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2010年12月

大晦日

010 
新年を迎えるに当たり本堂のお荘厳替え。
まず、こぼれた蝋を取ります。
新聞の上からアイロンを当てます。
気をつけていても汚れるもの。
しかし、汚すのが当たり前のように毎回のように蝋がこぼされます。
トイレも同じだと思います。
掃除をする苦労を思えば平気で汚せないもの。

 

013  
打敷をかけてお鏡をお供えしました。
折敷という台の上にお供えするのが正しいようなのですが、お鏡が乗せられるほどの折敷はないので三方で。
お鏡も円柱形のものが正式らしいのですが・・・。

 

019  
028  
025  
鐘楼や本堂向拝をロウソクで飾りました。
若夫婦や3男が大活躍。
ワンカップの空き容器にロウソクを入れたのですが、強風で消えてしまいます。
長男がネットで調べたら、アルミホイールで穴を小さくすると良いとのこと。

 

021  
かがり火は私の担当ですがちょっと早く付けすぎたかも。
除夜の鐘まで持たないかもしれません。

イシタタキ

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今日は友達のお母さんのお葬式。
左はお通夜の夜を過ごされた控室です。
 
 
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お手伝いをさせていただいている様子です。
私を含めて僧侶が2人います。
友情出演でお勤め・お参りさせていただきました。

 

058 
午後は散髪に。 

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理髪店でご主人が出てこられるのを待っていると店先にかわいらしい鳥がやってきます。
なんとなく店を尋ねてきた様子。
ご主人がパンを与えているのだそうです。
そういえば、ご主人はかつてはメジロやウグイスを飼われていました。
輪島ではイシタタキ、セキレイという鳥だそうです。

 

069  
夕食に七面鳥のお刺身。
女房の実家からのお歳暮です。
門前町で飼育・養殖しているのです。
始めたばかりの頃は臭くてクセが強かったのですが、今は嫌な臭いもなくとてもおいしい肉です。

このブログを書いていたら先輩住職からメール。
近隣の先輩住職の奥さんが亡くなられたとのこと。
3日がお通夜だそうです。
冬で寒くなったせいでしょう、よく人が亡くなります。

お休みだったんだけど・・・

019 
今日からお参りは休みのはずでした。
ゆっくり休んでお正月の準備、のはずでした。
で、来年の年忌をご案内する葉書の印刷。
祖父の代までは年忌表を本堂に張り出していました。
それを私が住職をするようになってダイレクトメールでお知らせすることにしました。
法事をしたのに・・・などの電話をいただき、法事を請求しているように受け取られているのが嫌だったのと面倒くさいこともあって、2~3年ダイレクトメールを取りやめたことがあります。
すると毎年数名の方から叱られました、大切なご先祖の年忌を知らせてくれなかったと。
それからは毎年ダイレクトメールを出すようにしています。

休みのはずだったのですが、一昨日友達のお母さんが亡くなり、今夜がお通夜、明日がお葬式になり、お手伝いを兼ねてお参りさせていただくことになりました。

最後の忠臣蔵

001 
午前中は月忌のお参り。
いつもは午後なのですが、今日の午後は金沢近郊までお参りに出かけるので、午前中に。
28日は、息子さんとご主人の命日です。

 

005  
冬らしい雪景色の中を金沢へ。

 

011  
ショッピングセンターのうどん屋さんで昼食。
平日ですが順番待ちをするほどの満席。
年末ですね。
このショッピングセンターも来春にはイオンになるとのこと。

 

016  
昼食後お参りに。
年末のせいでしょう、いつもより車が多いように思いました。

 

018  
お婆さんの4七日。
中陰壇での正信偈・同朋奉讃、先週はほとんど声が聞こえなかったのですが、今週は後ろから声が聞こえます。
勤行本と共に練習用のCDを差し上げたので、それで練習をされているようです。
とてもまじめな方です。
1月2日は初月忌、ご自分でお参りされるようにお願いしてきました。

 

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お参り後は女房の待つショッピングセンターに戻り映画。
とても面白かったのだけど、時々入る人形浄瑠璃の演出は余分だと思いました。

あと2軒

039 
輪島もうっすらと白くなっていましたが積雪というほどではありませんでした。
輪島から60Kmほど南へ下がった温泉街ですが10数センチの積雪があります。
輪島はどんなだろうと心配しながら帰りましたが、輪島の市街地には積雪はありませんでした。

昼食を食べて、しばらく休んで祥月兼お取り越し報恩講のお参りに。
先日お葬式をされた家の本家。
亡くなられた方には子供さんがいらっしゃいませんでした。
残されたのは奥さん一人。
お仏壇やお墓、将来のことを考えて無理をしないように、見栄をはらないように、困ることのないように・・・と助言してきました。

