後も風呂の時間以外は何となくパソコンを・・・。
こんなことで生命を浪費していいんだろうかとふと思う。

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女房の、お前がやらないから片づかないだろ!、と言わんばかりの言葉に、午前中は年末にし残した1台のスチールラックの組立をしました。

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能登半島地震 被災から660日め

今日お参りに伺った家に「光如」というサインの額が掛けられていました。
額には「無量寿」と書かれていて、サインの名前と合わせて私は東西本願寺系列の位の高い方の書だと思い込みました。
家に帰って新聞を読んでいると、なんと広告にその書が出ているではありませんか。

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ただそれだけのことです。

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能登半島地震 被災から659日め

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本堂の向拝(入口)の柱に表札を掛けました。
実は、この表札は3男の同級生が中学校の技術の時間の課題で製作したものです。
どうして中学生が正覚寺の表札を作ってくれたのか不思議ですが、とてもうれしいプレゼントでした。
玄関のげた箱の上に飾ってあったのですが、相応しい場所があれば表札として掲げたいと思っていました。
その後、震災・・・。
そしてようやく表札を掛けられるようになりました。

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能登半島地震 被災から658日め

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女房が輪島高校のPTAで知り合った友達からボタ海苔をいただきました。
天然の岩海苔です。
温暖化で海水温が高いせいか出来が良くないらしいです。
いただいいたような獲ったままの岩海苔をボタ海苔といいます。
竹の簾などで浅草海苔等のように四角く干したものを板海苔といいます。
早速晩ご飯でスープでいただきました。

 

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夕べ友達が、「祐里子さんと約束したから・・・」とできたての丸ゆべしを持ってきてくれました。
女房に聞くと、「水ようかん食べる?」と聞かれたので、「丸ゆべしなら食べる」と答えたそうです。
あつかましい、ずうずうしい・・・ さすが我が女房。 coldsweats01 

 

Mizuyoukan_2  
ちなみにこれが輪島の水ようかん。
なぜか寒い冬に水ようかんを食べます。
輪島だけの習慣だと思っていたら、福井でも同じ習慣があるようです。

 

晨朝(じんちょう)=おあさじなどで御本尊の前で手を合わせます。
それが、“ありがとうございます”というお礼の念仏になっているようです。
でも、阿弥陀如来の救済に感謝する報恩感謝という立派なものではありません。
本堂が復興できたことに対する感謝になっています。
自分にとって都合が良いことが起った事に対する感謝、手を合わされている阿弥陀さんは、お前それは私に対する念仏ではないだろう、とおっしゃっておられるでしょうが、今の私には本堂ではそういう念仏しか出てきません。

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能登半島地震 被災から657日め

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輪島ではろうそく代と呼びますが、報恩講の志を納めて下さった方でお飾りをお渡しできなかった方にお飾りの入った封筒をお届けにまわりました。
私が運転手、女房が配達というチームで回りました。
配り終えた後のお飾りの残りです。
かなりの数が残っています。
昨年度(一昨年11月)の報恩講は、会館(庫裏)の広間を仮御堂にしての報恩講でしたので、お参りが少ないのも仕方がないかと思いました。
今年度は、正月開けという時期だったのでお参りが少なかったのでしょうか?
震災前の60~70%程度のお参りしかなかったようです。
本堂は復興したもののお参りしていただけなくては意味がありません。
工夫をしたいと思いました。

 

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境内に車が止まっています。
門徒の方か知り合いの車かもしれませんが、何も聞いていないので無断駐車です。
とりあえず、下の貼り紙をさせてもらいました。

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能登半島地震 被災から656日め

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夕方、荘厳を平常に戻しました。
正月、報恩講と続いたので久々に平常に戻りました。
片付けた道具のほとんどが、年に1度報恩講でしか使われることのない道具です。
改めて浄土真宗にとって報恩講というのは大変な行事だと感じました。

