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2009年5月

能登半島地震 被災から799日め

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先日木地にベンガラを塗ったものです。
この皿の木地はこれまで漆だけを塗って仕上げたので、ベンガラを塗ったものがどのような色になるかとても楽しみです。
ようやく塗りものを楽しめるそういう状態になりました。

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能登半島地震 被災から798日め

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午前中は祥月命日・報恩講(お取越し)、そして続いて1周忌。
夕方に満中陰(四十九日)法要という1日でした。
久々に週末といった感じの1日でした。
午前中に伺った2軒でご門徒の方が本堂落慶記念にお配りした念珠を喜んでくださっていることを知りました。
旧本堂の古材で念珠を作成してお配りしてよかったと思いました。

 

「土曜プレミアム 衝撃の逆転裁判ドラマ サマヨイザクラ?あなたに死刑判決は下せるか」というドラマを視ました。
最後に大ドンデン返しがありましたが、そんなことより裁判員制度により人を裁くことの難しさを感じました。
判例だけで機械的に量刑を決定するなら裁判員制度なんて必要ありません。
被告を裁くには事件が起った背景を知らなければなりません。
しかしそこには感情が入り込みます。
被告が事件を起こした感情は理解しなければなりませんが、それを裁判員が感情で判断してはいけないと思います。
そこが大変難しい、そう思いました。

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能登半島地震 被災から797日め

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仏前の立花が解体されました。
たった2日間のために贅沢といえば贅沢なものです。
そんなことを言えば、お葬式の生花だってたった2日間のために贅沢なものなのですが・・・。

 

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立花を解体撤去してもらい先輩僧を見送ると玄関先に一人の男性。
作務衣を来て大きめのショルダーバッグを抱えています。
厄介な訪問者でなければいいが・・・と話を聞けば、朱印帳に記帳をして欲しいとのこと。
旧本堂は国道沿いの大きな伽藍だったので時々朱印帳を持って訪ねて来られる方がありました。
震災以来初めての朱印帳です。
それにしてもこの方はよく寺だと思って入って来られたものだと思いました。
寺に見られた、そのことに少し安心しました。

 

午後は、女房の叔父さんのお寺へ借り物をお返しに伺いました。
これで法要の後始末は完了だと思います。

夕方、寺標をお願いした石屋さんが見本の石を持って訪ねて来られました。
最初のことばが、先日の法要の日は娘さんの結婚の相談をしていてお参りができなかったということでした。
次女の方がお婿さんをとることになったそうで、その方達が絶えてしまうと思われた正覚寺門徒の石屋さんを継いで下さるそうです。
石屋さんはとてもうれしそうに話して下さいましたが、絶えてしまうはずだったご門徒に跡継ぎができるということで正覚寺にとってもうれしい話題でした。

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能登半島地震 被災から796日め

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今日の午前中に2ヶ月ぶりくらいに塗りものを始めました。
ようやく平常の生活に戻ったという感じがしました。

寺標がないから何という寺か分からない、といった声がよく聞かれました。
特に他所から来られた方は、反り返った入母屋屋根の建物ではないので仏教寺院であるとも思われないかもしれません。
午後、お参りに伺った石屋さんに寺標の再建をお願いしました。
震災で倒壊した寺標はこの石屋さんが寄付して下さったものですが、今回も寄付して下さるそうです。
ありがたいです。

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能登半島地震 被災から795日め

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23日午後の内法要兼逮夜の勤行

 

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二胡コンサート

 

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参堂列(稚児行列)

 

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和太鼓虎之介

 

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正覚寺スーパーレディース

 

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24日の日中の勤行

色々振り返ってみて、私なりに参詣が少なかった理由を考えてみました。
一つには昼食の準備がなかったことが考えられます。
簡単な軽食を準備して、それを案内しておけばよかったと思いました。
もう一つは、格好です。
奥さん方や稚児行列の付き添いの方の多くが着物で責役・総代さん方は紋付、お手伝いの方達も礼服で白ネクタイという姿だったので普段着ではお参りしてはいけないと思われたのではないかと思います。
普段着で気楽にお参りして下さいという案内が必要だったのではないかと反省しました。
手取り足取りしなきゃ駄目なのよ、と女房が言います。
そうなのかもしれません。