今年のお参りも残すところ明日の2軒になりました。

忘年会

005 
お正月前にお仏壇を新調される家にお参り。
午前10時から古いお仏壇にお参り、午後1時から新しいお仏壇にお参りさせていただきました。

 

007  
午後3時から近隣のお寺の3七日にお参り。

 

022  
夜は輪島市街地のお寺の忘年会。
旅行代わりに近くの温泉へ。
2次会3次会と5人で楽しみました。

自省

002 
今日はお葬式、昨晩のお通夜と比較するとぐっと参列者は減りました。
近頃の傾向ですね。
それにしても寒い、吹雪で積雪。

001

 

Yasutomi
この本を読んでいたのですが、この本で何が伝えたいのか分からないので4分の3ほど読んだところで止めました。
清沢満之以来その流れをくむ高僧・学者によって真宗大谷派の教学、大谷大学が築かれてきたことは理解できます。
しかし、それを一般に知らせることに何の意味があるのだろうと思います。
そして、清沢満之の建学の精神、それを大谷大学は受け継いでいるのだろうかと思いました。
こんな本を出版するより先にそのことを自省することが先ではないかと思います。

懇志金?上納金?

001 
本山の相続講金(上納金)。
例年6月末の年度末ギリギリに納金するのですが、今年はなんとなく年末に納金。
ご門徒からお預かりしたお金、当たり前ですが目の前を横切っていくだけです。
百数十万円納めましたが、まだ御依頼完納には足りません。
以前は250万円ほどの御依頼だったのが、90~100万円程度下がりました。
それでも正覚寺には重い金額で、数十万円を寺から持ち出さなければ完納にはなりません。
もう少し取り立て上納金ではなく、名称通りの懇志金に近づいてくれるとありがたいのですが・・・。
 
 

006  
今夜はお通夜。
さすが漁師町の方たち、予想以上の参列者で本堂は満員。
亡くなられた方は昭和15年生まれの70歳。
生前ご夫婦できちんとお付き合いをされてきたことがよく分かりました。

満中陰

002 
お昼前に金沢からお墓参りに来られた方が、途中はヒドイ風雨でしたとのこと。
輪島は、雨がぱらつくことはあったようですが、時々日が差す天気。
午後は、満中陰法要。
法要後納骨のために木綿袋に遺骨を入れてもらっています。
お斎(食事)は御膳料でした。
こういうお宅も増えてきました。
風邪気味なので助かりました。
 
 
004  
若夫婦は金沢へ買い物に。
女房が頼んだコート。
若夫婦からのプレゼントになりました。
そんなつもりではなかったのですが・・・。
さすが若い瑞恵ちゃんの見立て、デザインが若い。

3七日

003 
午前中は、女房とご門徒からお預かりした相続講金(本山上納金)の収納作業。
早めに昼食を済ませて、冬の景色の中を金沢近郊まで。

 

023  
3七日のお参り。
待っていて下さるのは亡くなられた方の長女の方。
輪島では親戚、友人、町内の方などがお参りされますが、余所にはそういう習慣がありません。
お仏壇前で偈文と和讃、その間にお焼香をしてもらいます。
続いて中陰壇(お骨の前)で正信偈・同朋奉讃のお勤めを一緒に。
御文を読ませていただいて終了。
お茶をいただきながらしばらくお話しをさせていただきました。

 

024 横山・光琳寺さん。
 
027 木津・正楽寺さん。
 
029  
木津・応現寺さん。
帰りにスターバックスでコーヒーを買って、ガソリンを入れて、女房の叔父さんや遠縁のお寺の前などを通って帰りました。

 

038  
5時前だというのにこんな景色。
今日は冬至です。

今年もあと10日

010 
今日は午後に漁師町のお取り越し(報恩講)が2軒。
1軒目の家に伺うと、準備はしてあるのですが留守の様子。
お取り越しを兼ねてお婆さんのお経を勤めるお宅だったのでお経を上げていると帰ってこられた様子。
昨晩から出漁していた息子さんの船が帰ってきて荷揚げに港へ出かけていたとのこと。
今年最後の出漁だろうとのことでした。
タラ漁をしているとのこと。
平年ならアンコウ漁も平行してしているのだが、今年は全く水揚げがないのでアンコウ漁の道具は片付けたとのこと。
水揚げが少ないのに魚の値段は安い、接待や贈答品に使われない、不景気が影響しているのだと思います。
そこへ燃料代の高騰、漁師さんも大変です。
輪島塗の漆器産業も厳しい、ご門徒の旅館2軒が倒産・廃業した観光も厳しい、漁師さんだけでも思うのですがそれも厳しい、従って寺も厳しい。

