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2009年2月

能登半島地震 被災から706日め

昨日に引き続き、
『お葬式 -死と慰霊の日本史-』 新谷尚紀
からの引用です。

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 時代の変化ということでいいますと、現在の特徴は、農村部ではかつての「家・墓・寺」という三位一体のしくみがまだ維持されているでしょうが、都市部ではそれはほとんどしくみとしては存在しないということです。

 伝統的であった農山漁村や町場の生活では、江戸時代以来の檀家制度が堅実に機能していました。
家と村は一定の意味あいでいわゆる共同体としての存在でした。
相互扶助の関係も世代を通じて維持してきていました。

(略)

 そして、いまや、家とか村という血縁や地縁の時代ではなく、個人化した人間がそれぞれの企業社会のネットワークで生きていく時代になっています。
かつて一九六〇年代に文化人類学の米山俊直さんが言われた言葉に、社縁というのがありました。
それに通じる新しい人間関係の社会です。
そのような社会でパーソナルな個人というものがどうなっていくのか。
プライバタイゼーションという英語を翻訳して私事化とか個人化といったりしていますが、プライペート化のプライバタイズということは、その分だけプライべートな価値観が多様になるということです。

 葬儀も、「家・墓・寺」という三位一体のマニュアルが機能していた時代には、村社会の近隣集団が基本的に貧富の差なくやってくれて、個人や家の選択の余地はなかったのです。
だから、家族や親族は葬儀に口も手も出してはいけなかったのです。
近隣の人のお世話になるのだからそのマニュアルどおりにやるしかなかったわけです。
そのぶん喪家にとっても遺族にとってもそのとおりに任せておけば、スムーズにすべてのことがはこぶたいへん安心できる葬儀マニュアルでした。

 ところが今、企業型社会となって、その家と村の関係が薄れてきて、家族と親族の関係も核家族化の進展の中で薄れてきています。
そんな中で葬儀もプライバタイズ、個人化という動きが出てきています。

(以下略)

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僧侶・寺院は檀家制度に安心し油断してきた、あぐらをかいてきたということは、前々から指摘され、批判もされてきました。
その上に、相互扶助の関係の共同体としての村社会に寺は支えられてきたのだと思います。
皆と同じようにしていれば間違いない、他人と違うことをしてはいけないという感覚、そういう意識に寺・僧侶は甘えて成り立ってきたのだと思います。
荒っぽい表現をすれば、檀家・門徒は制度や社会によって寺に縛り付けられてきたのだと思います。
しかし、能登・輪島のような田舎でも農村社会は消えつつあります。
村の祭りは成り立たなくなり、家と家、個人と個人が分断されつつあるように見えます。
隣の様子を気にし、隣と歩調を合わせる必要がなくなりつつあります。
親戚にせがまれ、隣近所の手前を気にしてしぶしぶにも法事を勤める、そんな必要がなくなってしまったのだと思います。

輪島ではそのような事例は聞いたことがありませんが、都会では直葬(ちょくそう)が増加しているそうです。
「直葬」というのは、「お葬式をしないで、火葬だけする葬法」らしく、「お葬式」という言葉でイメージされる通夜や葬儀・告別式といったイベント的儀礼を取り払った、ごく単純な葬法のことのようです。
死亡後、斎場や遺体保管施設に24時間保管した後、いわゆる葬式をしないで直接火葬に処するものや、火葬炉の前で僧侶等により簡単に読経をあげてもらう等の宗教儀礼をあげてもらうこともあるそうです。
そういう社会になったという認識が僧侶には必要だと思います。
葬式坊主が活躍する場のない社会になりつつあるという自覚が必要だと思います。

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能登半島地震 被災から705日め

Osousiki  
この本の中で、
関沢まゆみ
『葬送儀礼の変化-その意味するもの-』
(1960年代の葬儀と1990年代の葬儀の比較研究論文)
という民俗学の論文の結論が紹介されています。
下記は、その引用です。

 

「死とは伝統的に肉体からの霊魂の遊離とみなされてきたのとは異なり、個人の生命の終焉とみなされるようになっている。
つまり、死者は遺骸と死霊ではなくまさに死体と死者、すなわち霊魂から生命へという認識の変化が起こってきているといえる。
そこでは、これまでのように注意深く死後の世界への旅立ちの儀礼を施さねば死者が崇る死霊となりかねないという恐ろしい存在から個性をもつ親愛なる個人として記憶される存在へと変わってきているものと考えられる。」

