« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »

2010年1月

能登半島地震 被災から1044日め

003 
今夜はお通夜でした。
この家も正覚寺のご門徒ではありません。
今朝の新聞によるとセレモニーホールが埋まっていましたから、それで正覚寺を会場にされたのだろうと思います。

今日の午前中、昨日のお葬式の方がお礼においでました。
阿弥陀さま(ご本尊)の足下に遺体(お棺)を置いていただきありがたかったと言われ、その言葉を住職としてはとてもありがたく受け取らせていただきました。
お父さんは、畑の土手の草刈りをしていて、その土手に寄りかかって亡くなっていたそうです。
若い頃はいろいろ苦労をされたお父さんだったそうですが、退職後は好きなことをして過ごされたそうです。
その最後も、苦しんだ様子もなく、大切に守ってきた畑で亡くなり幸せだったのではないかと思うという遺族の方の言葉。
私も、長生きが幸せだとは限らないというようなお話をさせていただきました。

008   

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1043日め

002 
今日はお葬式でした。
このお葬式の方は山へ出かけて亡くなり、警察の検死を受けて、警察でお棺に入れられました。
そのせいだと思いますが、初めて納棺師をお世話(紹介)させてもらいました。
葬祭用品の問屋さんから紹介された業者でした。
遺族の方たちにはその仕事は大変喜んでいただいたようです。
しかし、今日になって問題が起こりました。
請求の連絡があったのですが、当初の約束の倍の金額だったのです。
警察の検死後何も遺体の処置がされていなかったので追加・割増料金が発生したということでした。
でも、なぜ遺体の状態を見た時に割増・追加料金が発生するという説明をしなかったのでしょうか?
それに手渡したはずの通行料金が請求されています。
どうもその当たりのことがいい加減でいかがわしいと思いました。
お世話方と相談し、この業者の紹介は取りやめることにしました。
「おくりびと」、皆が映画のような人ではありません。

 

005
007
型枠を外す作業が行われました。
次の工程は何が行われるのでしょうか?
ちょっと楽しみ。  

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1042日め

Tiz_0342_large 
今年は3男が受験。
1週間に1校のペースで金沢まで試験に通っています。
土日は長男が送迎をするのですが、平日はそうはいきません。
で、今日は私が送迎をしました。

試験の時間中、時間つぶしに映画を観ました。
「今度は愛妻家」
売れっ子カメラマンだった夫が、今は仕事もせずに浮気を繰り返すぐうたら亭主。
その夫をかいがいしく世話をするちょっとおっちょこちょいで健康オタクの女房。
前半はそんな夫婦の倦怠期をコミカルでコメディータッチなドラマとして楽しみました。
ところがそれは、事故でなくなった妻を忘れることのできない夫のドラマでした。
妻を亡くしたという現実を受け入れることのできない夫のドラマでした。
妻を大切にしておけば良かった・・・そういう後悔と共に。
大切なものは失ってみて初めてその値打ちが分かる、そして人はなかなか現実を受け入れ難い、そんなことを考えさせられました。

今夜は他寺の御門徒のお通夜の会場にお貸ししていました。
お通夜は長男にお参りしてもらいました。  

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1041日め

002 
夕べ11時半頃に長男に電話。
29・30日の日程でお葬式の会場に使わせてほしいとのこと。
空いていたのでお引き受けしました。
で、今朝8時から打ち合わせ。
の約束でしたが、8時を過ぎても遺族の方がおいでません。
電話をすると慌てておいでて打ち合わせ。
自分から指定した約束の時間は守ってほしいですね。
聞けば、お爺さんが山へ出かけて、途中で倒れて亡くなっておられたとのこと。
警察の検死を受けられたそうです。
警察からの遺体の搬送をセレモニーホールを経営する業者が行ったそうです。
そのままセレモニーホールを利用せずに正覚寺へ。
近親者がお世話方のお友達で、その方が先日行われた正覚寺のお葬式にお参りに来られていたそうです。
それにしてもお葬式をされる家は、正覚寺から離れたご門徒が1軒もない地域の方。
お爺さんの急死という状況の中で、よく正覚寺を思いついて下さったと思います。  

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1040日め

004 
今日はコンクリートの打ち込み作業が行われました。

 