 

012  
マリンタウン、埋め立て分譲地のまん中で家が建てられています。
焼き肉や(?)というウワサがあるとのこと。
そう言われれば、1階から2階が同じ大きさ。
屋根も単純な切妻式だし店舗かもしれません。
震災復興の工事が落ち着き、工務店は暇なようですから貴重な仕事だと思います。
 

 
015   
午後は女房は立華のお稽古。
お花もお正月向けです。

お取り越し

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今日は午前中に3軒、午後1軒のお取り越し(報恩講)。
疲れて肩こりしたせいでしょう、50肩がぶり返して辛い。
で、夕方友達の鍼灸院へ。

 

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今日も漁師をしているご門徒さんから先日のご法事のお布施と共にカニをいただきました。
やってきた友達にお裾分けして、これは我が家でいただきます。
夜のお参りの前に1パイいただきました。
もちろんお酒なしで。

手分け

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今日は先ずお葬式、帰って金沢からお出でになる祠堂・永代経のお参り。
昼食後はお取り越し(報恩講)兼年忌のお参り。
それから間に合わないと思っていた先日お手伝いさせていただいたお寺の2七日へ。
本堂前に着いたところでキンがなりました。
お参り後、庫裡でお茶をいただきました。
お茶・お茶菓子に続いて寿司折りをいただきました。
今夜は、ご飯を炊かずにそのお寿司をいただきました。
今日も女房は寒いので買い物には出かけていません。
結局今夜もあり合わせ、と言うより、いただき物で食事をさせていただきました。
やりくり上手というより、ズボラな女房の自然倹約。

長男も午前中は猟師町のお取り越(報恩講)、午後は環骨・初七日、そして月忌。
今月は長男も大活躍、助かっています。

法名

002  
今日は満中陰法要。
お仏壇前で伽陀・表白・阿弥陀経・短念仏・和讃・回向というお勤めの後、中陰壇(お骨壇)の前で同朋奉讃、御文をお勤め。
漁師町の人たちは一緒にお勤めをしてくれる人が少ないのだけど、今日は少し声が聞こえる。
お勤めの後、お墓へ納骨。
そしてお斎会場へ。
11時50分頃にホテルに着いたのだけれども、ロビーでお茶・コーヒーで待たされる。
これもお決まりのサービスなのかなぁ?

 

005  
もうこれいじょうはぜったい無理というほどの料理。
出されるビールはすべてキリンの一番搾り、私はキリンビールが好きなのでうれしいが、夜にはお通夜があるのでビールは控えめ。

 

午後は少し昼寝をして、お通夜に。
お骨箱などに法名を書かせてもらうと、役僧さんが仏壇の横に帰敬式(剃刀)を受けた法名があったとのこと。
私が伺った時にはなかったのですが・・・。
法名を持ってきてもらうと、30年ほど前のもの。
結局、すべて書き直し。
こういうこともあります。

愛情

今日はお参りは休み。
午前中は大工さんと打合せ。
会館(寺)の台所を改修したいので見積もり依頼。
その後はしばらくぶりにFMを聴きながら漆塗り。
11時からのFM放送「赤坂泰彦のディア・フレンズ」のゲストは、植村花菜
植村花菜の将来の夢は、結婚をして子供を育てることだそうです。
子供が自分の夢を実現できるように応援できる親になりたいそうです。
子供にお母さんはどうだったの?って聞かれた時に、自分が挫折して夢を諦めていたら子供に諦めずに頑張れと言えないので、今頑張っているのだと言います。
植村花菜のお母さんは、植村花菜が好きなことに夢中になっているんだから飽きるまで見つめてやろうとしてくれたそうです。
植村花菜の母親は、夢を追いかける娘をそのうち挫折(飽きる)だろうと見守ってくれた。
植村花菜は、子供が挫折しないように励ますという。
私は、植村花菜は「トイレの神様」という歌でお婆さんと自分のことを歌っているようだけれども、母親の愛情が理解できていないのではないかと思いました。
お婆さんはいつも味方で、親に叱られた時も優しかったと言います。
それが愛情でしょう。
お婆さんの優しさを歌いながら、お婆さんの愛情が理解できていないのではないでしょうか?
お母さんが挫折するであろう娘を見守ってくれた、それが愛情でしょう。
挫折せずに頑張れと尻を叩く、それが愛情だとは私には思えません。
    

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午後3時からは診療所へ。
痛風の受診兼インフルエンザの予防接種。
風邪の季節ですが意外と患者さんが少ない。
看護婦さんに聞くと、輪島ではまだインフルエンザの流行はないとのこと。

 

009  
女房が夕食の支度をする間に年賀状をプリント。
すごくスムーズで速い。
後日にしようと思ったのですが、食事の支度ができないので宛名のプリント。
それもすごくスムーズで速い。
去年までの苦労は何だったんだ???