 

人は亡くなると即座に浄土へ往生するので亡者となって迷うことはなく、従って故人の冥土の幸福を祈り、霊魂の成仏を願って追善供養を営むことは不要なこと。
供養とは、亡き人を偲び、ご恩に感謝し、そのご恩によって育てられ生かされている私が生き生きと生きること。
仏事は、亡き人のご恩に報いる生きざまができているか一人一人が確認する場。
私は機会があるとこのような話をさせていただくのですが、若い頃は先輩の住職さん方から、そんな話をしていると誰も法事等のお参りをしなくなってしまうと忠告されました。
インターネットを見ていると、慰霊や追善供養を否定する法話に対して批判的な若い僧侶が多いようです。
上記の葬送儀礼の変化を読み、私は、日本の社会が釈尊や親鸞聖人の教えに近づいてきたのではないかと思いました。
また、社会が慰霊や追善供養を求めなくなっているのに、僧侶の側がその意識の変化に着いて行けなければ、仏教は廃れていくままではないかと思います。
細木数子がテレビから消え、江原啓之の「オーラの泉」も打ち切られるようですし。

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能登半島地震 被災から704日め

Nyushi 
 2月24日県教委発表  ※ 出願変更の受付: 2月27日(金)~3月3日(火)午後3時(土日は受付ません)。



学校名 学科名 募集定員
A
推薦
合格
者数
B
募集
枠C
(A-B)
出願
者数
D
倍率
D/C
前年
度確
定倍
志 賀 普 通 80 18 62 46 0.74 -
総合
学科
80 8 72 32 0.44 -
小 計  160 26 134 78 0.58 -
鹿 西 普 通 160 - 160 146 0.91 1.04
穴 水 普 通 80 3 77 58 0.75 0.67
門 前 普 通 80 6 74 46 0.62 0.97
能 登 普 通 80 14 66 25 0.38 -
地域
創造
80 7 73 48 0.66 -
小 計  160 21 139 73 0.53 -
輪 島 普 通 120 15 105 92 0.88 1.08
総合
学科
80 19 61 56 0.92 0.93
小 計 200 34 166 148 0.89 1.02
飯 田 普 通 120 - 120 119 0.99 1.01
総合
学科
80 30 50 53 1.06 0.95
小 計 200 30 170 172 1.01 0.99

 

今朝、女房がショックだと言うので早速新聞を見ると、確かにショックな記事でした。
上記の表は、能登の高校の一部の出願状況です。
穴水高校から下は奥能登の高校です。
志賀高校と能登高校は、合併により今年から出来るばかりの学校です。
少子化により合併しても、大きく定員割れしていて、新しい学校もいつまで存続できるのだろうと思います。
私たちにとってショックだったのは輪島高校の普通科の定員割れです。
ここまで過疎・少子化が進んでしまったのかと思いました。

尋ねたいことがあると言って来られた方がありました。
正覚寺をお葬式の会場として使用する際の使用料を教えて欲しいということでした。
ご門徒の委員会で決められた金額をお教えし、本堂へご案内しました。
堂内に100席、脇の廊下に25席、休憩室に20席余りと説明すると、過疎のせいで普通の家のお葬式は堂内の100席で間に合うというお答えで、時代にあった本堂だとの感想でした。

 
 

Dvc00001  Dvc00002
隣寺の修復工事です。
コンクリートの基礎が作られ、間もなく本堂が下ろされるようです。

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能登半島地震 被災から703日め

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09年02月24日11時56分発表
発生時刻 24日11時52分頃
震源地 新潟県中越地方(北緯37.5度 東経138.7度 深さ約10km)
規模 マグニチュード3.3
震度4 新潟県:出雲崎町   
震度3 新潟県:長岡市   
震度2 新潟県:柏崎市   
震度1 新潟県:三条市   小千谷市   見附市   燕市   

 

中越で地震があったようです。
先日から、福井、岐阜、関東、東北などで地震が続いていますが、とうとう中越に、と思いました。
数日前、下からドン!という一発だけ突き上げる振動がありました。
地震なのか違うのか分かりませんが、余震の時と同じショックだったので不安に思っていました。
新潟と能登半島は同じ断層で繋がっているらしいので、こちらに来なければいいが・・・というのが正直な気持ちです。

