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2009年6月

能登半島地震 被災から829日め

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今夜は、お通夜でした。
親戚や仕事関係、同級生の方で200名以上という参列者がいらっしゃったようで、正覚寺の本堂には入りきれない、座りきれない人数でした。
イスが準備されていないと、世話をされていた方が叱られたようです。
現代社会の風潮が現われている出来事だと思いました。
少し前までは、市長や会社の社長のお葬式でも自宅や寺で行われ、会場に入りきれない参列者は外に立っているのが当然でした。
ところがそれが当たり前ではなくなりました。
現代社会は、何でも完璧に準備されていて当然、全て手取り足取りサービスされて当然という世の中になったんだろうと思います。
それを若者が要求するなら、豊かな社会の中で育った今時の若い者は・・・と思うのですが、不便な時代を生き抜いてきた老人が要求し怒ります。
老人は体が不自由だから・・・ということは分かりますが、自分が座るイスが準備されていないのをケシカランと怒る、それはちょっと違うんじゃないかと思いました。

 

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今夜はユーミンコンサートへ出かける予定でした。
でも、お通夜でした。
住職の宿命です。
こんな小さなことも、「諦める」ということが大切だと思います。

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能登半島地震 被災から828日め

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今日は寺標が建てられました。
図面を見せてもらった時から高そうだなぁ!とは思っていたのですが、実際に建てられて目の当たりにすると本当にスマートなノッポさんです。
また一つ復興ができました。
ありがとうございました。

 

女房が、広間のランマを入れ換えたいと言っていたところへ、「倒産品売りつくし」というチラシが入りました。
見て来なきゃならないと言うので、車で一時間弱の田舎町の小さなショッピングセンターまで出かけました。
女房は、私がトイレに行っている短い時間を見ただけで、買うのを止めたようでした。
でも、見に行って良かったと思いました。
交換するのではなく、今設置されているランマを活かす方法を学んだように思いました。

 

帰りに、震災で全壊し再建された門前町の興禅寺さんを車中から見せてもらって来ました。
とても可愛らしい本堂が出来上がっていました。
写真を撮るのを忘れました。 coldsweats01

 

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昨日は1輪だった月下美人の花が今夜は3輪になりました。
ただ、なぜか香りがしません。
香りを発するだけの元気がないのだろうかと心配になります。

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能登半島地震 被災から827日め

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朝8時から工事の騒音。
周辺では裁判所の改築工事を含めて3~4軒の工事が行われていますが、今日は日曜日。
どこだろうと思ったら、向いのスタンドでした。
地震で地盤が盛り上がってしまったために修復工事を行うそうです。

 

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今日は「こんごう会」と呼ばれる能登独特の行事でした。
かつては50人~100人の参詣があったのですが、近年は激減。
今日も誰もお参りに来てくれないのではないかと不安に思ったのですが、15~6人のお参り。
正直なところホッとしました。
せめてお昼のお斎(昼食)だけでも食べに来ていただけるよう工夫・努力したいと思います。

 

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夕べお向かいさんからアユをいただき、今夕食にいただきました。
解禁から10日余りが過ぎ、あまり釣れなくなったと聞いていたので一段と美味しくいただきました。

 

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母が育てていた月下美人が今年も咲いてくれました。
どのように世話をしたら良いのかも分からずにほったらかしなので、枯れてしまうのではないかと思いながら見ているのですが・・・。
インターネットで調べて植え替えてやろうと思います。
その結果、枯れなければいいのですが・・・。 coldsweats01 

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能登半島地震 被災から826日め

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今日は、正覚寺を会場としてご法事が勤められました。
故人は正覚寺での葬儀を希望されていたのですが、落慶法要と重なってしまったためにセレモニーホールでお葬式をしていただきました。
正覚寺の御本尊の前に遺骨を安置してお参りさせていただき、少しだけ故人との約束が果たせたような気になりました。
約50名の参詣者のほとんどの方が初めて正覚寺の新本堂に入られた方で、それぞれ「立派にされましたねぇ」とおっしゃって下さいましたが、お世辞もあるでしょうから・・・。
それにしてもエアコン、設計士さんによればあまり涼しくなりませんよということでしたが、今日は十分涼しくなっていたと思います。