留守番

002 
昨夕から女房は友達と温泉へ。
そして今朝電話があって、夜まで遊んでくると言います。
私は久々に休み。
そして外はみぞれ。
そこで、先日のお葬式のお手伝いでコンビを組んだ後輩住職が、私が使っていた手引き書をコピーして欲しいと言っていたので、その作業をすることに。
コピー機はないのでパソコンでスキャニング。
一旦パソコンに取り込んでおけばいつでもプリントできます。

その作業をしていたら電話。
ご門徒のお婆さんが亡くなったとのこと。
早速枕勤めに。
元気な頃はよく草むしりなどの手伝いをして下さったお婆さんです。
ですから正覚寺でお葬式をされるかもと思いました。
でもお葬式をされるのは遺族、お婆さんではありません。
お勤めを終えて会場、日程をお聞きすると、まだ決まっていないとのこと。
市役所へ火葬場の日程を問い合わせると、18日は予定が埋まっていて不可能とのこと。
お葬式は19日の10時からになりました。
会場は、遺族の方たちは正覚寺でと言われたのですが、喪主の同級生の方たちはセレモニーホールでなければダメだと言われている様子。
理由は正覚寺では狭いとのこと。
私は正覚寺の本堂で十分なお宅だと思うのですが・・・。
それにしても、どうして遺族の判断を同級生が覆すほどの発言力を持っているのか不思議でした。
同級生が葬式を仕切る、一昔前の悪しき感覚が残っているのを感じました。
お手伝いはあくまでお手伝い、お葬式をされる主体は遺族であるはずです。
お嫁さんが何度も、どうしてお寺じゃダメなの?とおっしゃっておられました。
イライラするので帰ってきました。

枕勤めを終えて携帯電話を見ると責任役員さんからの着信履歴。
帰って電話を入れました。
漆器屋さんを経営されているのですが、隣町のお寺へ社員が営業に行かれたそうです。
結婚式で使う品物を注文してもらったとのこと。
そして、そのお寺の方が、女房の実家でも結婚式が行われるからそこへも営業に行けばいいと言われたとのこと。
そのお寺は親戚でも何でもありません。
よけいなことを、と思いました。
女房の実家といえども、私たちはお互いのすることに干渉しない、口出しをしない付き合いをしています。
交渉ごとの間に入って口利きをする、私にとって最も不得意分野で、枕勤めで不快な思いをしてきたばかりの上にさらにストレスが覆い被さりました。

不景気のせいでしょう、やたらとセールスの電話がかかってきます。
仏教書の会社から電話。
昨日、電話があって発注したばかりの商品のセールス。
どうして同じ商品をセールスするんだ?
イライラします。

夕方、NTTの下請けだという会社から電話。
電話機のリースに関する案内だと言います。
それだけで不審な電話だと思いました。
我が家の電話はNTTから買った電話でリースはありません。
そう答えると、量販店などからの電話ではなく知り合いのNTT社員の紹介での買い取りってことですか?っと聞きます。
そうですと答えると、それでは改めさせてもらいますと言い、電話は切られました。
だませない相手だと思ったのだと思います。

誰が仏子か?

Hiro 
今朝の北陸中日新聞の記事。
『わたしたちは、劣等生や怠け者に対して、
 「あなたも仏子なんですよね。どうか幸せになってください」と思えるようになったとき、
 自分自身が仏子であるとの自覚を持てるのです。
 つまり、他人が仏子だと認めることによって自分が仏子になれる。
 仏子とは、そういうものだと思います。』
とあります。
私はこれはおかしいと思います。
自分のことを劣等生や怠け者と自覚するならともかく、他の人を劣等生や怠け者と認識、区別する、それは仏子のすることではないと思います。
優等生と劣等生を何を基準にどこで線引きをして区別するのでしょうか?
人は人であって、優等生や劣等生、怠け者というレッテルは私たちの迷いが貼り付けるものではないでしょうか?
わたしたちが、劣等生や怠け者に対して、「あなたも仏子なんですよね。 どうか幸せになってください」と思ったとき、それは単に私が相手を劣等生や怠け者だと見下しているだけだと思います。
自分は劣等生であり怠け者で自分の能力ではとても覚りを開くことができないどうしようもないものだと自覚した時、救われるのではないかと思います。
仏子は、人を人としてみる、決して劣等生や怠け者、優等生というレッテルを貼らない、それが仏子だと私は思います。