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能登半島地震 被災から702日め

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米アカデミー賞で、「おくりびと」という日本映画が外国語映画部門賞を受賞したそうです。
私は映画を観ていないのですが、テーマは納棺師ということです。
輪島には納棺師がいません。
というより、輪島には葬儀屋がありません。
輪島塗という職人の町で、親方・弟子という上下関係、弟子兄弟という横の関係、それに町内会、お当という厄年をキッカケとして絆を深める同級生の組織、そういう硬い人間関係が葬式を運営したので、葬儀屋の入り込む余地がなかったのでしょう。
ですから、納棺師もいませんでした。
納棺は近親者がする、というのが輪島の常識でした。
親戚のお葬式などで、余所で納棺師の仕事を見ると、都会だなぁ!と感心したものです。
近年になって農協がセレモニーホールを営業するとともに、葬儀屋もどきの仕事をするようになり、隣の町から納棺師がやってくるようになったようです。
過疎・高齢化、時代・社会の変化などにより、業者に頼らなければ葬儀が行えなくなってしまったのでしょう。
輪島のような田舎町でも変化はあっという間に起ります。
寺の生活も、今まで通り、とはいかなくなってしまったように感じます。

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能登半島地震 被災から701日め

「ワンステップ」 というテレビ番組を視ました。
今週は、八島という山口県の島へ、東京の大工修業中の若者がボランティアに行くというものでした。
高齢者しかいないといった過疎高齢化が進んだ島で、完全に崩れ落ちてしまった家が多く、限界集落といった感じでした。
その島で高齢者が支えあって生活しているようでした。
能登・輪島も同じだと思いながら番組を視ました。

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能登半島地震 被災から700日め

先日「正覚寺復興便り」を発送したところ、遠方の方から電話をいただきました。
その方の寄付の合計金額が間違っているというのです。
早速調べたところ、確かに間違っていました。
その方から4回送金していただいたのですが、3回目の入金を見落としてしまったのです。

 

今日の午後、お参りが終ったとホッとしていたところへ電話がありました。
お参りに来るのを待っているとの電話でした。
その家のお参りは毎年2月19日と決まっているので、私は今年も19日に約束をし、19日にその家へ伺い、
どなたも出てこられなかったのですが勝手知ったる御門徒の家なので、来客中で手が離せないのだろうと勝手にお参りをさせてもらいました。
それなのに21日という連絡をもらったとのこと。
相手の方の勘違いだろうと思いましたが、待ってらっしゃるということなので、急いでお参りに伺いました。
夜になって確認をしたら、私が19日と連絡するはずなのに21日と連絡していたことが分かりました。
連絡をする時も、連絡をした後にも確認をしているのですが、自分で19日だと思い込んでいるので、21日とと間違った日付を記入していることに気づかなかったのです。

 

先の寄付の金額の間違い、そしてお参りの日程の間違い、間違いをしないようにと慎重に確認をしているつもりなのに間違いをしていました。
我ながら情けなくなりました。

 

今年の冬は例年以上に波浪警報・注意報、強風注意報が多いように思います。
この数日も連日警報、注意報が出ていて、時々台風並みの風が吹きます。
旧本堂だったら、瓦が飛んでいないだろうか?屋根の葺き替えをしなければならないなぁ!と心配をしていただろうと思います。
本堂を建て替えていただいたおかげでその心配がなくなりました。

今日は土曜日でしたが、月忌(月命日)のお参りがあっただけでご法事はありませんでした。
明日の日曜日は全くお参りがありません。
不景気も影響しているのだと思いますが、全く暇です。
当然収入もありませんから、大きな本堂は負担になっていたと思います。
小さな本堂となり、維持の負担も軽くなり、本堂(寺)の維持に対するプレッシャーも軽くなりました。
 

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能登半島地震 被災から699日め

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『チェンジリング』 という映画を観ました。
ゴードン・スコット事件 というアメリカで1920年代後半(日本は昭和初期)に起った連続少年誘拐殺人事件の被害者の母親の体験を元にした物語です。
ロサンゼルス市警と市長の腐敗ぶりとそれに繋がる病院の腐敗、イライラし腹立たしい思いでそれらの人たちの行いを観ました。
一方で、市警や政治の腐敗を訴え、主人公ら被害者の救済に活躍する牧師らの姿が描かれ、改革・改善にはそういう活動が不可欠なのだろうと思いました。
アメリカもこういう歴史を乗り越えて今日があるのだとも思いました。

映画のホームページ

 