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能登半島地震 被災から825日め

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今日もお参りは休み。
午前中は塗りもの、午後は明後日のお参りの準備・飾り付け(お荘厳)をしました。
明日はご法事が2軒あり、その内の1軒は正覚寺本堂が会場となっているので、今日、飾り付けをしました。

 

今日は、マイケル・ジャクソンというアメリカの歌手が亡くなったというニュースで賑わいました。
朝のワイドショーはマイケル・ジャクソン一色で、フジテレビは夜7時代のゴールデンタイムに緊急特番まで放送しました。
どうしてここまで騒ぎたてなければならないのだろうと思いました。
私はマイケル・ジャクソン世代ですが、好きではないのでCDを1枚も持っていません。
そのせいでしょうが、世界的な歌手であるとは思いますがここまで騒がなくてもよいのではないかと思いました。
最近は歌手としての活動よりも奇行ばかりがニュースになり、奇人変人というイメージが強く、とても誉められた人物だとは私には思えませんでした。
今日の新聞にも多くの方のお葬式の案内が掲載されていました。
マイケル・ジャクソンの顔や仕事などを知っていても、新聞に掲載されている人たちのことは何も知りません。
これが扱いの違いなのでしょうが、一人一人の生命の重みは同じはず。
なんとなくすっきりしないものを感じました。
生命の重みは同じでも、人生の重みは違うのでしょうか?

 

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今日、携帯電話の機種交換をしました。
私は電話が嫌いなので音声電話として携帯電話を使うことはほとんどありません。
使うのはほとんどメールと出かけた時の情報検索。
ですから、これまで使っていた携帯でもほとんど不都合はありませんでした。
唯一の不満は、カメラの解像度が低いので、携帯で撮った写真をブログにアップしてもぼやけていて大きく使うことができないことでした。
携帯で撮った写真がブログなどで使えたら・・・、唯一それが機種交換の理由でしょうか。
この前に機種交換をしたのは2年2ヶ月前、地震の直後です。
地震で被災して何の楽しみもなかったので、少しでも気分転換になれば・・・と携帯を交換しました。
今回も落慶法要が終ったら気分転換に・・・そんな程度のことです。

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能登半島地震 被災から824日め

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隣の漆器屋さんで工事。
ペンキ屋さんの塗装工事だと思ったら、大きな看板の設置工事でした。
正覚寺本堂の影に隠れて見えなかった隣の建物が、本堂が小さくなったために丸見えになりました。
正覚寺の本堂が小さくなったことがお隣にも影響しているんだと思いました。

今日もお参りは休みでした。
朝からペーパーで研いで、午後は塗って、塗りが終ったのは午後3時半過ぎでした。
塗りものをした1日でした。

 

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4月に発売されて新聞広告を見てすぐに買った本ですが、まだ半分も読んでいません。
元々本を読むのが遅いのですが、その上に近頃は本を読み出すとすぐに眠くなってしまうので益々本が進まないのです。
今日も夕方の短い時間でしたが、音楽を聞きながら本を読みました。
被差別部落の皮革工場にも、近年はアフリカやベトナム、中国などから出稼ぎに来ているそうです。
そこで黒人差別の実態があるということを知りました。
差別され差別に苦しんできたはずの人たちが、新たにやって来た人たちを差別する、差別は人間の性なのだろうかと思いました。

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能登半島地震 被災から823日め

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今日はお参りは休み。
久々にのんびりとした休日の1日をすごす予定でした。
午前中は塗りものをしました。
漆というのは不思議な性質があって温度が高いだけではなく湿度がないと乾きません。
ですから、梅雨というのは温度と湿度があって漆を塗るには条件のよい季節です。
午後は、女房は坊守講習会でお数珠の繋ぎ方の講習に出かけました。
私は、音楽を聞きながら本を読んでの~んびりすごすはずでした。
ところが、ご門徒の方が尋ねて来たり、電話があったり、そこへ良ちゃんが草刈りに来てくれて、私は刈られた草集め・・・。
全く休みにはなりませんでした。
4時半頃に3男が帰って来たので留守番を頼み、鍼灸院へ出かけました。
少しストレスの発散になったように思いました。