そうそう、今日は雪の舞う一日でした。
いよいよ冬です。

2七日

001 
今日は、午前中は3軒の報恩講(お取り越し)。
そして午後は金沢近郊までお父さんの月忌兼お母さんの2七日のお参りに。
行きは雨が降っていたのですが、帰りには日が差していました。

 

002  
帰りはガソリンを給油してケンタッキーへ。
帰りの縦貫道、暗くなると眠気が。
ハッと気付くと小型車を追いかけるように走っています。
どの当たりを走っているのか分かりません。
最後の料金所を出たところまでは記憶があるのですが・・・。
別所岳SAの手前だろうと思って走っていると越の原インター。
別所岳SA付近の2車線区間などを走った記憶が全くありません。
よく無事だったと思います。

お葬式

005 
今日はお葬式。
まず午前9時30分から本堂お別れの勤行。
亡くなられた前住職さんが本堂でお参りされていた姿を偲んで親戚・家族でお勤めをします。
11時から出棺勤行、一般的には内(家)勤め。
その後、一旦お棺を外陣中央に運び出して肩入れ式。
お棺を葬場へ移っていただくことを儀式化した作法だと思います。

お棺をご本尊前に移して葬場勤行の飾り付け。
コンビを組んでお世話をしている後輩僧侶が親戚のイスが足りないと言ってきます。
当初の打合せの親戚の招待僧は16名、家族や若干の追加を入れても20数名だと思い込んでいました。
焼香の呼び出し表を見ると30数名になっています。
当初と比較すると倍増していたのです。
しまった、人数確認を怠っていました。
親戚同士のお付き合いの習慣の違い、招待者が増えていく、そういう想定をしていませんでした。
お世話をする難しさを感じました。
椅子の不足分は、受付の椅子を流用したので問題はありませんでした。
なぜか、椅子に関しては受付にあるから・・・と想定していたのです。
親戚僧侶(法中)が予定していた場所に座りきれなかったら・・・、そこまでは想定していませんでした。
予定していた場所で十分余裕があると思っていたのですが・・・、詰めが甘かったと反省しています。
もう一つ反省、親戚寺院の増加した人数分を内陣余間に上がってもらえば良かったと思います。
参詣者が多かったら奥さん方に入っていただこうかと考えていただけに、どうして機転が利かなかったのか悔やまれます。
椅子が足りなかったということは、履き物のスリッパも足りなかった様で申し訳ありませんでした。
そういうトラブルはあったもののお葬式は無事終了したと思います。
ほとんど使われることがないかもしれないが・・・と準備した手持ちの念仏和讃、多くの方が持って下さって、声が揃って良いお勤めだったと思います。
 

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出棺後、私はちょっと一休みさせてもらって、還骨から初七日の準備。
お骨を拾っているとの連絡があったので、向拝で待っていると午後4時頃お骨が帰ってこられました。
マイクロバスは本堂正面まで入ったのですが、後ろのバスは少しはなれたところで止まってしまいました。
どうしたのだろうと思ったら、入口に駐車された車が邪魔で入ってこれないとのこと。
誰の車かと思ってみたら、正覚寺の車、我が女房が犯人。
無頓着というか、配慮がないというか、考えがないというか・・・困ったものです。
おかげで多くの方が雨の中を走ることになってしまいました。
申し訳ありません。

中尊前で還骨勤行をし、お骨を中陰壇(法名前)に移して中陰壇勤行、続いて初七日勤行をお勤めして終了。

疲れました。

お通夜

006  
夕方、庫裡とのお別れの勤行をしお焼香。
その後列を作ってお棺を本堂へ移棺。
そして午後7時からお通夜。
勤行、法話、焼香。
大きなミスはなかったと思うのですが・・・。
帰って宿題。
焼香順のプリント、五淘三首引きという勤行なので、手持ちの譜をプリント。
明日は、午前9時半の本堂お別れ勤行から初七日まで。
終了は暗くなっていると思います。

準備

002  
今日は一日ほとんどの時間を近隣のお寺のお葬式の準備。
伺ってみるとほぼ私の指示通りにお荘厳がされています。
お手伝いのコンビを組んでいる後輩住職と共に卓など細かい修正をさせてもらいました。
道具をそろえて、午後一番に御導師さんとの打合せ、喪主・遺族と式次第を打合せ、本堂の荘厳の準備をして夕方帰していただきました。
帰って友達の鍼灸院へ。
五十肩が痛いんです。
帰って夕食を食べて宿題。
式次第のプリント、焼香順のプリント、下足棚の名前のプリント。
手持ちにする念仏和讃を作成しますが時間が足りません。
明晩、元気があったら続きをします。