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能登半島地震 被災から698日め

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我が女房はテレビ大好き人間、バラエティ番組が大好きで、私は落語や漫才、コントなどの芸としてのお笑いは大好きですがバラエティは嫌いです。
女房は、昼過ぎの1時から1時半まで「ごきげんよう」という番組を視てから午後の活動を開始するというのが日課です。
私はその女房の隣で昼寝をしたり、パソコンをしたり。
ほとんどがどうでもよいゲストの笑い話が主体の番組なので、ためになるなんてことはないのですが、忘れない話があります。

 

今年の1月中旬、川野太郎という俳優がゲストの一人として出演していた時の話しです。

川野 : 実は私他人の家でもトイレ掃除をしてしまう。他人の家だけではないですが、食事に行った、飲みに行ったお店とか
小堺 : それは次の人のために?きれい好き?
川野 : そうなんですかね、どうしても男の人ってね、はじけちゃうじゃないですか。
    そういうことが絶対目に見えないとこもあると思うので、確実に落としたとしても、やっぱ女性が使うときには絶対嫌だと思うんですよ。
    自分が使うときも大きいほう嫌なんですね、だからやはり出るときに拭いてしまうんですよね

私は前々からこの川野太郎という俳優さんが好きでしたが、この話しを聞いてこの俳優さんの誠実さが本物だと好きになりました。
トイレでおしっこを飛ばすのは男の特権だと言う人がいますが、私は違うと思います。
トイレは汚して当たり前と思っている人が多いようですが、それも私は違うと思います。
汚れたトイレに入って、その人はそれを不快に思わないでしょうか?
トイレを平気で汚している人は、日頃トイレを掃除しているでしょうか?
次にトイレに入る人、汚れたトイレを掃除する人の気持ちになれば、トイレは汚して当たり前なんて思えないはずです。
私も近頃、川野太郎ほどではありませんが、我が家のトイレ掃除をするようになりました。
写真のようなトイレクリーナーを使ってちょこちょこっとですが・・・。

 

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能登半島地震 被災から697日め

先日、ご門徒からご法事の日程のご連絡があったそうです。
午前11時からということだったそうです。
女房は、読経後納骨をすると1時間半かかるので10時半に始めるとちょうどいいですよ、10時半にするか11時にするかもう一度相談して下さい、と言って電話を切ったそうです。
それを聞いた私は、10時半にも11時にもならないんじゃないかと思いました。
相手が希望している11時にしてくれればよかったのに、どうして女房はもう一度相談しろと言うまで10時半にこだわったのだろうと思いました。
相手の立場なら、11時と申し込んで考え直せと言われて、やっぱり11時にしますとは言いにくいでしょう。
だからといって、○○時30分という時間を中途半端だと嫌う人がいるのです。
コンサートの開演時間は午後6時30分が多いのだし、12時頃にお斎(昼食・会食)を始めたいのですから、それに合わせて10時30分に始めればいいと思うのですが・・・。
今夜、そのご法事を勤める家へお参りに伺いました。
ご法事の時間を尋ねると、午前10時ということで招待状を出してしまったとのことでした。
私は、やっぱり!と思いました。
女房は、親切のつもりで10時半にすればどうだと言ったのですが、それがかえって悪い結果になってしまいました。
たかだか30分くらいいいじゃないかと思われるでしょうが、私はそのご法事が憂鬱です。
納骨終了後お斎まで何もすることのない、ただじっとしているしかない手持ちぶさたな待ち時間30分ができてしまいました。
納骨にお墓へ行く家族・親族はまだしも、そうではない客にとっては、納骨の時間30分程度待った上にもう30分待たされることになります。
ただただ間延びした長い時間を過さなければならず、それがとても疲れるのです。
電話のあった時に10時半か11時に決めて欲しかった、そう思います。
女房が悪かったのは、中途半端に自分の意見を伝えて、相手任せにしてしまったことだと思います。
相手にすれば、11時は遅いと断られたから10時ならいいと判断したのでしょう。
11時を遅いと伝えたら10時にしてしまうかもしれない、そこまで配慮しなければならなかったと私は思いました。
たかだか法事の時間30分のことで色々考えて不機嫌になる、こんな私を女房はウザったいと思っているんだろうと、隣にいて思います。 coldsweats01

