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能登半島地震 被災から712日め

『お葬式 -死と慰霊の日本史-』 新谷尚紀 は、2部構成の本で、後半1/3ほどは「慰霊と軍神」という章です。

軍神第1号は、日露戦争旅順港閉塞作戦で戦死した広瀬武夫だそうですが、それは軍令部参謀小笠原長生により作り上げられたものだということです。
小笠原参謀が発信した「軍神」の美談に熱狂する事により、旅順港閉塞作戦の無謀さへの批判も反省も、作戦失敗に対する批判も反省も表面化しなかったとのことです。
以下は、そのまま引用します。

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 事実として見るとき、広瀬中佐には特段の武勲はない。
 それにもかかわらず最初の軍神と称賛され祀り上げられてしまったのである。
 軍神の創造と誕生という問題は、帝国陸海軍にとってのその時々の利害関係と、国民世論の動向とその操作、という情報戦略の上での問題という部分が圧倒的に大きい。
 それは、後述する真珠湾の九軍神の場合にも共通するが、
  ①開戦当初の絶妙のタイミング
  ②その死に方が壮絶であるという点
  ③生前の人物像が忠孝仁愛、勇猛礼節など模範的軍人として宣伝できるという点
 このような三点にその特徴がある。
 そして、それは軍神の創造が国民世論の戦意高揚を第一の目的とするものであればこそ、当然といえば当然なのである。

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真珠湾の九軍神の一人、上田定(かみたさだみ)さんの母親さくさんは「軍人の母」と賞賛されましたが、新谷尚紀氏の調査によると、

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わが子を亡くした母親さくさんの痛烈な悲しみと怒りの表現であった。
三月七日の九軍神の報道をうけて慶びに満ちて祝福に訪れた村長に対して、母親のさくさんが、たいへんな剣幕で「おごりかかった(怒りをあらわにして迫った)」というのである。
「あんた(あなた)には、おめでたいことかも知れんけど、わし(わたし)のためには、さだみの命を、国に捧げたことは、いっそ(ちっとも)おめでたいことじゃありません。
あんたには親の心はわからんでしょう。
はあ、えっと言わんこう(もうたくさんお話にならないで)、往んでくれんさい(帰ってください)。
志願したわけじゃない、上の命令で行かずにならなくなった…、さだみは、しかたなしと言うとった…」。
 これは、近所の誰一人知らないものはないほどの、「おおばなし(たいへんな話題ごになったということである。
 「増本村長が、“かみたや(上田家の屋号)”のおばあさんにやりこめられて、ほうほうのていで帰ったそうな」という話が広がり、女丈夫で知られた、さくさんの言葉を聞いた近所の人たちはみんな強く胸を打たれたという。
戦時下のこと、そんなことは言ってはならないことと思いながらも、さくさんの、悲痛と激情については母親としてもっともだとみんな思ったというのである。

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「パール・ハーバーも原爆も、2度とあってはならない。
 いつも戦争で犠牲になるのは庶民だから」
上田定さんの弟、上田武三さんの言葉だそうです。

軍神、英霊と戦没者を称え、慰霊のために建てられ、お参りされている靖国神社ですが、その本当の目的は、戦没者の慰霊でも功績を称えることでもないと、改めて感じました。

ネットで検索しているうちに知ったのですが、肉弾三勇士の軍神もねつ造されたもののようです。
爆弾三勇士の真実

肉弾三勇士

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