 

今日の午前中、少しだけ残っていた道具を元の場所に戻しました。
その作業を終えたらホッとしたのか途端に眠くなり、それから居眠りばかりしていました。
午後は、真宗講座を受講したのですが、後半は眠気を我慢するのが精一杯でした。

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能登半島地震 被災から794日め

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地元紙で大きな記事になっていたというので友達に新聞を持ってきてもらいました。
確かに大きな記事で恐縮ですが、素直にうれしく思いました。
震災からの復興ということで扱いが大きいのだろうと思います。

 

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午前中は、復興委員会の委員長さんと副委員長さんが法要の経費の支払いをして下さいました。
支払いが完了したら中間決算をしてもらって鐘楼の計画を立ててもらいます。

午後は友達が手伝いにやってきてくれて女房と共に片づけをしてくれました。
私は、午前中からお渡しできなかった方に記念品をお届けし、午後は片付けなどをしました。
ほぼ平常の状態に戻りました。

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能登半島地震 被災から793日め

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23日午後のお勤めの時には心配した通り参詣者が少なく、コンサートに観客が少ないと李彩霞さんに申し訳ないと思いました。
しかし、コンサートの時間になると満堂の人でとてもうれしく思いました。
新本堂は小さいので、音がワンワンと響くのではないかと思ったのですが、とてもよい音の響きで李彩霞さんに二胡に私も感動しました。
コンサートをして良かったと思いました。

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Photo  

 

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24日は朝からどんよりとした空でいつ雨が降り出してもおかしくない天気でした。
10時半頃に稚児行列が出発する家へ移動する際にはポツポツと雨があたり中止かもと少し心配しました。
そんな天候の中で稚児行列が出発しました。
沿道にも大勢の人が見物に出ていて、とても賑やかな中で稚児行列が進みました。
300mという短い距離なのであっけなく終るかと思いましたが、多くの方が行列に参加して下さったためと国道を横断するために時間がかかったためだと思いますが、ゆっくりゆっくり行列が進んでよかったと思います。
寺の境内地には大勢の方が待っていてくださり、稚児行列をして良かったと思いました。
 

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稚児行列の入堂後に本堂前で正覚寺のご門徒の方々が主宰している和太鼓虎之介にお祝いの太鼓演奏をしてもらいました。
ここにも人集りができてお願いして良かったと思いました。
和太鼓虎之介にはお斎の際にも演奏してもらい、場を盛り上げてもらいました。

それにしても2日間、お手伝いの方達からもっと忙しく呼ばれて疲れ果てるのではないかと覚悟をしていましたが、スタッフがしっかり運営をしてくれてほとんどトラブルらしいトラブルもなくスムーズに法要が進行されました。
もっとも大きなトラブルは、参詣者用にと注文していた寿司の盛り合わせが届かなかったことです。
書類でしっかり依頼するか注文を再確認すべきだと思いました。

午後は予想通り参詣者が少なかったのですが、とてもよいお参りをしていただいたと思いました。
無事法要を勤め上げることができて安心しました。

それにしても長い2日間でした。
そして今日は後片づけをしてもらいました。
昨日のことなのに遠い過去のことのような感じになりました。

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能登半島地震 被災から790日め

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お荘厳ができました。
接待の準備もほぼできたようです。
お荘厳は、照念寺の江本照ちゃんはじめお仲間の皆さんがお飾りして下さいました。
接待の準備は、良ちゃん夫婦が大活躍。
とても私たちだけではできません。
本当にありがたく思いました。

 

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心配性の私は色々心配をします。
一番の気がかりは天候。
曇りだった24日の週間天気予報が、今日には一時雨、時々雨の予報。
稚児宿にお店・自宅を提供し、大きなお金を掛けて準備してくださっている総代さん、子や孫の稚児姿を楽しみにしてくださっている参加者の皆さん、雨になったら申し訳なく思います。
また、参詣者も心配。
お参りをしても参詣者が集まらない状況なので、お参りがないのではないかと心配です。
心配したってどうにもならないのですが・・・。