012
小さな工事だと思うのですが、ほぼ1日作業が行われたようでした。
1月下旬にしては穏やかな天候で良かったと思います。
建設会社の方も天候を見て仕事をされているのでしょうが・・・。  

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1039日め

003_2 
今日は歯の治療には医者へ。
年末にも別な歯の治療をしたばかり。
震災以降やたらと歯が痛みます。
歯医者さんによれば歯ぎしりをしているとのこと。
ストレスという自覚はないのですが・・・。

 

005
今日の昼食。
右の器は夕べの一次会の締めのミニどんぶり。
早く帰られた方の分もいただいて二人分をお持ち帰り。
で、左のコミックの下にはカップ麺。
女房も同じメニュー。
夫婦二人だけだと手抜き・簡略。  

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1038日め

001 
今日は午後に1軒のお参り、そして夕方から組会。
組というのは真宗大谷派の地域の組織。
輪島地区の真宗大谷派寺院の組合のようなものです。
その新年総会でした。
新年と言っても年度が変わったわけではありません。
真宗大谷派の年度は、7月1日から6月30日。
4時から6時頃まで会議、その後懇親会。
2次会、3次会。
私はここまで。
4次会組の誘いを振り切って帰ってきました。 good  

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1037日め

006 
今日は午前9時からお葬式、11時から満中陰法要、午後2時から祥月命日、6時から中陰(3七日)、そんな1日でした。
お葬式の方たちはお葬式後のスケジュールはすべて自宅、つまり正午頃と思われる還骨・初七日勤行、そしてお斎(昼食)は自宅という予定でした。
今朝になって予定変更。
還骨・初七日勤行もお斎(昼食)も正覚寺でされるということ。
急遽、準備をさせていただきました。
でも、住職としてはありがたい予定変更でした。
夕べからのお通夜で居心地が悪かったら、予定通り出棺後自宅へ帰られたのだろうと思います。
居心地が良かったから・・・、勝手にそう判断させていただきました。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1036日め

003 
今日は満中陰法要でした。
故人は謡(うたい)をされていたそうで、故人の連れ合いのお婆さんの希望で、役僧さんがお斎の初めに「鞍馬天狗」という曲を謡われました。
続いて、親戚の方(この方も正覚寺のご門徒)が、恩徳讃という親鸞聖人の詩に曲をつけたものなどを尺八で演奏されました。
この方の「親鸞様」という歌でお斎が締められました。
こういう法事もあってもいいかと思いました。

 

007
今夜はお通夜でした。
セレモニーホールに先約があったので正覚寺へ来られたようでした。
他門徒の方に正覚寺という名前が出るようになったということ。
ありがたいことだと思いました。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1035日め

001  002  
風雪・波浪・雷注意報が出される予報でしたが、穏やかな1日でした。
最高気温は5℃という予報より低いようでしたが・・・。
午前中は街中のご門徒のお取越し・報恩講のお参り。
午後は町外れのご門徒の月忌のお参り。
夜9時過ぎに電話が鳴ります。
9時過ぎてから電話が鳴ると、枕勤めかとゾッとします。
ご門徒の枕勤めではありませんでしたが、お葬式の電話でした。
余所のお寺のご門徒の方がお葬式の会場に貸してほしいとのことでした。
たぶんセレモニーホールの予約が埋まっていたので正覚寺に問い合わせがあったのだろうと思います。
最初は24日10時のお葬式という連絡でした。
しばらくしてから9時という訂正の電話がありました。
火葬場との打ち合わせの勘違いがこういう間違いを生み出すのだと思います。
火葬場(市役所)は出棺・火葬の時間で受け付けます。
お葬式をされる方はお葬式の時間を申し込みます。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1034日め

005 
今日は数え100歳のお婆さんのお葬式でした。
喪主の方がおっしゃいます。
セレモニーホールの祭壇と比較にならないと、立派な荘厳に囲まれてお婆さんはお浄土へ上がっていったと言われます。
住職にとってはとてもありがたいお言葉でした。

 

001 
今日はこれを掲示しました。
こういう文書を香典のお返しと一緒に配布したり、葬儀会場に掲示したり、近頃の流行です。
こういうことをしても、単なる自己満足で意味がないと思うのですが・・・。