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能登半島地震 被災から696日め

20090217_003  
時々「あて所に尋ねあたりません」というスタンプが押されて郵便が返ってきます。
以前は、いつの間にか子供さんと同居するために引っ越したということが多かったのですが、近年はそうではありません。
老人福祉施設に入居され、手紙の転送期限が切れたために戻ってきてしまうのです。
これも過疎・高齢化の表れです。
郵便が返送されてくると、またか・・・と寂しい思いがします。

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能登半島地震 被災から695日め

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昨日までの異常な暖かさから、一転真冬に逆戻り、正しく異常気象です。
なま暖かいと不安に思う気持ちは皆同じようです。
昨日お参りに伺ったご門徒の方も、何か起こるのではないかと心配だとおっしゃられました。
門前では、地面の中からド~ン、ド~ンという音が聞こえるというウワサが流れているそうです。
来月末で震災から丸2年になりますが、未だに震災の恐怖、不安から抜け出せていないのでしょう。

20090216_002  
村上春樹という作家がニュースになっていました。
私は、村上春樹の本を読んだことがありませんし、顔すら知りませんでした。
人気作家ということでオチャラけたイメージを持っていました。
昨秋のノーベル賞の時期に、村上春樹がノーベル文学賞の候補者であるとの記事を読んで、そんなに評価されている作家なんだと驚きました。
そして今日、イスラエルの文学賞イスラエル賞の授賞式で、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃を批判するスピーチをしたというニュースを見て、骨のある立派な作家なんだと思いました。

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能登半島地震 被災から694日め

20090215_001 
私が塗り物をするのは、これまでは5月から10月でした。
昨年末から真冬にも塗り物をしてみるのですが、曇ったような仕上りになってしまいます。
乾かす時の湿度に問題があるのだと思います。
プロのように温度と湿度を管理できる設備があるわけではないので、初体験の条件ではなかなか思ったようには行きません。
しかし、それだけにきれいに仕上がった時に満足感・達成感が味わえます。
自己満足ですが・・・、趣味とはそんなものでしょう。

 

お葬式にお参りすると気になることがあります。
昨日お参りさせていただいたお葬式もそうでした。
三匝鈴(さそうれい)というキンを打つ役の僧侶が儀式の途中で合掌の合図の声をかける場面があるのですが、私にはその言葉がとても気になるのです。
「合掌をお願いします」、「合掌願います」、「合掌して下さい」・・・このような言葉が多いのですが、それがとても気になります。
合掌・念仏は、僧侶がお願いをしてしていただくものなのだろうかと考えるのです。
我が名を称えなさいと呼びかけてくださっているのは阿弥陀仏であり私たち僧侶ではありません。
「一同、合掌!」と声を掛けると、号令のようで高飛車だと、丁寧にへりくだっているつもりなのでしょうが、それでは私が呼びかけていることになってしまうのではないでしょうか?
阿弥陀仏の呼びかけをお伝えするだけ、そういう意識があれば「合掌をお願いします」とは言わないと思います。
「合掌して下さい」これが限界だと私は思うのですが、言葉尻にこだわり過ぎですかね?

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能登半島地震 被災から693日め

今日、お葬式で同席したお寺さんがおっしゃいます。
公民館か集会場のような建物になるんだと思っていたら、お寺らしい立派な本堂になりましたねぇ!と。
多くの方が公民館か集会場、小規模のセレモニーホールが建てられると思われていたでしょう。
私自身もそう思っていましたし、建てられた今でもこれまでの“お寺”というイメージとは違う建物だと思っています。
簡素な建物だと思いますが、皆さんはもっとチャチなものを想像されていたのでしょう。

 

今朝の五木寛之の「親鸞」
範宴(親鸞)の言葉、
「四依(シエ)とは、出家者の暮らしを定めた四つの規律です。
 第一が食は行乞(ギョウコツ)に依れ。
 衣(イ)は糞掃衣(フンゾウエ)に依れ。
 坐(ザ)は樹下(ジュゲ)に依れ。
 病(ヤマイ)は陳棄薬(チンキヤク)に依れ。
 すなわち釈尊は出家者に世間のもっとも貧しき所に生きよ、と教えられました。」

行乞(ぎょうこつ):出家修行者が在家信者の家の門に立ち,食物を乞い求めることで,〈乞食(こつじき)〉と同じ.鉢の中に食物を入れてもらい,家々を順次に訪れるから〈托鉢(たくはつ)〉ともいう.

糞掃衣(ふんぞうえ):ぼろきれの衣という意.ごみためや路地などに無価値なものとして捨てられたぼろきれを拾い集めて,その丈夫な部分を取ってよく洗い,それらを綴って1枚の四角い衣としたもの.最初期仏教の修行僧はこれを身にまとっていた.