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能登半島地震 被災から789日め

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立花が出来上がりました。
明日の午後、お荘厳をします。

天気が心配になってきました。
土曜日は晴れのようなのですが、日曜日が曇り時々雨の予報に変わりました。
なんとか稚児行列ができればいいのですが・・・。
世の中なかなか思ったようにはいきません。

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能登半島地震 被災から788日め

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立花など法要の準備が進んでいます。
いろいろお手伝いしていただくのは大変ありがたいのですが、その多くのことが私がかかわるか私の宿題になります。
かなり疲れてきましたが、まだまだこれからだと思います。
私が住職なんだからそんなことは当然だろうと思いますが、気力も体力も限界があります。

今夕、ご門徒の方が亡くなられました。
その方は、震災後進行性のガンを告知された方でした。
抗がん剤治療の合間に寄付を持って訪ねて下さいました。
イス席の本堂にして欲しいということ、お葬式の手伝いを寺で依頼して欲しいなど新本堂に希望を言われ、ご自分が亡くなったら正覚寺でお葬式をして欲しいと言われていました。
残念ながら、既に本堂は法要の準備に入っているためとてもお葬式ができる状況ではありません。
申し訳ありませんがお断りさせていただきました。
せめてあと1週間頑張って下さば・・・そんな愚痴なことを思いました。

 

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隣家では建前・上棟式が行われたようです。

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能登半島地震 被災から787日め

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2歳年上の先輩である照念寺の江本さん、私にとっては照ちゃんが法要の立花をして下さっています。
手慣れた手早さに驚きです。

 

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今夜は、法要の運営係(お手伝い)の説明会・全体会議が行われました。
壮年といった年代の方々なので飲み込みが早く頼もしく感じました。

 

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隣家で建方が行われています。
明日は大安とかで建前なのでしょうか?

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能登半島地震 被災から786日め

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隣家で新築工事が行われています。
明日あたり建前でしょうか?

今日はお参りが休みでした。
午前中は、法要スタッフのスケジュール一覧表作り。
午後は、残っていた道具のお磨き。
それで一日が終ってしまいました。

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能登半島地震 被災から785日め

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昨日・今日と2日間女房の実家の法要にお参りさせていただきました。
というのは正確ではありません。
ほとんど本堂でお参りをしていません。
今回は裏方さんでした。
裏方さんじゃなきゃ、こんな写真は撮れませんね。

 

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大きな本堂に多くの僧がお参りをしています。

 

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夕方、正覚寺へ帰ると、たった一晩留守にしただけだったのに、ひさしぶりに帰った気がしました。
長~い2日間だったんだと思いました。
長~い2日間だったのですが、終ってみればあっけないものだとも思いました。
正覚寺の法事はもっとあっけないのだろうと思います。
法事は形の残らない儀式、イベント、それに大きな資金が必要です。
形の残らないものに大きな資金を使う、一般的な感覚ではもったいないということになると思います。
そこに何の意義があるんだというのが現代の感覚でしょう。
私は、何も残らないことに大きな資金を使う、それが法事の意義ではないかと思います。
何も残らないことにお金を使うことはもったいない、その欲を捨てる、それが喜捨(布施)なのではないでしょうか。
今回の正覚寺の法事にはもう一つ大きな意義があると思います。
それは、本堂の復興にけじめを付けるということです。
工事は完了しましたし、実質的には支障なく使用しているのですが、周囲の人たちには何となく落成していないという感覚があるようです。
落慶法要を勤めることにより、正覚寺の復興に一区切りがつくと思います。

正覚寺に帰って本堂へ行きました。
正覚寺の本堂は、女房の実家の寺の本堂の4分の1から6分の1ほどの大きさです。
小さいなぁ~!っと思いましたが、仕方なくこうしたんだではなくこれがいいんだと思いました。

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能登半島地震 被災から783日め

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古く傷んだものを修復すると、その周りのものの痛みが目立ちます。
帯戸を塗り直してもらったら梁・鴨居(?)の色が剥げたのが目立つようになりました。
ペンキ屋さんに塗り直してもらいました。