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能登半島地震 被災から822日め

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先日、子供たちのコミックを読みました。
ちょうど国会でも議論されている脳死や臓器移植がテーマです。
心臓が動いているのに死んでいると認めることの難しさ。
しかし、一方で脳死の方の臓器によって助かる生命があります。
難しい問題です。

 

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軽4の車検がきたので買い替えることにしました。
軽4をやめて1200ccのコンパクトカーにしました。
小さな輪島の街中だけなら軽4で十分ですが、それだけではもったいないので、使用範囲が広がるのではないかとコンパクトカーにしました。
明日で車検が切れますが、今日納車されました。

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能登半島地震 被災から821日め

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七尾という輪島から60Kmほどの距離にある真宗大谷派能登教務所へ「同朋社会推進要員研修会」に出かけました。
輪島では寺家と呼びますが、大寺に従属する寺として前寺・下寺・小寺などとも呼ばれるお寺についての学習会でした。
どのようにしてそのような寺が存在するようになったのか、まだまだ謎が多いと思いました。
江戸時代、そんなに遠い昔のことではないのですが・・・。

その学習会で同席した方は七尾市内で本堂が全壊の判定を受けたお寺の方でした。
復興の様子を訊ねると、寄付のお願いを始めたばかりということで、5年かかるか10年かかるか・・・ということでした。
私は、正覚寺が抜け駆けしてしまったようで申し訳なく思いました。

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能登半島地震 被災から820日め

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「正覚寺復興便り」を封筒詰めしました。
震災復興のおかげでご門徒へ頻繁に通信を出したので、すっかりこういう作業にも慣れてしまいました。
ダイレクトメール発送の内職を請け負えると思います。

 

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中陰勤行(七日勤め)で使用している勤行本が好評なので、落慶法要の記念にご門徒へ配布しました。
お参りに伺うとこの本を準備して待っていて下さる家があります。
せっかくだからと予定を変更して正信偈・同朋奉讃のお勤めも加えます。
後ろからお勤めの声が聞こえると何故かうれしくなります。

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能登半島地震 被災から819日め

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食べ始めてからあわてて写真を撮りました。 スイマセン。
どなたがくださったのかご門徒の方がサザエを届けて下さいました。
3男が受け取ったのでお名前が分からない、というか、同じ名字のご門徒が15軒あって分からないのです。
サザエは今年の初物です。
美味しくいただきました。

 

今日は「あげ法事」と呼ばれているご門徒の方が寺へやってきて勤めるご法事がありました。
ほとんどの方が金沢や富山、福井からのお参りで正覚寺の新本堂は初めてでした。
皆さん、きれいに立派になりましたねぇ、とおっしゃって下さいました。
その中の一人の方が、お寺ではなくどこかのセレモニーへ来たようだとおっしゃいます。
その方は誉めて下さったのですが、住職の私には言われたくない形容です。

 

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昨日に引き続き今日も空き時間にお参りの案内の発送準備をしました。
午後の空き時間にパソコンで封筒の宛て名書きをしました。
前回までは紙詰まりが多く、かなりの枚数を無駄にしたのですが、今日は3枚だけでした。
気候と慣れのせいだと思います。

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能登半島地震 被災から818日め

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今日の午前中は、地域の真宗大谷派の組織である組で実施する「真宗入門講座」の受講者への往復葉書を印刷。
昼食後は、講座のスタッフへのハガキを印刷。
午後は月忌を3軒、ご法事が1軒、百ヶ日を1軒お参りさせていただいて、夜は6月28日に勤めるお参りの封筒を印刷。
プリンタにとってはハガキや封筒の印刷は不得意分野。
紙送りがなかなかスムーズにいかず、紙詰まりします。
ハガキは、まとまった枚数をセットせず2~3枚ずつ印刷します。
ですから枚数の割に時間がかかります。
封筒は、薄手の柔らかい製品を使っているのですが、それでも紙詰まりします。
イライラしながら、辛抱しながら・・・、そんな作業です。