陳棄薬(ちんきやく):牛の大小便を腐らせて作った万能薬のこと

お金のない質素な生活は、本来の坊さんに近い生活だからいいか!と思ってしまいました。
もちろん修行僧のような厳しさには程遠いですが、近頃お参りが少なく、もう少しお金があればいいねと女房と話していたところだったのです。
過疎・高齢化、社会生活の変化・・・今後ますます田舎の寺は厳しい状況になっていくと思います。

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能登半島地震 被災から692日め

Photo 
「復興便り13号」を印刷し発送しました。
女房と、いつまで復興便りを出そうかと相談しましたが、とりあえず落慶法要までは出すことにしました。
落慶法要後、中間決算報告をしたいと思います。

 

今日は18度という気温で生暖かい風の吹く1日でした。
この季節に暖かいと思い出すのは、1993年(平成5年)2月7日午後10時27分に起った震度5の能登沖地震です。
この晩も冬だというのに生暖かい夜でした。
生暖かいと何か起こるのではないかと不安に思います。

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能登半島地震 被災から691日め

頼母子講
互助的な金融組合。
組合員が一定の掛金を出し、一定の期日に抽籤または入札によって所定の金額を順次に組合員に融通する組織。
鎌倉時代から行われた。

以上、広辞苑

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私は二つの頼母子講に参加しており、今夜は若手グループの頼母子講でした。
頼母子講といっても友達の親睦会としての集まりですから、互助的な金融組合というような規模ではなく、月1回の飲み会といった雰囲気です。
皆から聞かれることは、先日の正覚寺新本堂第一号のお葬式のこと。
どうでした?問題はありませんでしたか?スムーズに運びましたか?
目立たないお葬式だと思っていましたが、それなりに注目されていたようです。

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能登半島地震 被災から690日め

20090211_001 20090211_003 
壁の修復工事が終了しました。
便利屋良ちゃんは、ゴミ捨て、衝立の修理・・・色々雑用もしてくれます。

 

Index_r2_c2  
「人間はどうしてご飯を食べなければならないの?」
「人間はめしを食べなければ・・・死ぬからだよ」
「食べなければ死ぬから・・・
  そのために働いて人間はめしを食べている!
 ・・・それでは皆、死にたくないという理由のみで仕事をしているのか?」

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人間は、生きるためには食べなければなりません。
食べるためには働かなければなりません。
皆、生きるために働き食べているはずです。
では、皆、生きているのでしょうか?
働き食べるばかりで、生きることを忘れてしまっているのではないでしょうか? 

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能登半島地震 被災から689日め

20090210_001 20090210_003 
庫裏(会館)の壁の塗り替え工事も明日一日で終りそうです。
写真は、一階廊下の壁です。
震災後塗り直したのですが、解体・新築工事のために傷んだので再修復です。

 

090210_104557 090210_104830  
このお婆さんは89歳で、一人暮らしです。
息子さんは静岡県在住で、65歳を過ぎた年齢です。
お婆さんは、息子さんに帰ってこないかと誘っているそうですが、難しいようです。
息子さんは、20才前に輪島を離れて、人生のほとんどを静岡県で暮らし、お婆さんにとってのお孫さん達も向こうで生活をされています。
退職したからといってなかなか帰ってこれるものではないと思います。
お婆さんは、週に1日、老人会御施設のデイサービスを受け、週に2日、ヘルパーさんの訪問介護を受け、他に週に何回か弁当の配達サービスも受けて生活しています。
息子さんらから老人会御施設への入所も進められているそうですが・・・。
お婆さんの気持ちも、息子さん達の気持ちも分かります。

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能登半島地震 被災から688日め

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向拝(本堂入口)の天井にコンセントを設置していただきました。

 

20090209_007 20090209_029  
庫裏(会館)2階の壁の塗り替え工事で上塗りが行われています。

 

20090209_011  
本堂外陣の参拝席、100席が並べられています。

20090209_017  
東側の廊下です。
廊下ですが、細長い脇間としても使用できるように戸が設置されています。
イスを並べてみたところ、28席並びました。
前方を取り除いても、24席は使えます。

20090209_020  
休憩室にもイスを並べてみました。
通路に余裕をもたせて、最低で20席は確保できます。
100+24+20=144席は確保できるということが確認できました。

