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2009年10月

能登半島地震 被災から952日め

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今日、明日と重蓮区明和会という町内の会の旅行。
旅行といっても午後輪島を出発して富山まで。
ただ、輪島は能登半島の北端にあるので、富山までは2時間半、小旅行という距離です。
富山の特産品の一つは薬。
で、今日は広貫堂という薬品メーカーを見学してホテルに入りました。
ホテルで風呂に入り、懇親会へ。 bottle
今回はこれがメインの旅行です。
メインといってもチェーンの居酒屋でささやかな宴会、そして2次会にスナック。
質素な会なので贅沢な旅行ができないのは分かりますが、私としては何か富山らしさが味わえたらよかったのですが・・・。
前にも書いたかと思いますが、私はスナックが苦手、っていうか女性の相手をするのが苦手。
だから、宴会のコンパさんも苦手。
オンチでカラオケも苦手なので、スナックなどの飲み屋は私にとってはどちらかというと苦痛です。
でも、呼び込みのお兄さん方が立つ桜木町という富山の繁華街の雰囲気は味わいました。
スナックを出てからはそれぞれに分散して、私はラーメン組、富山駅前のロータリーの屋台のラーメンを。
かつては京都の駅前などにも屋台のラーメンがありました。
味はもちろん違いますが、フルオープンの屋外のテーブルでラーメンをすするという懐かしい雰囲気を味わいました。

 

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能登半島地震 被災から951日め

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今日、この雑誌が送られてきました。
原発反対運動をしてきた付き合いで購読を続けている雑誌です。
あまり読むことがなくなっているのですが、今月号は、玉光順正という真宗大谷派の元教学研究所所長の講演録が掲載されていました。
死刑制度に反対する立場での講演で、前々から知りたいと思っていたテーマなので早速読みました。
私にはほとんど何がおっしゃりたいのか理解できませんでした。
死刑問題に取り組んでいる方々の集会での講演だったのでしょうか?
それなら私に理解できなくて当然です。
それにしてもよく思います。
この法話、聴衆は理解できているんだろうか?この話しから何が伝わっているんだろうか?と。
どうしてもっと伝えようとしないんだろう?どうして分かってもらおうとしないんだろう?と思います。
以前にも書いたと思いますが、ある偉い先生は、漢語でなければ哲学はできない、大和言葉では哲学は語れないとおっしゃいました。
だから、未だにお経は漢字のままなのでしょう。
でも、私は伝わらなければ意味がないと思います。
無学で、何も伝えることのできないお前が何を偉そうに・・・と言われそうですが・・・。
いくら勉強をしていないとはいえ、大谷大学を卒業し僧侶として生かさせていただいている私でさえ理解できない、そんな話しを一般にしてどれだけの人に伝わるのだろうと思います。
いくら正しくて立派な内容のことを語っても、伝わらなくてはそれはただの独り善がり、それでは仏法は廃れていくだけだと私は思います。
立派な先生だから、難しい言葉で難しい話しをする、それは違うと思います。
専門家の集まりでは、難しい言葉で専門的な話しがその場に相応しい話しだと思います。
しかし、素人を前にしたら素人のレベルに合わせた話ができる、それが本当に立派な先生だと私は思います。

 

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能登半島地震 被災から950日め

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今日から先輩のお寺の報恩講。
今日明日とお参りに伺います。
私にとっては今年初の報恩講、明日のお逮夜のお勤めをすると報恩講だなぁ!って気分になると思います。
明後日の土曜日は御満座なのですが、約束があって欠席させてもらいます。
代わりに長男がお参りさせてもらう予定ですが、長男はお手伝いというより練習をさせてもらうというのが正しいでしょう。
しかし、僧侶の役割はお荘厳、出仕させてもらうだけでもお役に立たせていただけると私は思います。

 

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今夜は正覚寺を会場にお通夜でした。
今回のお葬式をされる家の方々は生花や盛籠のお供えの名札にこだわられたようです。
強くこだわらなければ、仏前のお供えには名札を付けず、横の壁に名札を掲示させてもらっています。
今回は、それでは許せないとおっしゃられたようです。
私は、お花やお菓子、果物などをお供えしたのか、大きな名札をお供えしたのか分からないこういう習慣が好きではありません。
そもそもお供えをされた方は、生花や盛籠をお供えしたのでしょうか?名札をお供えしたのでしょうか?
どなたが何をお供えして下さったか喪主や遺族が分かればそれでいいのではないでしょうか?
名札を付けるなら邪魔にならないようにもっと小さくてもいいのではないでしょうか?
かんじんのお供えが隠れてしまうような大きな名札、ちょっと違うように私は思うのですが・・・。
1万円~2万円のお供えを大きな名札で披露するなら、数万円から数十万円の御香典はもっと大きな名札で披露しなければならないのではないでしょうか?

同じようなことは弔電にも思います。
弔電は、本来ならお参りに来なければならない方が、事情があって参列できないから代わりに遺族に送るもの。
従って遺族が分かればそれでいいもの。
それを参列者に披露する、それは不必要な行為だと私は思います。
お参りに来ない人の名前を紹介するなら、わざわざお参りに駆けつけて下さった方の名前を紹介しないのは失礼ではないでしょうか?