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能登半島地震 被災から655日め

20090107_004
今日は祠堂経(永代経)のお参りがありました。
輪島では、報恩講に1年間に亡くなった方の遺族が祠堂志(永代経志)を志納するという習慣があります。
他寺では報恩講の午前中、または報恩講のお参りの合間に祠堂(永代経)の勤めを行っているらしいのですが、正覚寺は報恩講後に一堂に集まっていただいて勤めています。
それぞれ、いいがになった(立派になった)ねぇ、と新本堂を喜んで下さいます。
そんな中で、面白い感想だと思ったのは、これまでは私たちが入ってはいけない一段高いところの遠いところにいらっしゃって遠い存在だった御本尊(阿弥陀さま)が、すごく身近に来られて親しみを感じるとおっしゃる方がいらっしゃいました。
私は、そのように思われてさぞかし阿弥陀さまは喜んでいらっしゃるでしょう、とお答えしました。
他のものも、これまで大きな本堂に埋没して認識されなかった仏具・部材が小さな本堂になったために目立つようになり、こんなものが本堂にあったのかと驚かせているようです。

鐘楼(鐘撞き堂)は追加の御寄付をお願いせずに再建したいと御挨拶させていただきました。 
後で総代さんが、寄付をいただかずに鐘楼を再建するという約束をして大丈夫ですか?と心配されて下さっていましたが、私は何とかなると思いますとお返事させていただきました。
何とかなる、私はそう確信しています。

上の写真は、寒ざらしの大根です。
正覚寺では、報恩講に奉納された大根を皮をむいて吊るしておき、翌年の6月28日のお講で炊いて食べるという伝統があります。

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能登半島地震 被災から654日め

今日は報恩講2日め、昨日が盛況だったので今日もと思い込んでいたのですが、今日はさんざんでした。
昨日の天気予報が、曇り後雨か雪だったのに穏やかな暖かい日だったのでお参りがあったのだと思います。
今日も曇りだったのですが昨日より寒かったので・・・。
でもそれだけじゃないと思います。
正月開けとはいえ新本堂のお披露目のお参り、本堂を見がてらのお参りが多いのではないかと予想していたのですが、新築の本堂では参詣者を集めることはできませんでした。
減り続ける参詣、どうしたらいいのでしょうか?

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能登半島地震 被災から653日め

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今日から明日は1昼夜報恩講。
正午からお斎(昼食)、午後1時15分から勤行・法話です。
しかし、9時頃からお婆さん達がおいでます。
10時すぎには10人ほどの方がおいでます。
寺でお茶を飲んで遊んで下さるのは大歓迎なのですが、中には時間を間違えて、というか案内の時間を見ずにいらっしゃってると思われる方がいます。
どのように案内したら伝わるのだろうと思います。
高齢化社会の難しさを感じます。

 

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曇り後雪か雨という予報に反して穏やかな1日でした。
お天気の影響もあったのでしょう、多くの方が寺へ足を運んで下さいました。
昼食だけ食べて帰ってしまわれた方も多いのですが、私はそれでもかまわないと思っています。
寺離れ、仏教離れが進む今、寺へ足を運んで下さる、そのことを大切にしたいと思います。

 

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記帳のお手伝いを下さっているお父さん方です。
新本堂で、お参りの方達の流れがスムーズにいくだろうかと少し心配しましたが、新しい本堂に合わせて皆が動いて下さいました。

 

20090105_008_2
お参りが終って本堂を片付けていたら、女房が、お父さんに“ここで手を洗わないで下さい”という貼り紙を作ってもらわなければならない、と言ってやってきます。
女子トイレのあちこちで手を洗うので、トイレ中が水で濡れてしまっているというのです。
トイレのタンクが手洗いを兼ねたタイプとなっているので、私も女房もこうなるであろうと覚悟をしていたのですが・・・。

 

20090105_010  
 スロップシンクという汚れ物やぞうきん、モップを洗ったり、汚水を流す流しでも手を洗った人がいるようです。
手を洗ってもらってもかまわないのですが、どうしても手を洗った周囲が水びたしになります。
汚れる場所はできるだけ特定の場所にしてもらいたい、それが管理・掃除する側の願いです。

 

20090105_011  
本来の手洗いです。
手前にタオル掛けも設置されているのですが、意識的にタオルは掛けてありません。
流し横のジェットタオルを使って欲しいと思っています。
それにより水を飛ばすために手を振り、水びたしにすることを防ぎたいという思惑があるからです。
今日のところはそれは思惑通りだったように思いました。