白山郷斎場

今日は午後1時からお葬式。
泊めていただいたホテルのチェックアウトが11時だったので、10時半過ぎにホテルを出て、近くのショッピングセンターで少し時間を潰して正午頃にセレモニーホールへ。

 

013  
ショッピングセンターを出ると事故。
トラックの運転席前が壊れています。
どういう事故だったのでしょう?

1時からお葬式を始めると、途中から式場が暑い。
暖房が効き過ぎているらしい。
私が貧血を起こす状況ですが、今日は大丈夫でした。
しかし、正信偈の終わり頃から後ろの役僧さんの様子がどうもおかしい。
夕べ少し飲み過ぎて二日酔い気味だった上に暖房の効きすぎで気持ちが悪くなったらしい。
最悪の場合、私一人で火葬場(斎場)へと思いましたが、なんとか一緒に。

 

017  
棺が炉に入るのを見届けてからセレモニーホールへ。
私は準備していただいたお弁当を。
役僧さんはダウン。

026  
お弁当、こういうので十分だと思いました。

 

028
033  
還骨の会場、葬儀会場と同じ部屋です。
座席は72席、都市の葬儀はよほどの名士でなければこれで十分なのだと思います。

 

034  
キンのバチ、妙に年期が入って剥げています。
なんとなくホールの雰囲気と不釣り合いの様に思いました。

ありがたい

004

午前中は、引き続きお葬式の打ち合わせ、準備。
昼食後、先輩のお寺の報恩講初日。
例年9日の午後、10日午後の大逮夜、お初夜・御伝抄にお参りさせていただいています。
明日は、金沢近郊でのお葬式のため不参です。
お参り後着替えてお通夜へ。
セレモニーホールは先日伺ったホールの隣。
輪島市外へお葬式に出かける機会のほとんどない私が、1週間の間に続けて同じ町内のセレモニーホールへ出かけるとは…。
こういうこともあるんだなぁ、と思いました。
お通夜の勤行後着替えさせていただいてホテルへ向かおうと控え室を出たところで、遺族のご一家に出会ってご挨拶。
亡くなられたご主人は昭和11年生まれの74歳(数え75歳)。
末期の肺がんで亡くなられたとのこと。
奥さんの実家が正覚寺の御門徒なので、お葬式やご法事で何度もお会いしたことがあります。
それで私に導師を依頼されたとのこと。
ご遠方をありがとうございますと、ご挨拶いただきましたが、私の方こそわざわざ遠い田舎坊主をお呼びいただいて恐縮です。
自分では合理化して勤めているつもりですが、お勤めが丁寧でありがたいと言われます。
本山の作法通りの洗練されていない素人っぽい田舎らしさがご門徒の方たちにはありがたいのかもしれません。
若い頃本山へお勤め(声明)を習いに通っていた時(声明講習)、五ヶ寺といわれる位の高い講師の先生が、ご門徒では本山の作法通りではなくゆっくりお勤めさせていただいています、と言われました。
故人の若い娘さんが、ありがたいお勤めありがとうございました、とご挨拶下さいました。
私にとってはそれがとてもありがたかった。
ホテルの隣の居酒屋で役僧さんと夕食。 bottle

夕方、私とコンビで近隣のお寺のお葬式のお手伝いをさせていただいている後輩僧侶からメール。
納棺後の荘厳が私の指示と違うものになっているとのこと。
想像がつきます。
親戚のどなたかが指図、皆がそのされるままにしたのだろうと思います。
われこそはと意見されるそういう住職は多い。
お寺のお葬式、法事となるとそういう住職の集まりです。
「船頭 多くして 船 山に登る」そういう傾向があります。
おかしい、間違っている、もの知らず、そういう批判を受けるのが私の役割でもあります。

