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能登半島地震 被災から650日め

毎年同じですが、朝から箱根駅伝を見ながらこたつでのんびりしました。
私にとって、1月2日は正月休みです。
元々、それほど多くの方が初詣におい出るわけではないのですが、ご門徒の習慣と意識の変化、そして鐘楼がないため除夜の鐘を休止しているせいでしょう、一段とお参りの方が減っています。
2日の今日は、午前中に一人の方がお参りにおいでただけだったようです。

 

「寺門興隆」という寺院向けの雑誌で正覚寺のことが紹介されました。
細かいニュアンスの違いはありますが、正覚寺復興の思いをうまくまとめてくださっていると思いました。
ちょっと照れ臭いですが、下に転載します。 
Photo 2  
「門徒とつながり合えました」

 輪島市河井町の真宗大谷派正覚寺では、鐘楼が倒壊し、二百坪の本堂も甚大な被害を受けた。
 地震のとき、山吹啓住職(五十三歳)は法事の準備のため、庫裡の廊下を歩いていた。ゴーッという地嗚りがした後、大きな揺れがきた。とても立っていられない状態で、壁に何度も体をぶつけながら風呂場に逃げ込んだ。幸い、庫裡にいた家族は無事だった。揺れが収まってから外を見ると、鐘楼が倒壊していた。本堂へ行くと須弥壇が倒れ、本尊の阿弥陀如来も倒れていた。しかし、
 「素人目には本堂が傾いているのは分からず、壁が落ちただけだと思いました。二、三日後、掃除をしていると廊下が菱形にゆがんで見えたのですが、地震で頭がおかしくなったかなと思ったぐらいです」と振り返る。
 実際はひどい状態だった。建物は複雑に傾き、床柱は倒壊寸前までずれ、瓦は波打って落下しそうになつていた。
 その後の調査で、本堂は引き起こせることが分かったものの、山吹住職の苦悩が始まった。本堂は大正三年に建てられた総ケヤキ造りの重厚なもの。かつて地域は北前船で栄え、門徒の寄進で建てられたが、過疎化が進む現在、大きな本堂を維持するのは困難になっていた。
 山吹住職は地震当日から毎日のようにブログ(インターネット上の日記)を付けている。復興の様子が事細かに分かる貴玉な記録だ。住職の苦しい胸の内も伝わってくる。
ある日のブログだ。
 《現在の正直な気持ちを明らかにすると、この寺から逃げ出したいです。大きな本堂を維持する悩みから解放されたいです。門徒がついているから…、門徒にたのめば…、それが住職道の常識かもしれません。しかし、私には年金暮らしのおじいちゃん・おばあちゃんたちに大きな寄付を言い出せません。それでは住職失格だと言われれば、私は住職失格です》
 最初はもちろん修復という方向だった。
 「直すのが当然の建物。初めはどうしても、残さなければと思っていました」
 門徒と半年間相談を続け、修復の見積もりを取ったが、決断がつかなかった。
宗派の対応が遅く、寺檀でじりじりする様子もブログから伝わってくる。
 《能登は寺院数の多い地域で、元々、一カ寺あたりの門徒数が少なく、その上に過疎・高齢化の先進地という厳しい状況におかれています。そこへ今回の地震によって、寺もご門徒も被害を受け、ご門徒にすれば寺の再建どころではないというのが本音だと思います。
 住居として使用している棟は地震保険に加入できますが、本堂や会館、客殿などの棟は、農協の共済や本山の共済にしか加入できません。被災したほとんどの寺が頼りにするのは、本山の共済しかないというのが実情だろうと思います。
 共済の保証だけで再建が出来るという甘い考えを持ってはいませんが、共済が規定通りに支給されれば復興への大きな元金になるはずです》《未だに提示されない宗派の共済給付金、皆しびれが切れてきました。大まかに数千万出るとか、数百万だとか、数十万だとか、出ないとか、大まかな見通しぐらい連絡があってもいいのではないかと思います。傾いて、雨漏りのする本堂と共に生活している被災者の痛みを理解して欲しいと思います》
 そんな時、背中を押してくれたのは門徒のお婆さんたちからの提案だった。
 「“ごえん(住職)さん、こんな時代やし、小っちゃいのにして建て直したらどうや。私らも足が痛いし椅子の方がありがたい”と。女性の発想は違いますね」
 そこで、門徒の中でも若い年代の十人と、新築プランを練り、平成十九年十月に門徒総会を開いた。住職は新築には反対の意見が多いのではないかと予想していたが、99%が新築を支持した。だが、半分の規模の百坪にするとしても八千万円はかかる見積もりになった。寄付をお願いする前から、寄付ができないから門徒を辞めると伝えに来る人も出てきた。
 「頭を悩ませました。過疎地で、門徒さんも被災しているので多くは頼れない。借金も覚悟しました」
 ところが、蓋を開けてみると、住職も驚いた。一ロ二十四万円で募財をお願いしたが、想像以上の門徒が協力してくれたのだ。多くは年金暮らしの財布から。
ブログにも感謝の言葉が綴られる。
 《夕方、地区の真宗大谷派の僧侶の会議から帰ると、女房が、「○○さんが寄付を持ってきてくれてんよ。それも一ロ」と言います。旦那さんが亡くなり、子供もなく、年金でつましく生活をしている一人暮らしのお婆さんです。それだけに、そのお婆さんにとっての二十四万円という金額の重さが推測でき、本当にありがたく思いました。女房がお婆さんから受け取った封筒の中身を数えると二十五万円あったそうです。お婆さんに尋ねると一ロ二十四万円ということだったので、余分にあった一万円を返してあげると、お婆さんは、「ああ、肋かっかあ!」と言われたそうです。一万円は、お婆さんにとっては長い日数の生活費になるのでしょうから、その気持ちがよくわかります。本当に大きな大きなご寄付で、私と女房は、元気づけられ励まされました》
 《今日も一ロの御寄付を頂きました。十年ほど前に五十代のご主人を亡くし、姑さんや娘さんと暮らしていらっしゃる女性です。家庭環境から判断すると経済的に裕福ではないと思える方々が率先して寄付してくださっているように感じています》