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能登半島地震 被災から652日め

20090104_001 
明日からの報恩講の準備をしました。
この軸は、下の写真の旧御堂座敷に掛けられていた軸です。
見えにくいですが、香炉は輪島塗で、これも下の写真の壁の下敷きになりました。

 

607  
明日明後日と報恩講を勤めます。
かつては、11月25日から28日の御正忌(11月28日は親鸞聖人の御命日)に勤めていました。
近年は、11月10日前後に勤めています。
今年、というか2008年度は本堂の完工を待って勤めることにしたのです。
いつのお参りもそうですが、参詣があるのかどうか不安です。

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能登半島地震 被災から651日め

20090103_001 
昨日の朝、玄関のインターホンが鳴らされます。
うっかり寝坊をしてしまったので、ご門徒の方がお参りに来られたんだと思い、あわてて玄関の戸を開けました。
玄関に立っていたのは向いのアパートに住むお爺さんでした。
生活保護を受けてアパート暮らしをしているそうです。
1月5日になれば生活保護の入金があるのだけれども、タバコを買う金がないから貸して欲しいと言います。
一瞬ためらいましたが、向いのアパートの住人だし、悪いお爺さんではなさそうなのでタバコ2個分だという600円を貸してあげました。
上の写真のもち米を借金の形に置いていくと言うので、一度はいらないと断ったのですが、物貰いだと思われたくなかったのか、お金を渡した後で再度置いていくというので、受け取りました。
母方の祖父が、物貰いさんにお金を施し、「またどうぞ」と言って送り出したという話しを思い出しました。
祖父はそういう人でした。
私にはまねはできません。

 

20090103_005_2
今日が仕事初め、と言っても昼過ぎに1軒だけお参りしただけですが・・・。
そのお参り先で訊ねられました、いつから本堂は使えるのですか?と。
私は、もう既に使えるようになってお参りさせていただいていますよ、ご門徒の方にはお知らせしてありますが・・・、とお答えすると、皆が消防法に引っかかっていて正覚寺の本堂はまだ使えないと言っているとのこと。
輪島の人たちは本当にウワサが大好きです。

お参りから帰ると女房が、お父さんに土足厳禁の貼り紙を作ってもらわなければならんわ、と言います。
土足で上がった奴がいるのか?と聞くとそういうことらしいです。
実は、完工時に、私は、土足厳禁の貼り紙が必要だと言ったのですが、女房がそんなことをしなくても常識的に靴を脱ぐはずだというので貼り紙はやめました。
貼り紙の代わりに、私はサンダルを玄関の正面に置きました。
そのサンダルを女房は隅に置き、それをまた私が中央に置き直すことを繰り返していました。
私は人を信じないタイプ、女房は信じるタイプ。
玄関の中央にサンダルが脱いであっても、農協の葬祭会館と同じだと、土足で上がる人がいました。
やっぱり人を信じることはできません。

 

20090103_002  
午後、正月飾りを片付けて、ざっと掃除をしました。
上の写真のお飾りの中身は、餅ではありません。
酒です。
酒屋さんからいただいたものらしいです。

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能登半島地震 被災から650日め

毎年同じですが、朝から箱根駅伝を見ながらこたつでのんびりしました。
私にとって、1月2日は正月休みです。
元々、それほど多くの方が初詣におい出るわけではないのですが、ご門徒の習慣と意識の変化、そして鐘楼がないため除夜の鐘を休止しているせいでしょう、一段とお参りの方が減っています。
2日の今日は、午前中に一人の方がお参りにおいでただけだったようです。

 

「寺門興隆」という寺院向けの雑誌で正覚寺のことが紹介されました。
細かいニュアンスの違いはありますが、正覚寺復興の思いをうまくまとめてくださっていると思いました。
ちょっと照れ臭いですが、下に転載します。 
Photo 2  
「門徒とつながり合えました」