 

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建具屋さんが隙間を埋めています。
曲線に苦労しているようです。

 

今日は1日お参りは休みでした。
一日中法要の準備をしました。
司会進行の原稿メモ、挨拶の原稿メモの作成しました。
地区のお寺さん方に集合時間と駐車場をお知らせするハガキを発送しました。
助音といってお勤めのコーラス隊の僧、雅楽を演奏して下さる僧に集合・開始時間をお知らせするのを忘れていたので、あわてて文書を発送しました。

明日・明後日は女房の実家のお寺の法要です。
本山から鍵役という役を勤められている偉い方がお参りにお出でます。
私と息子たちの装束の準備をしました。

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能登半島地震 被災から782日め

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床のワックスがけと本堂カーペットの吸塵、トイレの清掃が行われました。
ワックスがけもさすがプロ、きれいに仕上がりました。

 

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ふすまの張り替えや塗り直しなど修復に出していた建具の搬入も行われました。

 

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一昨日のお葬式の盛籠です。
1軒の業者だけが回収に来ません。
だらしないと思います。
こういうところに店の姿勢が現れるのではないかと思います。

 

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今日の午後は金沢近郊までお参りに出かけました。
その道中で前を走っていたバスです。
このバスは、ガンの検診用のレントゲン車です。
小さくて見えませんが、バスの後右下にシールが張ってあります。
「交通安全 白山比咩神社」と書いてあります。
こんな車まで当たり前のように交通安全祈願を受け、お札を張っているんだと驚きました。
それにしてもやっぱり変。
この車の人たちは、ガン検診に来られた人たちに「ガン封じ」のお札を渡しているのだろうか?
それとも神社などでガン封じのお祓いを受けお札を体に貼っていたらガン除けになると奨めているのだろうか?
こういうことを言うから嫌われるんだよね。

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能登半島地震 被災から781日め

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花壇に竹の柵が設置されています。
よい雰囲気になると思います。

 

早くから法事に向けて準備をしてきたつもりですが、まだまだしなければならないことが多くあります。
なかなか大変です。

 

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能登半島地震 被災から779日め

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今日は、ハウスクリーニングの専門業者に依頼してあった窓ガラスのクリーニング作業が行われました。
贅沢かどうか判断の別れるところかもしれませんが、私も女房も今後も依頼したいと思いました。
やはりプロの作業は違います。
透明なガラスに戻りました。
木曜日には床のワックスがけ、カーペットの吸塵作業などが行われる予定です。

 

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今夜はお通夜でした。
小さい・狭いとお手伝いの方に不満を言われていたのですが、ちょうどよかったと思います。
脇間や廊下にイスを並べるなという指示があったので、そこにはイスを置きませんでした。
しかし、イスを並べておくべきだったと思いました。
堂内の人たちはイスに座っているのに、その後ろの脇間や廊下におられた方々はカーペットに座っていました。
前の人が床に座って、後ろの人がイスに座るならおかしくないでしょうが、逆になるとおかしなものです。

200名の参列者を想定されているならそのように伝えて下さって、運営は正覚寺のお世話方に任せて下されば、より良い運営ができたはずだと思います。
来られる方よりお世話方の方が正覚寺の使用には慣れているのですから・・・。
我を張らずに任せる、それが難しいことなんだと思いました。

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能登半島地震 被災から778日め

昨晩は正覚寺役員会(責役・総代・門徒会)でした。
法事の日程をチェックしていただきました。

 

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今日は、町内の一斉清掃、昔でいうドブ掃除でした。
私は、申し訳ありませんが欠席でした。
福井県三国から2ヶ寺の住職さんが御門徒の方々と共に正覚寺の見学においでました。
わざわざ2時間半から3時間の距離を来ていただいた価値はあったのでしょうか?

