« 能登半島地震 被災から709日め | トップページ | 能登半島地震 被災から711日め »

能登半島地震 被災から710日め

2009032_006_2 

先日に引き続き、
『お葬式 -死と慰霊の日本史-』 新谷尚紀
からの引用です。

===============================================================

 戦後の一九六〇年代以降の高度経済成長によってもたらされた新しい時代、現在は、「供養」の部分が減少し、死穢の感覚も減退して、「記憶と交流」というもう一つの新しい段階へと入ってきているのではないか、と考えられるのです。

 死者は、かつてのようにあの世で寒さにふるえ飢餓に苦しみ衣食を求めるような存在ではなく、したがって衣食の資養、供養の必要はないものと考えられてきているようなのです。
死後の人びとは、この世と同じ快適な衣食住を得られる存在であり、衣食の資材の供養ではなく、生活の快適さと相手のいないさみしさとをたがいに分かち合えるヴァーチャルながらもパートナーシップ、フレンドシップを共有しあえる関係者どうし、という関係になってきているようなのです。

(中略)

 人びとの考え方が、死者への供養よりも、彼や彼女を失った喪失感にとまどい悩む自分の気持ちの安定を求めるグリーフ・ケアが中心となってきているのです。
それは、未知で不安なあの世へと旅立つ死者たちの苦しみや不安や迷いを想像し、それに共感してその冥福を祈るという、かつて伝統的であった考え方ではなく、悲嘆の中にいる自分が癒されたいという個人化社会を反映する考え方のようです。
死をめぐる「他者愛から自己愛へ」という変化といってよいかもしれません。
 
(中略)

 良いか悪いかは別として、現代社会を反映して、「供養」から「記憶」へという重点の置き方の変化が、いま死と葬送の日本文化史の中に起こってきていることは確実なようなのです。

===============================================================

時代が、死者に対する考え方が浄土真宗に近づいてきているように思います。
著者は、それを
「高度経済成長期以降の日本に実現した、衣食住の豊かさと、情報化、高速化の充実は、死後の世界への想像力の上でも、現実世界を反映して自己中心的な傾向が強まってきているようです。」
と言っていますが、私はこれは違うと思います。
供養は他者愛と言われていますが、純粋に死者を愛する気持ちのみではないと思います。
死者の霊を怖れ、祟りを怖れ、他人はともかく自分が先祖の霊魂による災いから逃れたいという思いで供養をしていたのでしょう。
先祖の冥土の幸福を祈りながら、実はそれは自分の幸福を願っているのでしょう。
自己中心的であることに違いないと思います。

次へ 震災トップへ

« 能登半島地震 被災から709日め | トップページ | 能登半島地震 被災から711日め »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 能登半島地震 被災から709日め | トップページ | 能登半島地震 被災から711日め »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

気象協会

  • 気象協会

最近のトラックバック