 

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能登半島地震 被災から949日め

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午後に2軒のお参り。
1軒目のお参りを終えたのですが、次の家の約束の時間には早すぎます。
で、天気が良かったので海岸へ。
こんな時期の平日の海岸には誰もいないだろうと思ったら、車の往来もあるし、多くの人。
私ばかりではありませんでした。

時間をつぶして次の家へ。
お婆さんが待っていて下さって、お花を買いに行きたいがそれもできない、お茶菓子を買いに行きたいがそれもできない、杖をつかなければ歩くこともできない・・・とおっしゃいます。
私は、一つ一つに、いいですよ、大丈夫・大丈夫、そんな心配しなくていいですよ、とお応えします。
お応えしながら、なんだか阿弥陀さんみたいだなぁ~、と思いました。
また、お婆さんがおっしゃいます。
お爺さんの体を起こしてあげることもできなくなった、テレビで介護が大変だと言っているのを見てきたが、自分が介護をしてみて、その大変さがよくわかったと。
さすがにこれにはいいよいいよ、大丈夫とは言えませんでした。
介護をされている方はみなさん同じことをおっしゃっています、とお応えしました。
病気のために寝たきり、介護が必要なお爺さんがいらっしゃるのです。

夜は女房らに手伝ってもらって報恩講の案内の封筒詰めをしました。 

 

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能登半島地震 被災から948日め

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昨日に続いて今日もお参りが休み。
今日は報恩講の案内を兼ねた「正覚寺復興便り№18」を作成。
午後、女房は月1回のお花のお稽古。
私は調子が悪いので、夕方まで留守番をしながら休ませてもらいました。
私は病弱だと思います。
風邪をひきやすく、ダルくて眠たいという体調の日が多い。
子供の頃から健康な人をうらやましく思ってきました。

中国の曇鸞大師は、健康な心身と長寿を得ようと、医学や薬学の大家から長寿の秘訣を学んだそうです。
その時、三蔵法師の菩提流支というインドから来た偉い僧侶に出会ったそうです。
菩提流支三蔵は、唾を吐き捨てて「何という愚かなことだ」とばかりに、曇鸞大師を叱りつけたそうです。
そして、『観無量寿経』を授けて、阿弥陀仏と「無量寿」(長さに関係のないいのち)について教えたのでした。
曇鸞大師は、この教えに触れられて、長生不老などというものは、愚かな欲望に過ぎないことに気づかれたそうです。
そして曇鸞大師は、大切にしておられた仙経(不老長寿の秘伝書)を惜しげもなく焼き捨ててしまわれたとのことです。
親鸞聖人は『正信偈』に、「三蔵流支授浄教焚焼仙経帰楽邦」、菩提流支三蔵が浄土の教えを授けられたので、曇鸞大師は、長生不老を教える仙経を焼き捨てて、楽邦、つまり阿弥陀仏の安楽浄土に往生する教えに帰依されることになられた、といわれています。

私は、なれるものなら丈夫な体になりたいと思います。
仙経(不老長寿の秘伝書)を焼き捨てることはできないと思います。 

 

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能登半島地震 被災から947日め

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今日はお参りが休み。
ご門徒への報恩講の御案内を作成するはずだったのですが、なんとなく風邪っぽいので1日ゴロゴロさせてもらいました。
お気に入りのCDを聞きながら、本を読んだり、インターネットで調べものをしたり・・・。
今、飽きもせずに繰り返し聞いているのは森川七月(もりかわなつき)というジャズシンガー、そしてもう一人は、その姉の森田葉月。
森川七月は、カレン・カーペンターのような声でお気に入りです。

 

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今日はこの本を読み終えました。
私は日本史で大学受験をしたのですが、何を勉強したのだろうと思います。
親しみやすいようにという配慮なのでしょうが、「・・・だよ」という話し言葉がちょっと気になりましたが、面白く読めました。
教科書だってそんなに厚くページが多いわけではないのですが、面白くスラスラとは読めません。
教科書だってもっと面白くてもいいんじゃないかと思いました。
この本、歴史用語ばかりではなく漢字の熟語にも意味の解説がされていて学生は国語の勉強にもなるし、読みやすい配慮だと思いました。
年号にも覚え方の解説も付いていますが、私は一つも覚えていません。
用語を覚えたり年号を覚えたり、学校の勉強って大変だな、と思いました。

 

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昨日の朝のテレビ番組に出演していた住宅会社の社長さんです。
中卒で就職して大工となり、19歳で会社を起こしたとのことでした。
時々思いますが、勉強って何なんだろう?知識って何なんだろう?学歴って何なんだろうって思いました。 

 

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能登半島地震 被災から946日め

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大学の願書が届く時期になりました。
長男や次男が受験した数年前は、願書は買うもの、書店などでも売っていました。
ところが今や願書は無料で送ってくる大学があります。
それも申し込まなくても。
少子化で大学も生き残りを掛けているので学生を集めるのに必死なのでしょう。
もちろん人気のある難関大の願書は有料です。

いよいよ3男の受験の本番が近づいてきました。
高校の授業料を滞納する生徒が増えているそうです。
生活費をアルバイトで稼ぐ高校生もいるようです。
我が家は、贅沢はさせられませんが、医療系の学部でなければ私立でも学費は出してやれそうです。
数ヶ月後には3男が家を出て行く、いよいよそういう歳になったんだと感じます。  

 

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能登半島地震 被災から945日め

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今日はなんと言っても夏川りみコンサート。
とってもよかった。
歌がうまい、それは当然だけど、まぁるい顔がかわいい。
そして何より人柄の良さが伝わってきました。
休憩なしで2時間余り、もうそんな時間?って感じでした。

で、コンサートが終った午後9時過ぎに晩ご飯。
もちろん居酒屋。
風邪ぎみで体調がイマイチなので、ちょっと控えめ、かな? 