私は思っています。
正覚寺は周囲の寺の少し先を行っていると・・・。
本山の上納金を減らして欲しいと訴えた時もそう思いました。
周囲のお寺は他人事のようにしているけれど、いずれ必ずあなたたちも正覚寺と同様の立場になるはずだと・・・。
そして本山は門徒戸数調査を始めました。

今回は震災がきっかけでしたが、入母屋造りの大きな屋根の本堂は諦めました。
同じ奥能登で従来の形式の本堂を新築されているお寺がありますし、御隣寺は全壊判定の本堂を修理されていますから、正覚寺もそういう選択もあったと思います。
しかし、正覚寺は新様式への改築を選択しました。
それは、現状を考慮してということももちろんですが、今後の将来を見越してということです。
総ケヤキ作りの立派な本堂を解体してしまってバカな奴だという批判も当然あるでしょうが、私は正覚寺の選択は間違っていなかったと思っています。
地震のおかげで少し早く変革の機会がやってきただけだと思っています。

今日、ご門徒の方がお亡くなりになり、お葬式のお手伝いをされる同級生の方が正覚寺本堂の下見に来られました。
来られてから帰られるまで、狭い・小さいを繰り返しておられました。
旧本堂の半分の大きさですし、農協のセレモニーホールと比較しても半分以下の規模で、確かに狭く・小さいことは間違いありません。
しかし、私はこれで十分だと思っています。
参列者が全員着席できなくてもいいじゃないですか。
それに、近い将来、ほとんどのお葬式が参列者が50人から100人になると私は思います。

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能登半島地震 被災から776日め

午前中は女房がパーマ屋へ。
留守番をしながら稚児行列の道路使用許可の書類作りを・・・と思っていたら、ご門徒の会計さん方が寄付簿の記入と銀行への入金、支払いなどの作業に、集金は来るは、電話はあるは、お向かいのアパートの住人が引っ越しだとか・・・目が回りました。

午後は隣寺へ初参り式のお参りに。
10年前は正覚寺のご門徒だけで1年間に十数人の新生児が誕生していたのですが、今年は4人でした。
お仲間の8ヶ寺を合計しても20人に満たないようでした。
急速に過疎化が進んでいることを感じました。

 

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建具屋さんがポリカーボネート樹脂パネルの施工をしました。
細かい隙間はありますが、大きな玄関として使用できるようになりました。

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能登半島地震 被災から775日め

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昨日のお通夜から今日のお葬式・還骨・初七日まで、富山県滑川までお葬式のお参りに行ってきました。
一昨年の暮れにお爺さんが亡くなってお参りさせていただいたのですが、その時は能登縦貫道と高速道路で行き来し3時間かかりました。
今回は、一般道で行き来したのですが、2時間半でした。
車のスピードは自動車専用道路の方が速いはずですが、ぐるっと大回りをすることになるのでしょう。

 

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セレモニーホールのすぐ隣が火葬場です。
雨が上がったのでお棺を輿に乗せて火葬場へ送ります。
一昨年のお爺さんのときも同じでした。
セレモニーホールも雰囲気作りに工夫をしているようです。

それにしても、私のようなものにわざわざ遠方までお参りに来いとおっしゃって下さる、ありがたいことです。
疲れましたが・・・。

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能登半島地震 被災から773日め

連休も暇です。
かつては、連休にも親戚が帰省して来たためだと思いますが、連日法事で忙しい思いをしたものです。
生活の有り様が変わったのでしょう、正覚寺にとっては単なる5月初旬です。

 

今日の午前中は、法事のお世話・お手伝いをお願いしている方々に依頼の文書を発送しました。
1ヶ月以上前にハガキを出してあったのですが、念押しというか、確認というか・・・。

午後は、お稚児さんの名簿作り、ありがたいことに50名を超え、連休明けに申込みに来るという方を合わせると60名ほどになりそうです。
本山が出している子供向けのリーフレットを余裕を持って50部準備していたのですが、足りないことが確実になったので本山へ追加をお願いしました。

 

夜は、近所の4家族でバーベキューをしました。

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能登半島地震 被災から772日め

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友達夫婦に手伝ってもらって、というより友達に寄付札を上げてもらいました。

 

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先日の新聞記事です。
この142万円に、御布施(読経料・戒名料)55万円、通夜・葬儀後の飲食費40万円を足した合計231万円、これが全国平均のお葬式費用だそうです。
御布施の平均額55万円も私がいただいている御布施と比較してずいぶんと高いと思いますが、その他の経費もずいぶん高いと思います。