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能登半島地震 被災から817日め

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今日の女房は、午前中は聞法の会のお世話、午後は東京からお参りに来られる方の墓掃除、夕方は庭の草むしり。
草むしりは、主婦としての執念を感じます。

 

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一昨日は輪島の川のアユの解禁日。
役僧さんから初物をいただいたのですが、一昨日、昨日と外出していていただくことができませんでした。
大きなものは14~5cmあります。
で、今夜塩焼きにしていただきました。

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能登半島地震 被災から816日め

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パテが塗り込められた部分に色がつけられました。
私はどの部分が欠けていたのか分かっているので、修理したのが分かりますが、知らない人には分からないと思います。
国宝も修理する技術だということでした。
もちろんご門徒の石屋さんが国宝を修理したわけではありませんが、輪島の田舎の石屋さんとしては凄い技術だと思いました。

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能登半島地震 被災から815日め

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左は震災直後に補修された合葬墓です。
右は今日の合奏墓です。
同じように見えますが、違います。
右は、震災で痛んだ墓を補修してくださっています。
同じように白く傷が見えますが、右は傷が埋められていて、これから色が塗られるようです。

左の写真の震災時は正覚寺裏は単なる広っぱでした。
それが今では住宅やアパートが立ち並んでいます。

 

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昨日買ってもらった作務衣の表示です。
左のカードには静岡浜松・遠州紬と表示されています。
ところが右の表示には中国製と書かれています。
どういうことでしょうか?
生地は静岡浜松で織られた遠州紬で、縫製は中国ということでしょうか?

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能登半島地震 被災から814日め

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今日は金沢近郊までお参りに伺いました。
前にも書いたと思いますが、私でなければ・・・と待っていて下さいます。
なぜ私でなければならないのだろうか? 本当に私でなければならないのだろうか? と疑問に思いますが・・・。
母娘の二人の生活で、娘さんが働いていた時の貯えとお婆さんの年金でつましく暮らしていらっしゃいます。
本堂の新築工事にお婆さんのお名前で一口寄付をして下さいました。
さらに、娘さんの名前でもう一口分割で寄付をして下さっています。
今日もその一部をいただきました。
無理をしないでほしいと思いますが・・・。
失礼ですが、貧者の一灯と思います。
本当にありがたいご寄付です。

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能登半島地震 被災から813日め

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昨日のご法事の願主の方は銀行勤務です。
ローンを受け付ける専門の店舗に勤務しています。
銀行といえば、一昔前は公務員以上に安定していて尚且つ高給といわれていました。
今はなかなか厳しいようです。
相談窓口でローンの受付をしていると様々な家庭・人生を見るようです。
わがままに育てられたのであろう娘にせがまれて渋々住宅ローンの書類にハンコを押す母親。
収入・生活ぶりに見合わない家を建てようとする若者。
それでも審査を通ってローンを組んで家を建てれる人はいいそうです。
辛いのはローンを組むことができないと断る時だそうです。
ローンが組めなければ家を諦めなければなりません。
しかし、住宅ローンを断る以上に辛いのは教育ローンだそうです。
大学には合格しているのに教育ローンが組めないために大学進学を断念しなければなりません。
青年の人生を奪うようで辛いということです。
逆にうれしいのは、ローンを組んだ家が建ち、建て主に感謝され喜ばれた時だそうです。
銀行員としての業務が、多くの人の人生の大きな出来事にかかわる仕事になっているのだと思いました。
自分にとっては慣れた業務だけれども、それがその人にとっては人生を左右するかもしれない大きな出来事にかかわっているのだと思うとその方も話されていました。