 輪島市河井町の真宗大谷派正覚寺では、鐘楼が倒壊し、二百坪の本堂も甚大な被害を受けた。
 地震のとき、山吹啓住職(五十三歳)は法事の準備のため、庫裡の廊下を歩いていた。ゴーッという地嗚りがした後、大きな揺れがきた。とても立っていられない状態で、壁に何度も体をぶつけながら風呂場に逃げ込んだ。幸い、庫裡にいた家族は無事だった。揺れが収まってから外を見ると、鐘楼が倒壊していた。本堂へ行くと須弥壇が倒れ、本尊の阿弥陀如来も倒れていた。しかし、
 「素人目には本堂が傾いているのは分からず、壁が落ちただけだと思いました。二、三日後、掃除をしていると廊下が菱形にゆがんで見えたのですが、地震で頭がおかしくなったかなと思ったぐらいです」と振り返る。
 実際はひどい状態だった。建物は複雑に傾き、床柱は倒壊寸前までずれ、瓦は波打って落下しそうになつていた。
 その後の調査で、本堂は引き起こせることが分かったものの、山吹住職の苦悩が始まった。本堂は大正三年に建てられた総ケヤキ造りの重厚なもの。かつて地域は北前船で栄え、門徒の寄進で建てられたが、過疎化が進む現在、大きな本堂を維持するのは困難になっていた。
 山吹住職は地震当日から毎日のようにブログ(インターネット上の日記)を付けている。復興の様子が事細かに分かる貴玉な記録だ。住職の苦しい胸の内も伝わってくる。
ある日のブログだ。
 《現在の正直な気持ちを明らかにすると、この寺から逃げ出したいです。大きな本堂を維持する悩みから解放されたいです。門徒がついているから…、門徒にたのめば…、それが住職道の常識かもしれません。しかし、私には年金暮らしのおじいちゃん・おばあちゃんたちに大きな寄付を言い出せません。それでは住職失格だと言われれば、私は住職失格です》
 最初はもちろん修復という方向だった。
 「直すのが当然の建物。初めはどうしても、残さなければと思っていました」
 門徒と半年間相談を続け、修復の見積もりを取ったが、決断がつかなかった。
宗派の対応が遅く、寺檀でじりじりする様子もブログから伝わってくる。
 《能登は寺院数の多い地域で、元々、一カ寺あたりの門徒数が少なく、その上に過疎・高齢化の先進地という厳しい状況におかれています。そこへ今回の地震によって、寺もご門徒も被害を受け、ご門徒にすれば寺の再建どころではないというのが本音だと思います。
 住居として使用している棟は地震保険に加入できますが、本堂や会館、客殿などの棟は、農協の共済や本山の共済にしか加入できません。被災したほとんどの寺が頼りにするのは、本山の共済しかないというのが実情だろうと思います。
 共済の保証だけで再建が出来るという甘い考えを持ってはいませんが、共済が規定通りに支給されれば復興への大きな元金になるはずです》《未だに提示されない宗派の共済給付金、皆しびれが切れてきました。大まかに数千万出るとか、数百万だとか、数十万だとか、出ないとか、大まかな見通しぐらい連絡があってもいいのではないかと思います。傾いて、雨漏りのする本堂と共に生活している被災者の痛みを理解して欲しいと思います》
 そんな時、背中を押してくれたのは門徒のお婆さんたちからの提案だった。
 「“ごえん(住職)さん、こんな時代やし、小っちゃいのにして建て直したらどうや。私らも足が痛いし椅子の方がありがたい”と。女性の発想は違いますね」
 そこで、門徒の中でも若い年代の十人と、新築プランを練り、平成十九年十月に門徒総会を開いた。住職は新築には反対の意見が多いのではないかと予想していたが、99%が新築を支持した。だが、半分の規模の百坪にするとしても八千万円はかかる見積もりになった。寄付をお願いする前から、寄付ができないから門徒を辞めると伝えに来る人も出てきた。
 「頭を悩ませました。過疎地で、門徒さんも被災しているので多くは頼れない。借金も覚悟しました」
 ところが、蓋を開けてみると、住職も驚いた。一ロ二十四万円で募財をお願いしたが、想像以上の門徒が協力してくれたのだ。多くは年金暮らしの財布から。
ブログにも感謝の言葉が綴られる。
 《夕方、地区の真宗大谷派の僧侶の会議から帰ると、女房が、「○○さんが寄付を持ってきてくれてんよ。それも一ロ」と言います。旦那さんが亡くなり、子供もなく、年金でつましく生活をしている一人暮らしのお婆さんです。それだけに、そのお婆さんにとっての二十四万円という金額の重さが推測でき、本当にありがたく思いました。女房がお婆さんから受け取った封筒の中身を数えると二十五万円あったそうです。お婆さんに尋ねると一ロ二十四万円ということだったので、余分にあった一万円を返してあげると、お婆さんは、「ああ、肋かっかあ!」と言われたそうです。一万円は、お婆さんにとっては長い日数の生活費になるのでしょうから、その気持ちがよくわかります。本当に大きな大きなご寄付で、私と女房は、元気づけられ励まされました》
 《今日も一ロの御寄付を頂きました。十年ほど前に五十代のご主人を亡くし、姑さんや娘さんと暮らしていらっしゃる女性です。家庭環境から判断すると経済的に裕福ではないと思える方々が率先して寄付してくださっているように感じています》