 

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能登半島地震 被災から944日め

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今日は4週間ごとの痛風の診察日。
診察といっても、血圧を測って問診だけ。
もちろん痛みやハレなどの発作があればそんなわけにはいかないのでしょうが、おかげさまで発作はありません。
4週間前の血液検査の結果も良好。
実は、飲み会やらお付き合い、ご法事のお斎など飲む機会が多くなっているのでちょっと心配していたのですが、尿酸値はもちろん肝機能の値も正常値。
ただ、相変わらず中性脂肪の値だけが高く、先生も首をかしげます。

で、今夜は良ちゃん夫婦と前の居酒屋へ。
草刈りなど良ちゃんには奉仕をしてもらったのでお礼の意味と今後のために・・・。 bleah

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小さな庭の小さい秋。

 

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能登半島地震 被災から943日め

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今日もお参りが休み。
で、女房の買い物の運転手兼かばん持ち。
客人用のティーカップを買いに行ったのですが、その店はなくなっていました。
写真はエアーポット。
番茶などを入れて使っているものが古くなったので、お世話方から買い替えて欲しいと言われていたのです。
普通の家庭では主に電気ポットが使われているのでしょう。
エアーポットは、3Lの大きなサイズは在庫があるのですが、2.2Lサイズは1軒のホームセンターでは在庫がありません。
大きなホームセンターを2軒回って、見本の展示品も買ってきました。

 

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能登半島地震 被災から942日め

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今日はお参りのキャンセルがありお休み。
で、午前中は報恩講に向けて封筒の印刷。
これは御門徒の方々へ御案内と共に配布させていただく懇志用の封筒です。
この封筒を懇志の強要ととるか、ご門徒への親切ととるか、意見が分かれると思います。
この封筒の配布は私が始めたものではありません。
先代から受け継いだことです。
受け継いだ頃は、御志米を入れる袋だったのですが・・・。
数年前までは袋を配布するとお参りに来て下さる、そういう効果があったと思うのですが、この数年効果がなく、封筒の回収率が激減しました。
この封筒に続いて発送用の封筒の宛名の印刷もしました。

 

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本堂に掲示してあったポスター。
連載が終了したので、現在はプリンターの上に飾ってあります。
五木寛之は続編を書く予定はないのでしょうか?
とても待たれます。

 

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能登半島地震 被災から941日め

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今日は久々に休みでのんびりしました。

午前中、一昨日お葬式をされた方がお礼参りにおいでました。
この家は、能登半島地震で全壊となり、避難所から仮設住宅暮らしをされ、ようやく自宅を新築された方でした。
私は、公営の復興住宅へ入居されるのかと思っていました。
お前はそんな人からお布施を取ったのか?と思われるかもしれませんが、ご心配なく。
私が金額を決めたわけではありませんが、お布施はチョ~格安でした。
お礼参りの方が帰られた後、散髪に出かけました。

午後は、ジャズを聞きながら、本を読みながら、うつらうつらしました。
夕方は、真宗大谷派の地区の組織である組の事業である「真宗入門講座」の案内のハガキの製作・印刷・発送をしました。
明日から、報恩講の案内などの作成をしようと思います。

 

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能登半島地震 被災から940日め

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全壊となり更地になったお向かいの柿の木です。
柿の実がたくさん付いていますが、渋柿なのでしょうか?
あと2本、もう少し大きな柿の木がありますが、その一方にははしごが立てかけてあるので、そちらは柿の実を採られたのではないかと思います。
改築前の正覚寺の庭にもとても甘い実のなる柿の木がありました。
残念ながら工事の際に撤去されました。
どうも庭師さん的には柿の木は庭木に相応しくないようでした。

 

今日は1日、昨日のお葬式のお礼参りにおい出るのではないかと待ちました。
もちろん、ずっと何もせずに待ち続けるというのではなく、寺を留守にしないということで、私はお参りや買い物に出かけました。
かつては、午前中にお礼参りというのが常識化していたのですが、近頃は様子が違っていつおい出るか分かりません。
いつおい出るか分からない方を待つのもなかなか大変です。
結局今日はお出でになりませんでした。
ひょっとしたらこのまま待ってもお出でにならないのではないかと不安に思います。

先日法事をされた方は、数日待ってもお布施が届きませんでした。
このまま待ってもお布施をしなければならないと気づいていただけないと電話をさせてもらいました。
商売をされているので、請求書が届いたら支払うという習慣が身についてしまっているのではないかと思いました。