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能登半島地震 被災から687日め

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昨春、旧本堂ケヤキ古材の仕分けをしていたら、人づてに古材を譲って欲しいとやってきた人がいました。
輪島塗の木地屋さんで、1番太い虹梁を譲ってあげました。
いくら?と聞かれたのですが、売っているのではないと言うと、礼を言って持っていかれました。
私はお金を下さらなくとも、お礼に古材で作られたお皿の1枚も下されば気持ちがいいのに・・・と思いましたが、そのうちに忘れてしまっていました。
昨日、遅くなりましたがどこかに飾って下さいと言って、その木地屋さんが写真の香合を持ってこられました。
忘れていたのですが、何となくすっきりとした気持ちになりました。
それにしてもこの香合、直径が30cm弱あります。
古材が大きかったので大きなものにされたのか、寺だから大きなものがいいと思われたのか・・・小さな新本堂にはもてあます大きさです。
香合と決め付けずに使わせていただきます。

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能登半島地震 被災から686日め

20090207_003 
仏具屋さんがエアコン前のランマを入れて下さいました。
かなり桟の間隔が広くなりました。
エアコンははっきりと見えますが、風の通りはよいと思います。

 

Photo
「まんがで読破」シリーズを読んでいます。
たかだかマンガですからこれを読んだから原作を読んだことになどなりません。
でも、読む前に想像していたよりうんと出来の良いマンガだと思います。

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能登半島地震 被災から685日め

昨日、電子マネー「円天」を売り物にした事件のL&G波和二会長ら22人が逮捕され、ニュースやワイドショーをにぎわせています。
数年前から詐欺ではないか、破綻しているのではないかと報道がされていたので、逮捕は当然のことと驚きませんでした。
驚いたのは、未だに会長らを信じている人が大勢いるということです。
信じ込ませる、その力の大きさに驚きました。

 

信じるといえば、オーム真理教から名称変更したアーレフ(アレフ)。
再び麻原信仰が強化され、麻原彰晃を教祖・グルとして信仰し、麻原が説法するビデオが教材として用いられ、ポア(殺戮)が教義として復活していることが報道されています。
外部の私たちからすれば、未だに麻原を信仰する者がいるのかと驚きですが、一旦信じ込んでしまった人はそこから抜け出すのはたやすいことではないのでしょう。

信じるということの力の大きさを感じます。
「信じがたい」といいますが、オレオレ詐欺は一瞬にして電話の相手を信じ込んでしまいます。

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能登半島地震 被災から683日め

20090204_002 
庫裏(会館)2階壁の修復工事、今日で中塗りが完了したようです。

 

一昨日行われたお葬式の喪主の方、昨日の午前中お礼においでたのですが、実はお布施はいただいていませんでした。
近頃はこのようにお葬式後お布施をいただくまで待つことが多くなりました。
かつてはお葬式のお礼参りといえば翌日の午前中と決まっていたのですが・・・。
お布施を持ってきてくださるのだから1日や2日待てばいいじゃないかと言われそうですが、いつおい出るかと待つのもなかなかストレスになります。
今日の午前中、お参りから帰るとその方が待っておいでました。
お札を数えてそれぞれのお布施を出されるので、私は封筒を準備して表書きをしてお金を入れます。
お布施を封に包まずに現金のまま下さる、近頃はこういうことも増えました。

うれしかったのは、お葬式にお参りされていた親戚・知人の方達が、もしもの時には正覚寺でお葬式をしようかとおっしゃって下さっているということです。
お参りされた感想はどうだっただろうかと気になっていたので素直にうれしく思いました。 

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能登半島地震 被災から682日め

昨夕、お布施を除いた会場費などのお葬式の経費の計算書を預かりました。
計算書を作成したお世話係の方が、こんなに安く上がりました、と言っていた通り、セレモニーホールを使用した場合の半額に近い金額で、お葬式の規模にもよるでしょうが数十万円は安く上がっていると思いました。
ところが、今日、お礼参りにおいでた喪主の方は、自分が想像されていたより経費が高くついたようでした。
内訳を見ていただければ分かるのですが、経費の大部分がお返しのビール券とお弁当・オードブルという喪主の方が注文されたもので、高いと言われるはずがないのですが、喪主の方は80歳を超えた高齢者なのでご理解いただけなかったようです。
正覚寺のお世話方は赤字寸前でお手伝いをさせていただいたので、私は少しがっかりしました。
もちろん申し訳ないのでお手伝いの方達にはそのようなことは伝えていません。
世の中、こちらの思いや努力は伝わらないものなのだと改めて思いました。