 

008_2
2~3日暖かくて雨が降ったので雪がすっかり融けました。

 

007
今日の午前中も作業が行われていました。
正午からお葬式だったので気を遣われたのでしょうか? 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1033日め

004 
夕べ遅く午前0時頃にご門徒のお婆さんが亡くなったとの連絡があり、今日、お通夜が行われることになりました。
今朝のゴミ出しの折に境内で、女房、お世話方、私の3者会談。
お世話方の除雪を手配しようかという提案に、私は今日は暖かいという予報だから雪は融けるだろうと意見。
しかし、女房は除雪をした方がいいという意見。
結局2対1で除雪を依頼することになりました。

 

005
今日から左官屋さんが鐘楼の基礎工事。
型枠が組まれたようです。

 

008
看板が付け替えられました。
「鐘楼堂」の「楼」の寺が桜に間違っていたそうです。
私は全く気付いていませんでした。 coldsweats01

今夜は、ご門徒のお婆さんのお通夜でした。
喪主の方が私に何度もおっしゃいます、婆ちゃんがお寺が立派に再建されて喜んでいるだろうと。
大変うれしい言葉でした。
おかげさまで、と頭を下げさせていただきました。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1032日め

004 
午前中、少しだけ除雪作業。
午後、習字のお稽古があるためです。

 

007
晴れた天気の中で今日もはつり工事が行われました。

 

010
工事の看板が設置されました。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1031日め

001 
今日は雨だれが落ちる気温、積雪もかなり融けました。

 

011 
外から工事の音が聞こえます。
何の工事だろうと思っていたら、正覚寺の工事でした。
そういえば18日から工事にかかると聞いていたのでした。 coldsweats01
鐘楼の土台のコンクリートをはつる工事が行われました。
少し暖かいとはいえ雪の中、ご苦労様です。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1030日め

Tr20090121701_2  Pk2010010602100066_size4_3
寒に入ると外からチリチリと鈴の音が聞こえます。
寒修行・寒行托鉢が行われているのです。
曹洞宗の僧侶の方々が托鉢に回られているのでしょう。
時にはうちわ太鼓も聞こえます。
日蓮宗の方だと思います。
寒行托鉢の音を聞くと、寒い中を偉いなぁと思います。
そして思います、浄土真宗で良かったと。
浄土真宗でも本山の許可を得て托鉢をすることは可能ですが、私の周囲にはそういう方はおいでません。
寒がりで風邪に弱い私にはとても寒修行はできません。
今日はお参りが休みでした。
一日中コタツにこもって過ごしました。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1029日め

002 
今日は満中陰法要。
三十五日頃に引き上げて勤める方が多い中で、年末・年始があったので、今日が49日目。
まさに満中陰でした。
お勤めを終えてお斎を待つホテルのロビーからの風景です。
久々に明るい日差しの景色でした。

 

003 004  
私が苦手なお斎です。
どうぞと勧められた時だけコップのビールを飲むのですが、なぜか昼のアルコールは堪えます。
1時間ほど経った頃からただただガマンです。
お漬け物、お汁、ご飯が出されて、最後のデザートがお開きの合図です。
今日は2時間ほどお斎にお付き合いさせてもらいました。
疲れました。

 

008
今夜は昼のお斎と同じホテルで町内の新年会。
昼にお斎の予定があったので、欠席しようかと思ったのですが、明日の日曜日が休みだったので参加しました。
お昼のお斎から帰って2時間ほど家で休んで、再びホテルへ戻りました。
写真は2次会です。
さすがに3次会は勘弁してもらって帰ってきました。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1028日め

001 
昨日のニュースで雪の山は越えたという報道でしたが、その後も降り積もりました。

 

002
今日はご門徒のお葬式でした。
雪のせいでしょう、参列者の集まりが遅かったのですが、正覚寺本堂でちょうど良い参列者数でした。
良いお葬式がお勤めできたのではないかと思います。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1027日め

001 
今朝の境内の駐車場風景。

 

004
僧侶控え室から裏庭の景色。
数年ぶりと思える真冬らしい雪景色です。

 