昨日のお葬式をされた方は、香典の受付・会計をされた方が支払いを全てすませてしまったと勘違いされているのではないかと不安に思っています。
かつては町内会長や長老がいて、葬儀を仕切っていろいろ助言や指導をしたのでこういう心配はほとんどすることがありませんでしたが、今はそうではありません。
明日、おい出るようでなければ電話をさせていただこうと思います。
お布施は、本来自発的な信仰心から下さるものですから請求すべきものではないと思います。
しかし、お布施だけではありません。
寺のお世話方を通じて発注しているものが多くあります。
その業者の方々への支払いもしなければなりません。
それに、寺は使用料などによって維持され、私たち寺族はお布施で生活をしているのですから、お布施をいただかなくては生きていけません。
こういうお布施に関することを含めて、御門徒の方々と寺との付き合い方が変化せざるをえないと思います。
お布施の金額を請求することはしませんが・・・。

 

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能登半島地震 被災から939日め

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境内の駐車場、駐車スペースにたばこの吸い殻。
たぶん、車に乗ってきた方が、車から降りて捨てたのでしょう。
車にも灰皿があるはずです。
そして、正覚寺本堂の入口にも灰皿が設置されています。
私も10年余り前までは超ヘビースモーカーでしたので喫煙者の気持ちはよくわかります。
しかし、どこでも喫煙が当たり前、街中たばこのポイ捨てだらけ、そういった時代ではありません。
公共の場での喫煙が制限され、喫煙マナーが常識化している今、未だにこういうことをする人がいることが残念です。
ちょっと吸い殻ぐらい・・・捨てた方はそういう軽い気持ちでしょう。
しかし、捨てられた側の私は嫌~な気持ちです。
捨てた人たちの顔は見えませんが、人は一人で生きているのではありません。
人と人はつながりあって、影響を与えあって、迷惑をかけあって生きているのです。

 

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夕方4時からのボサノバの蔵コンサートに行ってきました。
正覚寺のご門徒でもあり、同級生でもある方の家が能登半島地震で被災し、土蔵がボランティアにより再生され、その土蔵を会場にコンサートが行われています。
「能登ふるさと博」というイベントの一環で、能登の各地で蔵や寺を会場に落語やコンサートが行われています。
今井 亮太郎(ボサノバピアニスト)と 加々美 淳(ギタリスト)によるボサノバのコンサートは、昨年に続いて2度目でした。
ジャズ好きの私は、20人程度で満席になる蔵という場所で、ボサノバを堪能しました。
コンサートの中で、ブラジルでは兄弟で色の白い人と色の黒い人がいるなど、1軒の家の中で人種の違う人がいる、顔の色が違うことで差別が起こらない社会であること。
また、歌詞紹介で、身分に差はない、サンバ(ボサノバ)を歌えば皆平等・・・という内容が語られ、とても印象に残りました。
コンサート後は、厚かましく一緒にコンサートに行った友達の家へ上がりこんで、友達の手料理でワインを堪能しました。

 

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能登半島地震 被災から938日め

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今朝は横の通りが賑やかでした。
まずは道路工事、そしてシルバー人材センターのバザー。
工事は何の工事か分かりません。
バザーはなかなか盛況のようです。
便利な世の中になりましたが、人はこういうイベントが大好きですね。

 

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10月中旬とは思えない暖かさ、良い天気でした。
観光客のようについ写真を撮ってしまいました。

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輪島港です。
海とか山の景色っていいですよね。
輪島っていいところなんだけどな~、と思いながらこの景色を眺めていました。

 

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能登半島地震 被災から937日め

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昨日の正午頃、午後1時半からお経を上げて欲しいという電話があったそうです。
昨日の午後1時半からは、婦人聞法の会の追悼会。
で、今朝9時からのお参りとなりました。
どうも世の中の人たちは寺の住職というのはいつも暇そうにしていると思っているようです。

夕べは、午前0時過ぎに起こされました。
御門徒のお婆さんがなくなったので枕勤めをして欲しいとのこと。
久々に夜中のお参りでした。
眠い目をこすりながらお参りさせていただきました。
帰ってすぐに布団に入りましたが、すぐには眠れません。
で、寝不足。
24時間出動準備をしているわけではないので、深夜・早朝は辛いです。

 

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今日は満中陰法要がありました。
厳密に言うと35日でした。
お婆さんが亡くなって残されたお爺さんの様子がおかしいので早く勤めたいという遺族の方々の願いからです。
お参りに伺うとお爺さんの姿が見えません。
体の具合が悪く休んでおいでるのかと思っていたら、どうも朝から畑へ出かけてしまわれたようでした。
何日も前から御家族がお爺さんに言い聞かせていたようなのですが・・・。
こういう状態になられるお年寄りは時々いらっしゃいます。
お斎(昼食)の席で私の隣の座られた近所の方が、何度もお爺さんも連れてくればよかったのに・・・とおっしゃいます。
私は遺族には辛い言葉だと思って聞いていましたが、何度目かに奥さんがちょっとキレてしまいました。
当然だと思いました。
高齢者と共に住み、面倒を見ている家族の苦労を理解してあげなければなりません。
しかし、高齢者と共に暮らした経験のない人には理解できないことだとも思います。

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お斎でビールをいただきました。
寝不足もあったので帰って昼寝をしました。
すぐに夕方になりました。
お昼にお酒をいただくと1日損した気分になります。
まぁ、今日は寝不足だったので同じでしょうが・・・。

 