葬式仏教でいいんだと分かる

 「一ロは無理だけど」と、一万円、三万円と寄せてくれる門徒も多かった。結果的にお寺が二割、宗派の共済金や義援金から二割、そして残りの六割が浄財でまかなえ、借金もせずに済んだ。
 「ありがたかったです。僕みたいな住職にみんながこんなに協力してくれるとは思いませんでした。人を信じるようになりました」と山吹住職。
 能登半島のお寺は伝統的な作りが多いが、新本堂はバリアフリーの現代的な建物になる。大きさはちょうど半分の百坪だ。地盤を改良し、基礎もしっかりした上、壁や柱の多い構造にした。
 会館のような外観のせいか、葬祭会館を建てるのではないかと噂されたり、第三者から「貴重な建物だから残すべき」と何度も要望され、大きい本堂を維持する困難さを説明するのにも苦慮した。
 「もう見えは捨てました。能登半島でこのような形式の本堂は初めてでしょう。でも、門徒さんに喜んでもらえればいい何と批判されてもいいと覚悟を決めました」と、もう思いは揺るがなかった。
 十二月上旬現在、いよいよ新しい本堂の完成が近づいている。門徒が完成を持ちわびて、工事中の境内を訪ねてきては「いいが(立派)になったねえ」と喜んでいる。
 本堂の新築が動き出してから、門徒に変化があった。これまで農協の葬儀場でお葬式をしていたのが「ごえんさん、自分が死んだらここでやってください」とロ々にお願いされるようになったのだ。
 また、地震は住職の考えも変えた。
 「地震を経て、葬式仏教でいいんだ、葬式を通じて教えに触れていただければいいんだと考えるようになりました。心のこもったお葬式で送ってさしあげたいと思います。苦労はしましたが、門徒さんとよりつながり合えました。期待に応えていかなければと思う日々です。
 倒壊した鐘楼の再建のめどはたっていないが、もう門徒にこれ以上の負担をかけるつもりはないという。
 「日々の運営でコツコツとやっていきたいと思います」
 山吹住職は穏やかに、でも、きっぱりと話した。

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