バラエティ

003 
午前中は昨日亡くなられた前住職さんの葬儀の準備の打合せ、お手伝い。
午後は八日講という市街地の寺院のお参り。
その後、再び葬儀の準備の打合せとお手伝いに。
先日から五十肩で右肩が痛いので夕方は失礼して鍼灸院へ。
自宅へ寄ると金沢近郊のご門徒から電話。
妹さんのご主人が亡くなられたとのこと。
明日・明後日と金沢近郊までお通夜・お葬式です。
先日の金沢近郊のお葬式の還骨・中陰後のお斎の席で、久々にありがたいお経を聞かせていただいたとおっしゃっていただきました。
金沢の僧侶方のお経は早くて・・・とおっしゃるので、本山の作法通りだとすごく早いのです、私が下手なのですとお答えしました。
今回も私のへたくそなお勤めでお参りして欲しいと言って下さったようです。
ありがたいことです。
明日の夕方はお手伝いをさせていただいているお寺の納棺の予定。
申し訳ありませんがそちらは失礼させていただきます。
写真は夕食後の瑞恵ちゃんと女房、2人ともバラエティが大好き。

間垣

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午前中はご門徒の報恩講に。
帰ると町外れのお寺の前住職さんが亡くなられたとのお知らせをいただく。
昼食後は昨日に引き続き正覚寺から12~3Km西のお寺の報恩講・大逮夜にお参り。
海辺の町で冬は北からの潮風が吹き付けます。
その風から家などを守るために間垣という竹を編んだ垣が張り巡らされています。
帰って早速女房と町外れのお寺へお弔いに。
住職さんが京都におられて帰ってこられなければ日程などが決まらないようなので夕方一旦帰していただきました。

 
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この人、単に酒癖が悪いってことじゃないと思います。
うぬぼれ、慢心、そういう気持ちが表れた事件だと思います。

道場

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今日の午後は、小さな小さな漁港を見下ろすお寺の報恩講にお参りさせていただきました。
このお寺の住職さんが正覚寺の報恩講にお参り下さるのでお返しです。
小さなお寺というよりご門徒が1軒もないお寺・道場です。
その昔、北前船などで村が栄えたのでしょう、寺・道場を建てたようです。
小さな村の小さなお寺ですが参詣者の数は正覚寺に負けません。
負けないどころか多いかもしれません。
このお寺、震災より数年前に火災で全焼になり、3年前の震災の時には再建されていました。
住職さん、よく頑張っておられます。
明日の大逮夜にもお参りさせていただく予定です。

帰って漁師町のご門徒の報恩講のお参り。
帰りに塩鮭を1匹いただきました。
報恩講と言えば精進が常識なのですが、そんなことは正覚寺では通用しません。

武士の家計簿

Bushi_tobira_01
100902_bushikake_main_2  
当初の予定では、昨日は横浜正覚寺の報恩講、今日は東京国立博物館で特別展「東大寺大仏―天平の至宝―」見学のはずでした。
それが昨日のお葬式ですべてキャンセル。
今日のご法事は予定通り長男に任せて、横浜で済ませてくるはずだった買い物に、そして映画「武士の家計簿」。
主人公は幕末の加賀藩の会計処理専門職(御算用者)一家猪山家。
大変まじめな働きぶりで親子とも出世するのだが、膨大な借金があり家計が窮地に追い込まれていることを知る。
そこで家財一式を処分、質素倹約をし、借金の返済をするという決断をする。
世間体、体裁を気にする家族。
しかし、お家を潰す方が恥であると実行する。
同僚や周囲の好奇な目、同情にさらされながらも、猪山家の家族は一丸となって質素倹約に努める。
人は体裁を気にし見栄を張りたがるもの。
見栄も世間体も振り捨てた猪山家の人々。
見栄や世間体よりも大切なことに気づいたのだと思います。
 
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お葬式

005 
昨晩はホテルに泊めていただきました。
朝食をいただいたテーブルの前の窓から見えた風景です。
落葉樹の葉が落ちてしまってすっかり冬の景色です。
昨日は嵐の1日でした。
今日は曇ってはいましたが穏やかで、還骨・初七日を終えた午後3時頃には日も差していました。
新聞のお悔やみ欄の掲載が間に合わなかったせいでしょう、親族だけの家族葬でした。
でもかえってこういうお葬式の方が気持ちがこもったお葬式になるもの。
良いお葬式にお参りさせてもらったと思いました。
亡くなられたお婆さんと共に生活され最後まで介護をされた喪主のお姉さんがお別れの言葉を述べられました。
母ちゃん生んでくれてありがとう、母ちゃんがいてくれたから私はここまで生きて来ることができました、母ちゃんがいてくれたから仏様に出会うことができました、これからは阿弥陀様の教えを聞く生活を送りたい、そのような言葉だったと思います。
今日の暦は友引、一般にはお葬式を避けるべきとされている日、休みにしている火葬場もあるほどです。
輪島以外では友引の日にお葬式をされる方は少ないのではないかと、私は思っていました。
お棺を送って火葬場へ行くと、すでに2組の遺族の方たちがお出でました。
友引、そういう迷信を気にしない人たちも増えてきているのかな?っと思いました。
初七日のお経は還骨勤行に引き続き勤めさせていただきました。
とりあえず2七日にはお参りさせていただく予定です。
年末は師走という言葉の通り忙しい時期、ちょっと大変です。