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能登半島地震 被災から936日め

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春以来草が出てこなくなっていました。
すっかり秋めいてきたので、このまま来春まで草が出てこないのかと思っていました。
ところが2~3日前から草が出てくるようになりました。
除草剤の効果が切れたのかもしれません。

 

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涼しくなってカメの食欲がなくなりました。
暑い夏の間は20粒でも30粒でも与えるだけ餌を食べていたのに、朝1粒夕方1粒になりました。
食後の薬のようです。

 

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今日の午後は婦人聞法の会の追悼会でした。
せっかく催すのですからもう少しお参り下されば・・・と思います。
この行事でも寺が置かれている現実を思い知った気がしました。

 

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夜は頼母子講でした。
日中はゴルフコンペでした。
私も一時ゴルフの付き合いをしたことがあるのですが、今はしません。
遊びのゴルフがストレス発散にならずにストレスになるので止めました。
この写真は狙ったわけではないのですが、妙なタイミングでした。

 

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能登半島地震 被災から935日め

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今日の午前中も、女房も私も明日の婦人聞法の会の追悼会の準備。
で、私は12時過ぎにはお参りに出かけなければなりません。
で、お昼は出前の店屋物。
私は、めん類はのびるので出来上がってから時間をおくのが大嫌い。
特にソバは早く食べなければ・・・と思います。
さらに、本当はしっかりとしたコシが味わえる冷たいソバが好物です。
でも、今日は冷やしタヌキを食べる気温ではありませんでした。
で、食べてすぐに出かけなければならないということもありましたが、ソバは早く食べなければならないと、女房や手伝いに来ていた友達を待たずに食べ始めました。
ソバが届いたのに仕事を中断できない、そんな時にめん類を注文してはいけません。
めん類を注文する時には、すぐに食べれる体制でいなければなりません。
めん類を前にして人を待つ、そんな遠慮・配慮はいりません。
私はそう思います。

 

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ソバをいただいて、金沢近郊までお参りに。
写真では分かりづらいですが、道路の両側はススキです。
測道には山菜採りと思われる車も止められています。
秋を感じながら走りました。

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かつては、金沢までお参りに出かけると、大型電気店、パソコンショップ、ホームセンター、書店、100均、釣りをしていた頃は釣具屋・・・お上りさんらしく時間いっぱいいろいろ回って帰りました。
輪島も便利になり、ヤマダ電機があり、ホームセンターもあり、100均もあり、大型書店もでき、それらのところは寄ることがなくなりました。
決まったように寄るのはここ、ケンタッキーで子供たちの土産を買います。
注文をしたらしばらく待たなければならないとのこと。
で、ホットコーヒーを飲みながら待つことにしました。
ベテランのお姉さんなら、ここでコーヒーがサービスになるところなのですが、今日は残念ながら宇多田ヒカルのような顔をした初めて見る若いお姉さんで、しっかり220円支払わされました。
その上、コーヒー代が100円になるクーポン券を持っていたのですが、残念ながら準備をしていなかったので使えませんでした。
他のクーポンはしっかり使ったのでちょっと残念でした。

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帰り道、4時すぎですが、もう夕暮れといった雰囲気。
10月も半ばとなり、ずいぶんと日が短くなったのを実感しました。

 

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帰って、暗くなるのを待って、昨日設置された外灯の明るさ、向きなどを確認しました。
下の写真の通り、境内地の隅まで足元を照らすには十分な明るさがあると思います。

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能登半島地震 被災から934日め

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朝7時すぎ、朝市かな?買い物をして帰ってきたお婆さんと出かけるお婆さん。

 

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午前中は、正覚寺本堂にて満中陰法要。
2軒の花屋さんがお供えの生花を届けに来ましたが、それぞれ商売の姿勢を見ました。
1軒の花屋さんは花はとても生き生きとしてきれいなのだけど、水をこぼしても知らん顔。
花はきれいでも・・・こんな人とは付き合いたくない。
2軒目の花屋さん、いつの間にか花を飾ってある、それも正覚寺の花台を使って。
ちょっと声をかけたらどうですか?
こちらの花屋さんの花、素人の私の目にも枯れかかった花がたくさん使われていました。
値段は分かりませんが・・・。
そして今日も人間模様を見せつけられました。

 

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駐車場が暗くて危ないというので街灯の設置を依頼していたのですが、今日その工事が行われました。
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2階の子供部屋の左右に設置されました。
器具は新品ではありません。
お世話方のお店で使っていたものを分けてもらいました。
これで少しは改善されると思います。

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明後日は正覚寺本堂で輪島婦人聞法の会の追悼法要が行われます。
荘厳をしました。
たった半日1座のことですが・・・。
明日の午前中でもいいかと思いましたが、やっぱり今日してよかった、明日なら慌てたかもしれません。
 

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夕方友達の鍼灸師さんに治療をしてもらいました。
どこか都合が悪いというのではありませんが、疲れると背中から首筋がこるので、辛い状態にならないように月に1~2回治療を受けています。
先月に引き続き今月も休みがないので・・・。
そのまま今夜は頼母子講に参加しました。

 

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能登半島地震 被災から933日め

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秋らしくなってきました。
この写真のどこが?
そうですよね、でも写真を撮った私は秋を感じていたのです。