今日、葬儀屋さんが本堂を見せて欲しいと訪ねて来られました。
小さな本堂なので祭壇は組めません、と伝えたのですが、それでもかまわないと言われるので本堂を見せてあげました。
しかし、貸して欲しいという電話はありませんでした。
そうでしょう、斎壇を使わず、お手伝いも必要ないのですから、葬儀屋さんは仕事になりません。

経費の軽減、無駄を省くという理由で、死後に通夜や告別式を行わず、遺体を火葬するだけの「直葬(ちょくそう)」が広がっているそうです。
先日の新聞では、都市部では2~3割は直葬と書かれていました。
しかし、通夜や葬儀を省き、故人との別れの時間が少ない直葬の場合、残された遺族が心の整理をつけられないこともあるとも書かれていました。
儀礼を通じて安心感を得たり、けじめをつけたりできる、それが僧侶が必要とされる理由でしょう。
正覚寺が葬儀屋さん(セレモニーホール)と直葬の間を埋めることができれば・・・、そう願っています。

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能登半島地震 被災から771日め

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午後、正覚寺復興便り兼法要案内と本堂落慶の記念品を封筒詰めしました。
記念品は本来法要後にお配りするものだろうと思いますが、案内を配布し法要後記念品を配布するというのはとても負担になるので、手抜きかと思いますが連休明けにまとめて配布させていただくことにしました。
原発反対、輪島市長を裁判に訴え、本山と裁判をし・・・、色々と驚かせることをしてきたので、今さら法事の案内と記念品を一緒に配布するという程度のことをしても誰も驚かないだろうと思います。

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忌野清志郎というロック歌手が癌で亡くなりました。
私が高校生の頃、「RCサクセション」というバンドの「ぼくの好きな先生」という曲がヒットし、私もこの曲が好きでした。
しかし、それ以外の曲は、私にとってはアクが強いというかクセが強いというか、あまり好きではありませんでした。
私が忌野清志郎というロック歌手を見直したのは、反原発を扱ったアルバム「COVERS」でした。
原発プラントを製造している東芝の系列会社である東芝EMIというレコード会社に所属しながら反原発のメッセージソングをレコーディングし発売中止、レコード会社を移籍して発売という行動に、忌野清志郎の「音楽は時代の刺激剤であるべきだ」との強い信念を感じました。
パンクロック風にアレンジした「君が代」も発売中止になりましたが、妥協もこびることもない反骨精神を見せ続けてくれました。
社会・体制に迎合するあり方が、安全で要領の良い得な生き方だとするのが一般的だと思いますが、私はそれが決して豊かで幸せな人生とは限らないと思います。
妥協もこびることもない反骨精神、それは社会や体制に逆らうことになるかもしれませんが、自分自身に素直な生き方だと思います。
自分自身に素直な生き方といっても自分勝手な欲望のままに生きるということではありません。
譲れない信念に生きるということだと思います。

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能登半島地震 被災から770日め

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旧本堂に懸けられていた法名軸は新本堂では掛けられません。
新たに法名軸を準備しました。

 

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掲示板に本山の親鸞聖人750回御遠忌法要のポスターと並べて正覚寺の法要のポスターを掲示しました。

 

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式台のフードに戸が建ちました。
フードを設置すると式台が台なしになると言う意見が多かったのですが、私の目には違和感なく仕上がるのではないかと思えます。

 

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夜は、お世話になっている方々に長男の友達が交じってバーベキューをしました。
実は、女房はバーベキューが大好きです。
塀が低くなって国道から境内が丸見えになったのでバーベキューはできないのではないかと思っていたのですが、工事現場用の防災ネットをスクリーンにしました。

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能登半島地震 被災から769日め

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建具屋さんが作業に来ています。

 

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庭工事は完工したようです。
場所に似合わないとても立派な庭になりました。
母親らがこの庭を見たら喜んだだろうと思いました。

 

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草むしりが一段落したら屋内の掃除。
女房にとって法事は、きれいに掃除のされた寺を見てもらうことかもしれません。

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