005
今日はお葬式でした。
90歳の方が住職です。
お勤めの声はしっかりされていますが、足下・動作は90歳です。
この方はいつまで住職をさせられなければならないのだろう?と思いました。

 

006
続いて今夜は正覚寺のご門徒のお通夜でした。

 

007
中陰、輪島では七日勤めと言いますが、その一覧表です。
七日勤めと言いますが、輪島では6日目のお逮夜に勤めることが習慣となっています。
ほとんどの家が午後七時から勤めます。
これがなかなか僧侶にとっては負担になります。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1026日め

001 
物置兼スタッフルームです。
板張りだったので冬は寒い、足が冷たい。
で、タイルカーペット張りにしてもらえるように依頼してあったのですが、今日の午前中、内装屋さんが施工して下さいました。
足の冷たさが全く違います。
もっと早くしてあげれば良かったと思いました。

夕べから暴風雪警報が発令されていました。
午前1時半頃、風の音で目が覚めます。
輪島の冬は台風並みの風が吹くことは珍しくありませんし、風には慣れているはずなのですが、すごい風の音で眠らせてもらえませんでした。
午前中は雪が舞っていましたが、地面で融けていたので積もる様子がありませんでした。
ところが正午頃に雷が鳴るとそれから激しい雪、あっという間に世界が白くなりました。
予報の降水量は少なかったのでそんなに積もらないだろうと思っていたのですが、降り止みません。
夕方には大雪警報発令。
お葬式のお手伝いに土建屋さんが来られたので、ちょうどいいと除雪をお願いしたのですが、残念ながら重機が出払ってしまって都合がつきません。
しかたなく、積もるままお通夜。
今後は除雪の段取りをしておかなければなりませんね。

002 

明日はお葬式、そして夕べ亡くなられたご門徒の方のお通夜。
これ以上雪が降り積もらないことを祈るのみです。 

 

次へ 震災トップへ

 

能登半島地震 被災から1025日め

001 
昨夕に正覚寺でのお葬式について聞きに来られた方から、夕べ遅くに電話がありました。
危篤だったお婆さんが亡くなられたということで、正覚寺でお葬式をされるそうです。
住所を聞くと昨日のお葬式の遺族の方と同じ町内。
お参りに来られていたのか、正覚寺でのお葬式の様子を聞かれたのだと思いました。

今日は、簡略ですが、鐘楼の起工式を行いました。
現場は来週から着工の予定です。

今夜は、頼母子講でした。
1月ということで新年会、2次会が準備されました。
そこで、女房から電話。
ご門徒のお婆さんが亡くなられたとのこと。
私はすっかり酔っぱらってしまっていたので役僧さんに枕勤めをお願いしました。
会場や日程は未定とのこと。
寺のことが頭にあれば、亡くなられたというお知らせの電話の時に寺の都合を聞かれることが多いのですが、決まっていないという返事だったので遺族にそういう考えはないように感じました。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1024日め

001 
僧侶控え室のテーブル上。
菓子器に飴、意外と好評です。

夕方、正覚寺を会場にお葬式をする際の説明を聞きに来られた方がありました。
お婆さんが入院中で覚悟をするようにと言われているそうです。
香典などのお金を預かる受付以外のお手伝いはさせてもらえると伝えると安心されたようでした。
過疎高齢化で町内会、友人・知人、親戚を頼ってのお葬式が成り立たなくなってしまいました。
その節にはよろしくお願いします、とおっしゃるので、こういうことはない方がいいんですけどね、とお応えすると、そうなんですけど、どうしようもないですしね、とのこと。
なければいい、死なんて誰もが避けたいことですが、誰にも避けることのできないことでもあります。
お婆さんの末期を御縁に死と向き合う、それがお婆さんの生命を尊重したあり方だと思います。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1023日め

001 
今日は隣寺のご門徒のお葬式。
これは出棺の準備が整うのを待つお棺です。

 

002 
今夜は川向こうのお寺のご門徒のお通夜。
お葬式を通していろいろな人生を見せてもらいます。
いろいろな人生の裏側も見せてもらいます。
いろいろな人の別れの場面に立ち会わせてもらいます。
いろいろな人を送る場面に同席させてもらいます。
一人一人の人の人生の最後、大切な人との別れ、それぞれ大切にしてあげたいと思います。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1022日め