今日は満中陰(49日)法要がありお斎(昼食)がありました。
お勤めは40~45分程度で長いお経ではありません。
納骨後2時間ほどのお斎、前にも書きましたがこれが疲れます。
ご馳走を食べることがどうして疲れる、と思われるでしょうが・・・。
お斎をいただく日が続けば、私は病気になると思います。
明日もお斎の予定があったのですが、役僧さんがご法事後よそのお寺のお葬式にお参りに行くこととなり、申し訳ありませんが私もそれに便乗してお斎をご勘弁願うことにしました。

明日も満中陰法要なのですが、他に今年は13回忌と27回忌(輪島は23回忌や27回忌を勤める習慣)のご法事に当たっています。
その家の方々は、お葬式の直後から満中陰に合わせて13回忌と27回忌の法要を勤めることを願い、私もその予定でした。
ところが今日になって13回忌と27回忌はキャンセルとなり、明日は満中陰だけを勤めることとなりました。
そんなことをするものではないと強く叱られたとのこと。
満中陰法要と年回忌法要を併修してはいけない、どうしてでしょうか?
他宗では、お葬式の際に新たな先祖を迎え入れてもらうために先祖代々の法事を勤めるという話しを聞いたことがあります。
お葬式と先祖代々の追悼法要をわざわざ併修するのに、満中陰と年忌法要を併修することが悪いなんて思えません。
もちろんそれぞれ命日に合わせて日を改めて勤めるのが丁寧だとは思いますが・・・。
それに、たとえ間違っていたとしても住職の私が勤めると言っているのに、それを強引に止めさせる、偉い人がいるものです。
ちなみに私は先日も50回忌と満中陰法要を合わせて勤めさせてもらいました。
50回忌と忌明けはいっしょには勤めないとおっしゃる住職さんがおいでるようですが・・・。

 

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能登半島地震 被災から932日め

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今日は私の同級生の家のご法事でした。
同級生はイオンに勤務しているのですが、9月から始められた葬儀をお世話する部署へ移動したとのこと。
イオンが葬儀の仕事を始めたことは知っていましたが、よもや同級生が担当しているとは思いませんでした。
急速に社会は変化していきます。
葬式のありようも急速に変化していくと思います。

 

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今日は長男の誕生日、それを理由、言い訳、ダシにして近所の焼肉屋へ。
昨日・今日と女房は庭掃除をしたので、その慰労会のつもりでしょう。
女房の言うがままです。
これが家庭円満、世界平和の秘訣です。 coldsweats01

 

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能登半島地震 被災から931日め

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携帯で撮った写真ということもあるので一段と分かりにくいでしょうが、白っぽく見える左の花瓶、右の鶴亀の燭台は磨いた後の仏具です。
少し赤っぽく見える真ん中の香炉は磨く前ですが、磨かなくてもきれいといえばきれいに見えます。
しかし、まだ大丈夫、まだ大丈夫とズボラしていると黒ずんで汚くなってしまうのです。
磨いた本人しか分からない違いでしかない自己満足だと思いますが、磨くとやっぱりきれいになります。

夕方の満中陰法要はお斎(食事)がありました。
隣の席の方と話しをしていると言われます、御文(蓮如上人のお手紙)には手を合わせないと。
親鸞聖人がこう言っているという話しや、蓮如上人の御文は心に響かないとおっしゃいます。
私はこう思うとか、このように信じているという言葉を発しなければ旧仏教は見捨てられていくとおっしゃいます。
500年、700年前に亡くなった方の言葉ではなく、今、目の前で衣を着ているあなたの言葉が聞きたい、そう言われます。
私には言い分けも反論もできませんでした。

 

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能登半島地震 被災から930日め

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朝7時すぎ、朝市へ出かけるのでしょう、お婆さんが正覚寺前を一輪車を押して行きます。
今朝もゴミ出しにやってきていたお向いのお父さんの写真を撮ろうと思ったのですが、元気に出掛けて行くこのお婆さんにシャッターを切りました。
田んぼや畑をする農家が激減しています。
いつまでこういう姿を見ることができるんでしょうね。

 

20091009_004  
今日は輪島市戦没者追悼法要。
輪島市仏教会がお参りさせていただくのですが、導師を初めお勤めの中心は今年は曹洞宗(禅宗)が当番。
私たち真宗大谷派の僧侶は荘厳(お飾り)としてお参りさせていただきました。
10年ほど前、蓮如上人500回御遠忌が勤められ、親戚の各寺院で音楽法要が勤められました。
私たち僧侶は内陣に出仕をし、合唱団の歌に合わせて作法をします。
いつもは勤行をして作法をする私たち僧侶が、声を出さずに作法だけします。
その時教えられました、僧侶は荘厳であると。
それまで私は、僧侶の仕事・役割は勤行・声明(読経・お勤め)だと思っていました。
しかし、そうではないことを教えられました。
僧侶の役割は荘厳(お飾り)だったのです。
今日の追悼法要には、真宗大谷派のほか、曹洞宗、真言宗、日蓮宗の方々が集いました。
輪島にはそれ以外の宗派のお寺はありません。
それにしても参列者が激減、寂しい追悼法要でした。
戦後六十数年経っているのですから当然かもしれません。
こちらもいつまで続けられるのだろうと思います。

 