葬式仏教でいいんだと分かる

 「一ロは無理だけど」と、一万円、三万円と寄せてくれる門徒も多かった。結果的にお寺が二割、宗派の共済金や義援金から二割、そして残りの六割が浄財でまかなえ、借金もせずに済んだ。
 「ありがたかったです。僕みたいな住職にみんながこんなに協力してくれるとは思いませんでした。人を信じるようになりました」と山吹住職。
 能登半島のお寺は伝統的な作りが多いが、新本堂はバリアフリーの現代的な建物になる。大きさはちょうど半分の百坪だ。地盤を改良し、基礎もしっかりした上、壁や柱の多い構造にした。
 会館のような外観のせいか、葬祭会館を建てるのではないかと噂されたり、第三者から「貴重な建物だから残すべき」と何度も要望され、大きい本堂を維持する困難さを説明するのにも苦慮した。
 「もう見えは捨てました。能登半島でこのような形式の本堂は初めてでしょう。でも、門徒さんに喜んでもらえればいい何と批判されてもいいと覚悟を決めました」と、もう思いは揺るがなかった。
 十二月上旬現在、いよいよ新しい本堂の完成が近づいている。門徒が完成を持ちわびて、工事中の境内を訪ねてきては「いいが(立派)になったねえ」と喜んでいる。
 本堂の新築が動き出してから、門徒に変化があった。これまで農協の葬儀場でお葬式をしていたのが「ごえんさん、自分が死んだらここでやってください」とロ々にお願いされるようになったのだ。
 また、地震は住職の考えも変えた。
 「地震を経て、葬式仏教でいいんだ、葬式を通じて教えに触れていただければいいんだと考えるようになりました。心のこもったお葬式で送ってさしあげたいと思います。苦労はしましたが、門徒さんとよりつながり合えました。期待に応えていかなければと思う日々です。
 倒壊した鐘楼の再建のめどはたっていないが、もう門徒にこれ以上の負担をかけるつもりはないという。
 「日々の運営でコツコツとやっていきたいと思います」
 山吹住職は穏やかに、でも、きっぱりと話した。

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能登半島地震 被災から649日め

20090101_002 
本堂で初詣の受付をしました。
庭が見えるようにとプリーツスクリーンをシースルーにしました。
叔母さん製作のステンドグラスも見えます。
私にとっては新しい発見でした。

 

20090101_005  
阿弥陀さん目線で写真を撮ってみました。
入口の方はイスが増えて全部で100席になっています。

 

お参りにおいでるご門徒の方が、立派になりましたねぇ!とおっしゃって下さいます。
あなたのお寺ですよ、ご門徒の方のお寺ですよ、と言いたいのですが、上手に表現ができないで、おかげさまで・・・という返事を繰り返しています。

古材が再利用され、仏具の多くも古来の道具が使われているのですが、新しいものと組み合わせても違和感がないようにと、古材は漆で塗られ、仏具は新たに金箔が貼られているので、全てが新しいと思われるようです。
再利用されているものを指し示すと皆さん驚かれます。

それぞれお葬式の会場としての使い方を気にされます。
中には受付(記帳場)、市役所の手続きもしてもらえないだろうかとおっしゃる方もお出でます。
私は、金銭、プライバシーに関わることなので難しいかもしれませんが、そういうご希望があることはお伝えしますとお答えしました。
過疎の現実の厳しさはこういうところにも現れます。

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