 

20090203_001  
昨日のお葬式には数店から生花、籠盛がお供えされていました。
お手伝いの方達がお供えをバラして、店ごとに飾り台を仕分けしておきます。
このお店は今日になっても回収に来られません。
飾りが壊れないようにと気づかって片付けているので、早く持っていって欲しいのですが、これも中々こちらの努力と迷惑が相手には伝わりません。

 

20090203_004  
今日の午後、私に訊ねたいことがあるからとご門徒の方が訪ねて来られました。
どのような深刻な問題、難しい問題かと思ったら、報恩講の記帳と懇志の披露に関することでした。
現在は記録の一覧表も披露札も毛筆で書いていますが、それを書いて下さっている方々が休まれたら自分は毛筆で字が書けないからと、パソコンで処理ができるようにと雛形を作って下さり、私の意見を聞きに来て下さったのでした。
私も数年前からそろそろ毛筆は不可能になるだろうと思っていたので、ボールペンやマジック、もしくはパソコンにならざるをえないと思っていたのですが、ご門徒の方がそういう配慮をして下さっているとは思っていませんでしたので、とてもうれしく思いました。 

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能登半島地震 被災から681日め

20090202_013 
今日はお葬式でした。
今日も大きなトラブルもなく終えることができました。
ただ、障害者用のトイレについて苦情があったようです。
1つは、スリッパが1足しかないから介護・補助者用のスリッパを置いて欲しいというもので、これはなるほどと思い、早速2足置くようにしました。
もう一つは、手洗いに関する苦情で、便座に座った状態で手を洗わなければならないという苦情でした。
着衣を直してから手を洗いたいということでしょうし、その気持ちも分かるのですが、そのためにはもう一ヶ所別に手摺り付きの手洗いスペースを設置しなければなりません。
大きな資金があって余裕があれば広い大きなスペースをとって、そういう要望にも応えられる手洗いを設置することができますが、残念ながら正覚寺にはそういう余裕がありませんでした。
申し訳ないとは思いますが、今後も我慢していただきます。
でも、正直な気持ちを言えば、私たちにとっては予想外の苦情でした。
座って手を洗って手を拭くにはタオルの位置が高すぎるという苦情があるかと思っていましたが、座ってしか手を洗えないのはケシカランというクレームがあるとは思いませんでした。
私なら、この施設はこういう設定なんだから仕方がないと、文句を言わずに諦めていたと思います。

 

20090202_011  
お葬式が終った時間を見はからって良ちゃん登場。
午後から作業再開でした。

 

夕べ、女房が『情熱大陸』という番組を見ていました。
椿姫彩菜(つばき あやな)というファッションモデル・タレントを紹介していました。
青山学院大学に在学しながら性同一性障害を抱え、そのために20歳の時に大学を休学し、性別適合手術の為に新宿歌舞伎町のショーパブに勤務し、単身タイに渡り性別適合手術を受け、帰国後戸籍を女性に変更という生き方を紹介していました。
番組の最後に紹介したブログの言葉が私の目に止まりました。
それは、「みんなちがって みんないい」、「コンプレックスは個性になる」という言葉でした。
ネット検索すると、「みんなちがって みんないい」という言葉は、金子みすゞという方の詩の一節でした。
その詩を紹介します。

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わたしと小鳥とすずと

  わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

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蓮如上人御遠忌のテーマ『バラバラでいっしょ』、それをきれいに表している詩だと思いました。 

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能登半島地震 被災から680日め

20090202_004  
今夜は新本堂で初めてのお通夜でした。
手前味噌になりますが、100席の本堂にちょうどよいお参りだったせいもあるのでしょうが、体育館のような大きなセレモニーホールにはない、アットホームなお通夜の雰囲気で、わたしはとてもよかったと思いました。
お手伝いをするスタッフさんも正覚寺の門信徒のお世話方なので、仕事というわざとらしさ冷たさがなく、それもとてもよい雰囲気を作っていたのではないかと思います。
早速車いすも活躍しました。
バリアフリーにしてよかったと思いました。
故人の長兄にあたる喪主の方がご挨拶にお出でて、やっぱりおっしゃいます。
新しい本堂の第1号にお葬式をしてもらえて、弟は運がいいと。
こんなふうにおっしゃっていただけると住職としては本当にありがたいです。 

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