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能登半島地震 被災から929日め

Typhc  
台風の進路が若干南というか東側にズレました。
そのおかげもあったのでしょう、輪島は暴風圏から外れました。
それでも大型の台風、未明から強い風。
私たちが住まいにしている住宅の横の南北の道路は風の通り道でもあり、風の音で目が覚めてぐっすり眠ることはできませんでした。
でも、このくらいなら冬の低気圧でもあると思いました。

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朝起きてテレビで確認したらサンダーバードは運休、関係ありませんが、東京の山の手線も運休だということでした。
講師の先生は京都で足止めされてとても輪島へは来られないと思いました。
講師不在の対策を相談しようかと思いましたが、一応講師にも講演会中止の了解をえようと電話をしました。
すると金沢のホテルにいるとのことで、どういうことだろうと思ったら、湖西線が不通になると予想し、夕べの最終のサンダーバードで金沢まで戻ったとのことでした。
しかし午前中はJRの普通電車も運休、私は10時からお葬式があるので金沢までは迎えに行けません。
何か手だてはないかと考えていたら、運休だと決めつけていた特急バスは運行しているとのこと。
無事輪島まで来ていただけました。
講題は「遺言」、自分の人生でもっとも大切なものを言い残す、伝えるという大きな仕事が残っているというお話しでした。
私の人生で、後に伝えるような価値のあることがあるだろうかと考えさせられました。

Haka  
女房が、輪島市の広報と共に配布された「輪島市社協だより」に私の写真が掲載されていると言います。
何かと思ったら、お盆を前に老人会が清掃奉仕をした無縁墓のお参りをさせていただいた際の写真でした。
奉仕活動をした老人会の方々より私が主役のようで申し訳ない写真でした。

 

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能登半島地震 被災から928日め

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震災で全壊となったお向かいです。
川向こうの奥さんの実家で生活をされているようです。
それでもほとんど毎朝、ご主人が通ってこられます。
今朝は資源ゴミの収集日なので資源ゴミを出しに来られたようです。
生まれてから暮らしてきたこの土地に愛着があるのでしょう。

今日の昼過ぎ、51年ぶりという方が訪ねてこられました。
51年前、能登半島を自転車旅行された際正覚寺に泊まられた方で、震災後新聞記事を見てお見舞いを送っていただいた方です。
51年前の旅行のアルバムを持参されていましたが、驚いたことに正覚寺の前に女房の実家の光琳寺に泊まっておられました。
縁というのは不思議なものです。
正覚寺の本堂をご覧になり、想像していたより立派だと何度も言われました。

 

Typhc  
台風は、明日の午前11時頃に輪島に最接近するとの予想。
そこで、明日の仏教講演会、講師は七尾という輪島から60Kmほどの距離の町の方なのですが、日展の書家で毎週水曜日には京都・奈良へ通われます。
で、今日はその水曜日。
したがって、明朝京都からサンダーバードで輪島の講演会に直行して下さるはずでした。
どうも今のところ明朝のサンダーバードは運休とのニュース。
明日の講演会は絶望的です。
予定通りにはものごとは進みません。

 

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能登半島地震 被災から927日め

Chiri 
この本を読み終えました。
「マンガみたいにおもしろい!」がキャッチコピーですが、マンガみたいとは言えませんが読みやすい本でした。
今でも47都道府県は言えると思います。
県庁所在地はちょっと怪しくなっているかもしれません。
こういう本を読むとその土地へ行って見たくなります。
ゆっくり旅行をしたいものです。

 

Kakudai72
台風の進路が日本列島を直撃するようになりました。
明後日は八日講という輪島市街地にある真宗大谷派7ヶ寺の仏教講演会があります。
台風に直撃されては台なしです。
台風といえば、平成3年の台風19号は忘れることのできない台風です。
怪獣映画を見ているような被害でした。
輪島は最大瞬間風速57.3メートルでしたが、輪島測候所の風速計が破損してしまったためそれ以上だったのではないかとも言われました。
正覚寺はガレージのシャッターが破損して中の車が傷だらけになったこと、本堂などの瓦が飛ばされたことなどの被害がありました。
それでも建物の築年数や規模からすれば小さな被害だと思いました。

 

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今夜はこのドラマを視ました。
痴漢・冤罪をテーマにしたドラマです。
番組の冒頭で日本の裁判官の数が外国に比べて極端に少ないこと、さらに検事、弁護士の数も極端に少ないことが示されました。
判事も検事も弁護士も多くの裁判を抱えて次々と事件を消化しなければなりません。
この人が犯人と言われて警察に逮捕されたらトコロテン式に犯罪者にされてしまうのだと思いました。
いつ、誰が犯人になってもおかしくないと思いました。

 

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能登半島地震 被災から926日め

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報恩講まで1ヶ月あまり、少々早いですがお道具磨きを始めました。
今月15日に婦人聞法の会の追悼会の宿寺をお引き受けしたので、それまでにできるだけ・・・という思いもあります。
震災前は、お世話方にお願いして磨いていただいていました。
去年の秋は工事中だったので私が一人で少しずつ磨きました。
震災をきっかけに、本堂が小さくなって荘厳(お飾り)する仏具が少なくなったので、今年5月の落慶法要時も私一人で磨きました。
で、今回も私一人で磨くことにしました。
ご門徒の方に手伝っていただく、それも大切なことかと思いますが・・・。

 