私はどうなんだろうと思います。
私は本当に必要とされているのだろうか?
私はお念仏を伝えることに役立っているのだろうか?
お念仏は必要とされているのだろうか?
近頃、お参りをしながらそんなことを考えています。

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能登半島地震 被災から812日め

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雨が降っていなければ、毎朝境内を一回りするのが日課になりました。
メダカや金魚に餌をやり、プランターや庭に水を撒きます。
カメに餌をやり、駐車場を一回り。
駐車場に生えてくる雑草に除草剤を撒きます。
アスファルト舗装を破って生えてくる雑草、力強さとたくましさを感じます。
そして雑草の伸びるスピードに驚きます。
最後に週に何度かはゴミ出し。 coldsweats01

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能登半島地震 被災から811日め

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先日、仕事で使うからと真空ろくろという機械を取り上げられてしまいました。
持ち主の方が持ち帰っただけですから、取り上げられたという表現は正しくないのですが・・・。
それで、数年ぶりに塗り物のペーパーかけは手作業になりました。
機械があれば40~50分もあれば完了する作業が、2時間以上かかりました。
手は痛いし疲れるし、労力を使うし時間も使う割りにはキレイになりません。
真空ろくろを買うと数十万円します。
とても私レベルの趣味に出せる金額ではありません。
持ち主の方が使い終わるまで手作業で頑張ります。

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能登半島地震 被災から810日め

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寺標の基礎ができています。
寺標も耐震構造になるそうです。

 

今日は正覚寺から8Kmほど東にいったところにある山の集落のご門徒のご法事でした。
明治以来26軒という村の戸数が今も保たれているということですが、そのうちの1軒だけが正覚寺のご門徒です。
26軒あるもののそのうちの4軒は老人福祉施設などに入居されていて空き家状態だそうです。
いつまで村・集落として機能できるのだろうかと思いました。

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能登半島地震 被災から809日め

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ストレス解消、ウップン晴らし?に温泉に行ってきました。
初めは加賀温泉に・・・と思ったのですが、加賀温泉では旅行という気分がしないので、下呂温泉にしました。
高山~下呂~郡上八幡と観光をしてきました。
高速道路が通じて高山が近くなったことを実感しました。
道中で目に止まるのはお寺。
飛騨・美濃のお寺は決して伽藍は大きくありませんが、どのお寺も本堂・経蔵・鐘楼・山門が境内を含めてきれいにきちんと整備されていました。
雪が深いせいでしょう、どのお堂も銅葺きなどの金属屋根でした。
そして、真宗大谷派寺院の多いことも驚きでした。

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能登半島地震 被災から807日め

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今日は八日講というお参りでした。
輪島市街地の真宗大谷派7ヶ寺が持ち回りの当番制で勤めます。
今月は正覚寺の当番の宿寺でした。
去年1年間は工事のために宿寺をしていないので、1年8ヶ月ぶりとなります。
正信偈・6首引きのお勤めの後、宿寺住職が法話をさせてもらいます。
私が法話をさせていただいたのですが、最後はどうにも締まらない話しになってしまいました。
参詣の方々に申し訳なく思いました。

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能登半島地震 被災から806日め

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本堂の軒下。
何が設置されているのだろうと見ると、蜂の巣のようです。
変わった形の巣ですが、なんという蜂でしょう?
いずれにしても蜂の活動が活発な時期ですので冬になってから取ってもらうことにします。

 

病気の従兄弟から電話がありました。
手助けをしてあげたいと思うのですが、私は従兄弟がどのような病気でどのような生活をしているのかさえ知りません。
従兄弟が話すのに合わせてウンウンと適当な返事をするしかありません。
ただただ病気の従兄弟を気の毒に思い、何もしてあげられないことを申し訳なく思いました。

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能登半島地震 被災から805日め

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今日・明日の2日間は輪島市民まつり。
まつり大好きなこの人がじっとしているわけがありません。
子供や孫が出ているわけではないのに、マーチングドリルやパレード見物。
付き合う私は weep

 