お通夜

002

 
今日は金沢近郊までお通夜。
8時半に役僧さんの車で出掛けました。
天候が荒れていたのと道路が混んでいて、御門徒のお宅に着いたのは10時半、いつもより10分~20分時間が掛かりました。
私の運転ではないということもあるのでしょうが…。 (^^;)
着いてすぐに、お婆さんはおかみそりをされていませんでしたね?法名をいただいていませんでしたね?と確認すると、いえ、いただいていますよ、とおっしゃりながらお仏壇の方を示されます。
私が書いた法名の包みが置かれていました。
正覚寺の本堂で帰敬式をしたのでした。
夕べ、名簿を確認したのですが、控えが見あたらなかったのです。
法名を書かせていただいて、枕勤めをさせていただきました。
そこで一旦失礼させていただいたのですが、何かあったら電話をして下さいと携帯電話の番号のメモを置いてきました。
昼食を食べ、式場を確認し、仏具屋さんに寄ってお香を買い、役僧さんと夕方までの時間つぶしをしていると、3時半頃知らない番号から携帯に電話。
出ると御門徒さんから。 お婆さんが病気になられてからの半年、早く忘れてしまいたい、つらいことの連続で、その思いをお通夜前に私に話してしまいたいとのこと。
お棺が式場に入られる5時までに式場に伺いますとお返事しました。
亡くなられたお婆さんは末期の肺ガンで、10月半ばからモルヒネを点滴をされていました。
ある日医師が、モルヒネを増量すると苦しみが楽になるが呼吸が止まってしまいます、どうしますか?と聞かれたそうです。
その方は、死んでしまうと言われ、増量を断わり自然に亡くなるようにして欲しいと答えられたそうです。
しかし、そのことによって2ヶ月半母親をよけいに苦しめてしまったのではないかと罪悪感を感じているとのこと。
私の母も母の弟の叔父さんも末期のガンで亡くなり、モルヒネが投与されたので状況はよくわかります。
私は医師に、母ができるだけ苦しまないように、楽になるようにしてやって欲しいと依頼しました。
その経験から、病院へお見舞いに伺った時、お医者さんにお任せして、お婆さんをできるだけ痛い目に会わせないように、楽にしてあげてくださいねと、アドバイスしてきたつもりだったのですが、その意味が伝わらなかったようです。
しかし、今更そんなことを言ってもどうしようもありません。
私は、死んでしまうと言われて、自分の親を殺して下さいと頼める子供はいないでしょうとお答えしました。
そのような会話を1時間ほどさせていただきました。
長男に代理を頼むことの出来ない御門徒の1軒です。

キャンセル

Shokoji_2 
この写真はネット検索で見つけた去年の4月のものです。
今日は諷経(ふぎん)に禅宗(曹洞宗)のお寺へ。
私の同級生のお姉さんが60歳で亡くなりました。
お姉さんは生涯独身だったので、私の同級生が喪主でした。
お姉さんはガンだったそうです。

 

明日から2泊3日の予定で横浜正覚寺の報恩講のお参りに出かける予定でした。
装束は昨日すでに発送済みです。
夕方、着替えなどの荷物を準備し夕食を食べていると電話。
金沢近郊のご門徒からでした。
入院されていたお婆さんが亡くなられたとのこと。
明後日の暦は友引、お葬式は土日、2泊3日を1泊2日に変更すれば横浜の報恩講にはお参りできる、そう思いました。
ところが午後9時前の電話での連絡は、明日お通夜、明後日葬儀とのこと。
結局、すべてキャンセルになりました。
早速枕勤めに来て欲しいということでした。
そうだろうと思いましたが、横浜のお参りのキャンセルをしたりお葬式の準備が必要です。
枕勤めは明日にしていただきました。

恐竜絶滅 ほ乳類の戦い

Kyoryu 
先日見学した福井県立博物館、それからどうして恐竜が絶滅してしまったのか気になります。
インターネットで検索したのですが、諸説色々あるようでよく分かりません。
さらに検索していると、今年7月頃に「NHKスペシャル 恐竜絶滅 ほ乳類の戦い」という番組が放送されていました。
NHKオンデマンドというインターネットの配信サービスで視聴しました。
前編後編1時間ずつ、留守番をしている時間に視聴しました。
私にまで届けられた命の歴史を見せてもらいました。

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