001 
今日は町外れの村のお取り越し・報恩講でした。
午前中に5軒お参りさせていただきました。
そして夜は隣寺のご門徒のお通夜。
写真は、輪島で使われているお骨箱です。
輪島では骨壺は使いません。
白木の箱の中に直接遺骨を納めます。
お骨箱の上に乗っているのは分骨用の入れ物です。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1020日め

002 
今日お参りに伺った家は、90歳を過ぎたお婆さんの一人暮らし。
毎月私がお参りに伺うのを待っていて下さいます。
今日はお経の途中から何かを一生懸命に探されます。
お布施を探されているだと分かりました。
お婆さん、そんなに探さなくていいから・・・と思うのですが、お婆さんはちゃんと準備したという意識があるのでしょう、お勤めが終わってからも一生懸命に家中を探します。
「探すのをやめた時 見つかる事もよくある話で」(井上陽水「夢の中へ」)という歌詞のように、お婆さんが探すのを諦めたら目の前から封筒が見つかりました。
まだまだしっかりしていらっしゃるしお元気ですが、それでも何となく弱られたように感じ、ちょっと心配になります。
東京に二人、大阪に一人、金沢に一人、4人の息子さんがおいでて年末年始にそれぞれ様子を見に来られたようです。
10日過ぎには東京から長男の方が来られるようです。
それを聞いて少し安心をして帰ってきました。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1019日め

Photo 
風邪で体調が悪いので初めは行かないと言っていたのですが、女房の押しに負けて出かけました。
私も「安城の御影」が見たかったのと今朝は体調が良かったこともありますが。
出かけてみたら、やっぱりダルい眠い。
でも、見に行って良かったと思いました。
安城の御影、親鸞聖人の御消息(お手紙)、円山応挙、そして阿弥陀如来像・・・。
ただ、襖絵や衝立が大きく、当然絵も大きい、デパートの狭い展示空間では無理がありました。
できれば、昨秋の本願寺展のように博物館で行うべきだと思いました。

 

年末、お参りに伺ったご門徒の方がおっしゃいます。
窓口業務で来客の応対をする仕事をしていたのだけど、退職したら人に会うのが嫌になった。
知り合いに出会って挨拶をするのが面倒くさいので買い物にも行くのもおっくうだと。
今日出かけてみてそのことを思い出しました。
ここで知り合いに出会いたくないなぁ!面倒くさいなぁ、と。
親戚を見かけたのですが、うどん屋の内と外で、相手が気付く状況ではなく、声を掛けられる状況ではありませんでした。
他にも知り合いに出会いましたが、会釈をする程度の知り合いでした。

 

展覧会のあとは女房との約束の買い物タイム1時間。
私は、書店とCDショップで時間つぶしをする予定でしたが、今じゃデパートにはCDショップはありませんでした。
コーヒーショップと書店で時間をつぶしました。
先日始まった大河ドラマ『龍馬伝』、龍馬がらみの本が多くさすがと思いました。
体調が良ければ読んでみたい本があったのですが、そういう気力がありませんでした。
気力が回復したら・・・。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1018日め

今日はお葬式でした。
会場は、セレモニーホール。
ホールの座席の3分の1ほどの参列者。
親戚の少ないご家庭のようです。
ホールへの支払い・経費がもったいない、近頃はついそんなことを考えてしまいます。
正覚寺のスタッフさんなら・・・、ついそんな比較もしてしまいます。

 

001_2 002  
還骨(お骨上げ)、初七日のお参りを終えてから、いただいた年賀状に目を通しました。
表書きはあるものの裏書きのない年賀状、郵便局から?っと思いましたが、郵便局がわざわざ各家庭宛に宛名を印刷するはずがありませんよね。
白ヤギと黒ヤギの手紙は、受け取ったヤギさんが手紙を食べてしまったために内容がわからなくなってしまったのですが、ハガキを食べてしまったわけではありませんが、これでは誰からいただいたハガキかもわかりません。
しかし、誰からのハガキかはわかりませんが、このハガキが届いたことは無意味ではありません。
このハガキはくじ付きです。
ひょっとしたら当たりかもしれません。 coldsweats01  