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夜は花火大会。
私も花火は大好き。
8000~9000発の花火が打ち上げられ、小さな田舎町では立派な花火大会だと思います。
拍手が湧きました。
花火大会後はもちろん居酒屋でビール。 beer 

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能登半島地震 被災から804日め

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去年の5~6月頃バスケットクラブを辞めた3男でしたが、冬になって友達に誘われて復帰しました。
今日は最後のインターハイ予選・公式試合で、女房は朝から観戦(応援)に出かけました。
私は、偶然にも金沢でご門徒のご法事。
12時半頃に試合が終了とのことで、ご法事の帰りに女房を迎えに寄って帰る予定でした。
ところが、1試合め(2回戦)は楽勝してしまい、役僧さんと別れて私も午後の2試合目を応援することになりました。
2試合めは開始3分頃までは互角だったのですが、 (;^^) その後はダブルスコアの惨敗でした。
親の贔屓目で見ても他の選手の方がうまいと思ったのですが、なぜか3男はスタメンからほぼフル出場させてもらい、よい思い出になったと思います。

 

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帰ると荷物が届いていました。
法事に出かけたのかバスケット観戦に出かけたのか分からない1日になりました。

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能登半島地震 被災から803日め

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昨日の午後から今日の午前中、声明講習(儀式の講習会)が行われました。
京都の本山から先生に来ていただいての講習会です。
日頃の思い込みによる間違いが明らかになります。

 

午後は塗りものをしてすごしました。
塗りものを研ぐ時に真空ろくろという機械を使っているのですが、持ち主の方が使用されるとのことで来週には持って行かれてしまいます。
再び完全手作業に戻らなければなりません。
便利な機械があることが当たり前になってしまっていたので残念です。

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能登半島地震 被災から801日め

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今日の新聞に2つのクジラの記事。
一方は恵みのクジラで、解体され出荷されました。
一方は迷いクジラで、湾外へ出たことを喜ぶ記事です。
先のクジラは定置網に入り、弱ったところで引き上げられたと書かれています。
後のクジラは湾に迷い込み、浅瀬で瀕死の状態でしたが、それを人間が助けようと努力していました。
このクジラの扱いの違いはなんなのでしょうか?
能登では古くからクジラやイルカを食べる習慣があったようで、今でも奥能登にはクジラが上がると街中が賑わう町があります。
輪島の小さな漁村の神社にはクジラのヒゲや骨が奉納されています。
クジラが打ち上げられたことにより村が潤ったので神様にそれを感謝して奉納されたもののようです。
能登に暮らすものにとってはクジラは恵みだったのです。
ところが近頃はクジラを恵みとすることが非難されるようになりました。
牛やブタ、ニワトリは殺して食べてもかまわないが、クジラを殺して食べてはいけない、この違いはなんなのでしょうか?

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能登半島地震 被災から800日め

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今日のご法事の家でいただきました。
バームクーヘンです。
最近は、和菓子ならドラ焼、洋菓子ならバームクーヘンをいただくことが多いと思います。
こういうものにも流行があるんだと思いました。

 

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山吹塗の工房です。
去年までは廊下だったのですが、冬から部屋の中に格上げされました。

 

「それでも僕らはやってない!」御殿場事件に... というドキュメンタリーを視ました。
明らかな冤罪なのに、警察・検察・裁判所が自称被害者の女性とグルになって犯人をでっち上げたとしか思えませんでした。
女性が事件があったという日が変わり、被告のアリバイがもみ消され、事件当日の天候が測候所の記録も消防署の記録も雨であるのに警察・検察の写しだけが降雨ナシ・・・。
強引に事件を作り上げ、強引に状況を設定し、強引に犯人を作り上げたとしか思えませんでした。
なんのために警察・検察・裁判所は事件をでっち上げる必要があったのでしょうか?
いつ誰が犯人にしたて上げられ、犯罪者として刑務所に入れられても不思議ではないと思いました。
富山に冤罪で刑期を終えた人がいましたが、あり得ることだと思いました。

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