« 能登半島地震 被災から704日め | トップページ | 能登半島地震 被災から706日め »

能登半島地震 被災から705日め

Osousiki  
この本の中で、
関沢まゆみ
『葬送儀礼の変化-その意味するもの-』
(1960年代の葬儀と1990年代の葬儀の比較研究論文)
という民俗学の論文の結論が紹介されています。
下記は、その引用です。

 

「死とは伝統的に肉体からの霊魂の遊離とみなされてきたのとは異なり、個人の生命の終焉とみなされるようになっている。
つまり、死者は遺骸と死霊ではなくまさに死体と死者、すなわち霊魂から生命へという認識の変化が起こってきているといえる。
そこでは、これまでのように注意深く死後の世界への旅立ちの儀礼を施さねば死者が崇る死霊となりかねないという恐ろしい存在から個性をもつ親愛なる個人として記憶される存在へと変わってきているものと考えられる。」

 

人は亡くなると即座に浄土へ往生するので亡者となって迷うことはなく、従って故人の冥土の幸福を祈り、霊魂の成仏を願って追善供養を営むことは不要なこと。
供養とは、亡き人を偲び、ご恩に感謝し、そのご恩によって育てられ生かされている私が生き生きと生きること。
仏事は、亡き人のご恩に報いる生きざまができているか一人一人が確認する場。
私は機会があるとこのような話をさせていただくのですが、若い頃は先輩の住職さん方から、そんな話をしていると誰も法事等のお参りをしなくなってしまうと忠告されました。
インターネットを見ていると、慰霊や追善供養を否定する法話に対して批判的な若い僧侶が多いようです。
上記の葬送儀礼の変化を読み、私は、日本の社会が釈尊や親鸞聖人の教えに近づいてきたのではないかと思いました。
また、社会が慰霊や追善供養を求めなくなっているのに、僧侶の側がその意識の変化に着いて行けなければ、仏教は廃れていくままではないかと思います。
細木数子がテレビから消え、江原啓之の「オーラの泉」も打ち切られるようですし。

次へ 震災トップへ

« 能登半島地震 被災から704日め | トップページ | 能登半島地震 被災から706日め »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 能登半島地震 被災から704日め | トップページ | 能登半島地震 被災から706日め »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

気象協会

  • 気象協会

最近のトラックバック