先日、正覚寺でお葬式をされた方、喪主はじめ家族の方々のすまいは首都圏でした。
支払いは銀行振り込みとのことで、先週の木曜(1日)か金曜(2日)に振り込んでくださるという約束だったそうです。
ちなみに現金なら10月30日にしか支払えないとのことだったそうです。
週明けの今日、確認しましたが振込みはありません。
納入品の支払いをしていないので、業者の方から正覚寺へ問い合わせがあったようです。
輪島ではお葬式の支払いは、お葬式当日か翌日に現金というのが常識です。
お葬式から1週間になるので業者の方も不安に思われているのでしょう。
申し訳ありません。
お世話方から喪主の方に電話をしていただいたところ明日・明後日中に振り込んでくださるとのこと、間違いなくお願いします。
それにしても、正覚寺でそんなに多くのお葬式をしたわけではないのですが、経費の支払いを待つのはこれで3軒目です。
これも世の中の変化の現れなのかもしれません。
旧本堂の時にはお葬式の会場として建物をお貸しするだけだったのですが、新本堂になってからは御門徒の方々にお葬式のお世話をしてもらうようになりました。
お葬式を通していろいろなものを見せてもらうようになりました。

 

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能登半島地震 被災から925日め

20091004_001 
カイドウらしいです。
前にも書いたと思いますが、ヒメリンゴと聞かされていたのですが・・・。
これも一昨年書いたと思いますが、食べてみましたがおいしいものではありません。

20091004_002

 

今日は午後に百ヶ日、そして納骨のお参りがありました。
納骨とのお約束だったので分骨した頭骨の納骨だと思っていたら、伺うと大きなお骨箱もそのまま家でお守りされていたのでした。

それにしても今日も眠い。
お参り以外はリクライニングチェアでうつらうつらしながら本を読んですごしました。
夜も風呂に入ってネットしながらテレビでも観てゆっくりしようと思っていたら電話。
ご門徒の方が亡くなられたとのことです。

枕勤めに伺うと、遺族の方々が軽いパニックっというか、興奮状態というか、テンションが高くなっていました。
突然死されたのかと思いましたが、3ヶ月入院されていたとのこと。
十分心の準備ができていなかったのかとも思いますが、大切な親を失ったのですから無理からぬことかもしれません。
私が伺うとすでに会場も日程も決められていました。
会場はセレモニーホールでした。
日程は、明々後日7日がお通夜、4日後の8日がお葬式でした。
セレモニーホールの空き状況と7日が友引なのでこういう日程になったのだと思います。
私と相談して下さるか、正覚寺を会場に・・・と考えて下されば違う選択もあったのではないかと思いますが・・・。
改めて相談しなおすという雰囲気ではなかったのでそのまま帰ってきました。
私と相談してみる、正覚寺を会場に使う、そういうことが思い浮かべていただけなかったことを残念に思い、反省しました。
そして、家族を亡くしてパニック状態、ここに葬儀屋さんが商売をする環境があるんだと思いました。
お葬式後、あの時もう少し落ち着いて考えれば良かったと後悔される、そういうことが起こりうる、そういう現場に立ち会ったと思いました。

 

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能登半島地震 被災から924日め

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今日もお参りは休み、昼食後は眠くてたまらず昼寝などなどで過しました。
夕方から真宗入門講座、スタッフとして参加させていただきました。
座談会の司会・座長をさせていただきましたが、私は話を聞き出すのがへた、どうも座談会は苦手です。
座談会が質疑応答になってしまいました。

 

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持蓮華という仏具です。
震災のどさくさで紛失してしまいました。
で、新調しました。
数十万円するものが多いのですが、廉価品で勘弁してもらうことにしました。
このブログを読んだ方以外は廉価品だとは分からないと思います。
昨日のブログと矛盾しますが・・・。

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能登半島地震 被災から923日め

0907_7_633 
本願寺展に行ってきました。
私はこういう行事には期待しない方です。
というのも、一級の資料を見ても無学な私には理解できないからです。
でも今回は行って良かった、そう思いました。

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安城の御影、この一点を見せていただいただけで十分来て良かったと思いました。
古い物なのでもっと煤けて絵がはっきり分からないのではないかと想像していたのですが、とてもきれいなのに驚きました。

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国宝『三十六人家集』、これも驚きでした。
現代の技術で作られた新品だと思うほどきれいでした。

夕べの落語もテレビでは伝わらない生ならではの面白さを味わいました。
今日の本願寺展でも生・本物を堪能しました。
売店で十数万円から四十数万円で絵像のコピーの軸の予約受付をしていましたが、欲しいとは思いませんでした。
現代の技術を駆使してもコピーはコピーでした。
本物を見た後では違いは歴然としていました。

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能登半島地震 被災から922日め

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今日・明日と休み。
しばらくどこへも出かけていないので、1泊2日のささやかな小旅行。
大江戸温泉温泉物語・山代温泉・山下家

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この温泉旅館には、「ほのぼの亭」という常設の落語寄席があります。
今日は、笑福亭瓶吾と笑福亭風喬という二人が出演していました。
お客さんの入りが少なくて二人の芸人さんには気の毒でしたが、午後5時半と7時45分2回の寄席を楽しませてもらいました。
もちろん2回の寄席の間にはしっかりバイキングで生ビールと焼酎をいただきました。

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