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1017日め

001  
風邪で頭がボーッとしていますが、今日からお参り再開。
世の中も仕事始めですしね。
午前中祥月命日のお宅へ2軒。
祥月命日と併せてお取越・報恩講を勤めるので1時間刻みではちょっときついかも。
私はゆとりのない日程は好きではありません。
出かける前から1軒目の家から早く帰ることばかり考えてしまいます。
ですから当然、1軒目の家には約束の時間より早めに着くように出かけます。
1軒目の家のお爺さんは病気で足が不自由になり、居間から仏間までの移動に時間がかかります。
11月末の祥月命日のお参りの際には、準備ができてからもお爺さんが仏間においでるまで待ちました。
今日は待ってあげられませんでした。
お経を上げ始めているからお爺さん来てね。
お勤めを終えて振り向くと、その家のご夫婦の後ろに近所のご門徒が。
奥さん同士がお友達だから遊びに来られたのかと思ったら、私に話しがあってお参りの時間に合わせてこられたようでした。
まぁ、いいか、次の家の約束までには15分以上の時間があるし・・・。
と、お話を聞けば、身寄りが無くなった一人暮らしのお姉さんのこと。
話しをしているとすぐに次の家の約束の時間。
遅刻確実。
申し訳ありませんが、もう1軒約束が・・・と失礼しました。
十数分の遅刻。
怒っておられるかと、お待たせしましたと謝りながらお宅に入っていきましたが、ご夫婦とも笑顔で出迎えて下さったのでホッとしました。
でも、時間に追われてお参りの綱渡りをするのはゴメンです。

 

午後は、50日目のお参り。
漁師さんのお宅なので、49日目の1月3日を避けて50日目にお参り。
小さなお孫さんたちが10人ほど。
私の予定ではお経のみだったのですが、私がお参りの準備を始めると当たり前のように勤行本(お勤めの本)が配られます。
予定を変更して、お経を短いものにして、皆で正信偈・同朋奉讃。
小さな子供たちが大きな声でお勤めをします。
風邪で喉の調子の悪い私が音程を外すと声が小さくなります。
敏感な子供たちは、あれ?いつもと違う、そう思って戸惑ったのでしょう。
でも、子供たちと一緒にお勤めができて、これこそ浄土真宗!、そう思いました。

 

夜は、お通夜。
初めてお付き合いをさせていただくお宅です。
何のつながりもないと思えます。
唯一のつながりは近いこと。
でも、途中には大きなお寺がもう1軒あります。
どうして正覚寺だったのだろう?会場はセレモニーホールなのに・・・。

 

写真の年賀状、全く目を通していません。
三が日は寝たきりだったのと頭が風邪状態でそういう気力すらわきません。 

 

次へ 震災トップへ

能登半島地震 被災から1016日め

003 
今日の午後、修正会(正月)の荘厳を平常の荘厳に戻しました。
平年は三が日が終わるまではお荘厳替えをしなかったのですが・・・。
なぜ今年は・・・。
理由の一つは、近年は3日になると誰もお参りに来られないこと、っていうか二日でも数名(今年は4名)なのですが・・・。
理由の2つめは、元日早々から正覚寺を葬儀会場として使用する際のパンフレットを取りに来られた方があったこと、ご家族が入院中とのこと。
理由の3つめは、今朝6時半に葬儀の依頼の電話があったこと、正覚寺を会場に貸してほしいという電話だと思ったのですが、会場はセレモニーホールでしたが。
この方は、近所の方なのですが、正覚寺でもお葬式のお世話をさせていただくことを知らなかったんですかね。
大晦日の夜からずっと風邪で寝込んでいました。
お参りなどは息子たちに任せて寝床の中にいました。
でも、明日からは長男は市役所(病院)へ。
そして、明日はお参りが忙しい。
頭の中にはまだ風邪の爆弾がこもっているようで、いつ爆発するやもしれません。
できればもう少し休みたいところですが・・・。
少しでも明日からの負担を軽くしておきたい、そういうことで今日の午後、お荘厳替えをしました。
風邪がぶり返さないことを祈るのみです。 

 

次へ 震災トップへ

« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

気象協会

  • 気象協会

最近のトラックバック